比留間久夫 HP

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つるつるの壺(INU)



「俺はあなたが愛おしい、糞まみれにしてくれ」

 彼の『歌』は衝撃だった。
 彼の『歌』は明らかに本物であり、僕の歌は偽物だった。
 1980年 高円寺『ブラックプール』 かかった曲は『つるつるの壺』だった。
 僕はそのころ、パンクバンドを組み、歌をうたっていた。てっとりばやく言えば、文学少年的なロック。自己の内部に深く潜入することによって世界を照らし出そうとするような歌。でもいつからか、僕は自分の書く詞に追いかけられるようになった。例えば「僕は絶望している」と歌う。でも本当に絶望しているんだろうか? それは嘘じゃないか? 単に絶望している自分を気取ってるだけなんじゃないか? 嘘、自己欺瞞、恥辱。
 でもそれを認めるのは辛いことだった。それはそのまま僕が生きてきた日々を、僕の生を全否定することにつながるからだ。僕はこんなふうに誤魔化したーーそりゃ確かに僕がなりたいと願っているロックミュージシャンの歌に比べれば、貧弱だ。でもそこらへんのやつらよりはよっぽどマシじゃないか。
 いったいあのとき受けた衝撃をどんな言葉で伝えよう? 彼の『歌』は僕に最終宣告を突きつけた。本物の彼の前では僕は恥ずかしい贋物だった。彼はそのとき18で、僕は20だった。スピーカーから大音量で流れてきた彼の声は、本物の力に満ち溢れていて、僕を圧倒し、震わせた。『ブラックプール』で見かけた彼は、彼がうたう『歌』そのものだった。ギリギリのところでギリギリの自分を生きているような風貌、声、リアリティー。彼の『歌』は世界に対峙していた。
 時は流れて、僕は小説を書いた。ある読者がこんな手紙をテープと一緒に送ってくれた。
 ――小説を読んでいるとき、頭の中にはこのレコードばかり鳴っていました。
 そのテープを聴く前から、僕はそれがINUの『メシ喰うな!』であることが何故だかわかっていた。よくよく思い出せば、僕はそのレコードを一度も聴いたことがなかった。『ブラックプール』で聴いたのは、レコーディング前のラフなデモテープだった。
 何故、僕はそれを聴かなかったのだろうか? それは彼の『歌』が僕にとって宣告を意味したものであり、どこまでも追いかけてくる脅迫でもあったからだ。




  『現代詩手帖』(思潮社)1992年5月号 
    特集「町田町蔵のダイナミズム」寄稿



     当時『ブラックプール』で親交のあったキャスが撮影したもの。

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