比留間久夫 HP

Home > ブログ > ハッピーバースディ 2000 > HP2000(仮題) 8 ~ 12

HP2000(仮題) 8 ~ 12


      8


 バンビが待ち合わせの店に着くと、広告代理店の女性はすでに来ていて、テーブルの上に広げた書類をクリップでまとめていた。
 バンビは「こんばんは」と挨拶し、席に向かい合って座った。
 ウエイトレスに食事は要らないと言って、コーヒーを頼んだ。
 楽井という女性はどうでもいい話をした後、仕事の説明に入った。
 現在、某大手化粧品メーカーのCM事案が進行中で、わたしたち黒田チームはニューハーフを抜擢したいと考えています。単独出演になるか複数になるかは未定ですが、バンビさんにも是非この企画にエントリーしていただけたらと考えています。
 「声をかけた何人かから最終的に誰かを選ぶってことね?」
 「そうです。残念ながら、選ぶのはわたしたちではありませんが」
 「誰?」
 「制作トップ、その後に会社の上層部、最後にクライアントです」
 「・・・山あり谷ありなのね。もちろん喜んでエントリーさせていただきます」
 「ありがとうございます」
 期待はしていない。だいたいこの手の話は立ち消えになる。社会通念の壁は厚く高いのだ。
 「でも、実現すれば、わたしたちにとって夢のようなお話ね。色めきだってるニューハーフがいっぱいいそうだわ」
 彼女の発案と健闘に敬意を表し、リップサービス。
 「はい、夢にならないようにがんばります」
 彼女もそのあたりは重々承知してるんだろう。意気込みを語りながらも、その目や声は浮わついたところがなく、沈着冷静だった。

 「これからお仕事ですか?」
 彼女は書類をバッグにしまいながら聞いた。
 話は15分で終わった。過不足のないテキパキとした仕事ぶりだった。
 バンビは企画書が入った封筒を受け取った。
 時間が大幅に余ってしまった。出勤するまでの時間をどうしよう?
 「もしよろしければ、ここからはオフの女子トークをしませんか? 食事も頼んで。ここ、オーナーが広島出身で、隠れメニューの生ガキ料理がとっても美味しいんですよ」
 彼女が急にくだけた口振りになった。いつから友達になった?・・・さっきまでのオフィシャルな顔もどこへやら、急に馴れ馴れしくなった。
 バンビが呆気に取られ見ていると、
 「では、ここでカルトQ 問題です。バンビさんはわたしのことを知っています。わたしは誰でしょう?」と愉しそうに言った。
 「え?・・・」
 いったい何を言い出したんだ、この女は?
 「ヒントは8年前」
 「だから、お店に来たんですよね?」
 「・・・ってゆーより、一緒に働いてた?」
 「・・・働いてた?」
 「わたしは愛の伝道師、真実の愛を届けまーす!」
 彼女は声のトーンを低く変えた。両の掌を合わせて敬虔な祈りみたいなポーズをとった。
 え? え? え?
 そのポーズとセリフ、どっかで見て聞いた憶えがある。
 「・・・テレジア?」
 「あったりーー!」
 「うそ・・・」
 「良かったぁ、憶えててくれて・・・忘れられてたら悲しいわって思ってたんだ。忘れ去られるのって、この世でいちばん悲しいじゃない」
 彼女は破顔一笑でバンビを見た。「どう、わたし、変わったでしょう? いつバレるかわくわくしてたけど、全然気がついてくれないんだもの。これはもう、こっちから言うしかないなって」
 「・・・だって、うそ・・・昔と全然違うじゃない? 整形した?」
 「すこしね」
 「じゃ、あとはメイク?」
 「う~ん、もうちょっとしたかな」
 言われて見てみれば、確かに目と鼻のあたりに小憎たらしいテレジアの面影がある。でも、もともとノッペリとしたお公家さん顔だったので、気がつかなかったのだ。化粧も昔と違って、とても洗練されている。髪形もよく似合うショートにしている。
 「でも、あなた、絶対に顔とからだはいじくらないって言ってたじゃない?」
 バンビは昔、テレジアが言ってたことを思い出した。
 「いろいろあって、心変わりしたの」
 バンビは今度はそのまま視線をからだに落とした。グレーのビジネススーツの胸元が大きくはないが、ぷっくり膨らんでいる。パッドだろうか?
 「シリコンは入れてません。女性ホルモンです」
 テレジアが先回りして言った。
 ・・・じゃ、からだはいじくってないのね。
 「しかし、下はありません。業界用語で言えば、全オペ完了してます」
 「・・・うそ?」
 「取っちゃったし、女に造り替えました」
 「・・・うそでしょう?」
 「服の上からだったら、さわって確かめてもいいよ」
 バンビはテーブルの下で手を伸ばした。でも、テーブルが大きくて、全然届かない。するとテレジアが席を立って、バンビの横に座った。メニューを一緒に見る振りをして、バンビの手を股間にいざなう。
 ない。隠しこんでる感触もない。
 「・・・うそぉーー! だって、そういうことはしないって」
 「だから、考え方が変わったの」
 
 テレジアが『人工の森』にいたのは、結局、半年ぐらいだった。お店を辞めてその後どこへ行ったかは知らなかったし、興味もなかった。ただ、まったく消息を聞かなかったので、この業界からは足を洗ったのだと思っていた。ニューハーフとしては全然パッとしなかったし、夜の世界にも馴染めなかったようだ。
 「じゃ、あれからどうしてたのよ?」
 バンビは落ち着きをやっと取り戻し、テレジアにその後のいきさつを聞いた。
 「わたし、あれからアメリカ、ベルギー、スイス、タイへ行ったの。自分のことを本気で知りたいと思って。合計3年ぐらいいたかな。向こうで一生懸命勉強したんだ。いろんなツテを頼って・・・そのあたりの詳細は口外したら組織に殺される情報もあるから、適当にはしょらせていただくけど」
 「何、それ?」
 「ちょっとヤバい話もあるの。そのあたりはどうか察して」
 「・・・なんかそういうところは相変わらずね」
 大風呂敷を広げたような弁舌はあのころと変わってない。
 「人間の本性は大きくは変わりません」
 ただ、すこしまるくなったかな。物腰に落ち着きと余裕が感じられる。
 バンビは懐かしくなった。ラララも交えて、何度も嫌味と冗談を織り交ぜて、らちが明かない言い合いをしたものだっけ。
 「で、3年かかって出した結論はこうです」
 テレジアはワインで喉を潤して、話を続けた。
 「わたしは間違って男に生まれてきた。わたしが道を間違えたわけではない。でも、創造主はその間違いを永遠に正してくれない。なら、自分の手でその間違いを正すしかない」
 「ごめん、もう一度言って」
 格言調の響きが耳に馴染まず、内容がよく入ってこなかった。
 テレジアはもう一度、繰り返した。
 「・・・で、自分の手で性転換して、神様の間違いを正したってわけね」
 「そう。・・・神様じゃなく、創造主だけどね。わたし、この世に神様なんていないと思ってるから」
 「からだをいじくったら、本当の愛が手に入らなくなる、どうたらこうたらってよく言ってなかったっけ?」
 「ありがとう。いろいろ憶えていてくれてるんだ」
 「忘れろったって、あの小憎たらしい顔と声は忘れられません」
 「だから、考え方が変わったの」
 「じゃ、性転換して、もうどのくらいたつの?」
 「5年?」
 「それで、いまの会社に就職したの?」
 「そう。もう5年になるか」
 「女として?」
 「もちろん。戸籍上はまだ男で厄介だけどね。パスポートとかも。でも、それもいずれ変えてみせる」
 「職場のみんなは知ってるの? カミングアウトしたの?」
 「COはしてない。あえて自分から告白する必要も義務もないしね。ただ、知ってる人は知ってる。でも、問題にはしない。広告関係は実力主義で、比較的、自由な気風なんだ。面白いものを楽しめる土壌でもあるしね」
 バンビはいきなりテレジアの変身を見せつけられて、当惑し、面食らっていた。
 一般社会で通常の女性のように生きて活躍している。
 「バンビもオペは全部終わってるんだよね?」
 「うん。テレジアと・・・えーと、これから何て呼べばいい?」
 「ミキって呼んで。未来と書いてミキ。ラクイさんでもいいけど」
 バンビはバッグの中からこの前、店に来たときにもらった名刺を取り出した。
 『楽井 未来』と印刷されている。
 「ミキって本名?」
 「改名したの。姓は本名。上から続けて読むと意味がつながる」
 「ラクイミキ?」
 「ううん、楽しいミライ」
 ミキが語るには、今後、ゲイやレズやトランスジェンダーなどのマイノリティーを取り巻く状況は飛躍的に変わるらしい。権利や保障が整備され、遠くない未来に社会のフロントに押し出されるときがくる。結婚もできるようになるし、こどもを持つ障壁も低くなる。自分はいま、そのミッションのもと、広告代理店に勤めて布石を打っているところだ。これ以上、詳しく語ると組織に殺されるらしい。
 いったいどこまで本当で、どこまで妄想かわからない話だったけど、聞いてて退屈はしなかった。あてがわれた運命に腐ることなく、前向きに打開しようとがんばっている姿が伝わってくるからだろう。
 広島の生ガキ料理も美味しかった。ワインを飲みながら、昔話に笑い転げて盛り上がり、時計を見ると、もはや遅刻確実だった。

 「・・・で、しつこいようだけど、一つ聞いていい?」
 バンビはテーブルで会計を済ませた後、コンパクトで口もとの化粧を直しながら、聞いた。
 「どうぞ」
 「それで、昔、言ってた本当の愛は手に入ったの?」
 テレジアは昔、からだをいじくると本当の愛は手に入らなくなるって言ってた。人工の女は所詮まがいもので、自然の女にはかなわないと。そして本当の愛は自然の中にこそ湧き出てくるものだと・・・
 テレジアは残っていたワインをグラスに注いだ。けれど、飲まずに、すこし考えるようにした後、口を開いた。
 「・・・わたしは5年前、自分が本当の自分であることが、先ず何よりも大事だと思ったの。わたしは間違って男に生まれてきた。それは本当の自分じゃない。だから本当の自分に治した。3年もかけて考えたことだから、いやそれ以前もずっと頭にあったことだから、あのとき出した結論には、そして手術を受けて女になるという決断にはいまも微塵の後悔もない。・・・人が自分のことをどう思うかより、先ず自分が自分を愛することができるかが大切だと思ったの。生きていく上でそれがいちばん重要な土台になる。・・・あとは野となれ山となれ。でも、野や山じゃなく、絶対に花園へ行ってみせると宣言します。本当の愛も、わたしそのものをありのままに認めてくれる愛も、昔に考えてたものとは違うものになるかもしれないけど、絶対に手に入れてみせます。・・・以上、お答えになってるでしょうか?」
 テレジアは話し終えると、プレゼンを終えた新入社員のように一礼した。
 バンビはパチパチパチと手を叩き、
 「よくわかりました。心から、応援してます」とエールを送った。
 「ありがとうございます」
 テレジアはグラスをもう一度、手に取って、高く上げた。「では、同志として、お互いの行く末が幸多きことを願って」
 残ってたワインを飲み干した。
 「・・・で、テレジアは彼氏いるの?」
 外に出る階段を昇りながら聞いた。完全に遅刻だ。
 「なんでテレジアよ、恍惚の亡霊が出てきそうだからやめてよ。・・・いるわよ、もうすぐ3年になるかな」
 「すごーい。・・・で、知ってるの?」
 「知ってるよ。病院の先生だから」
 通りに出ると、タクシーが目の前に滑りこんできた。
 「また、近いうちに続きを話せる?」
 「いつでも」





      9


 『2020』という店をオープンして2か月になる。
 とりあえず、拠点を作ろうと思った。
 かまびすしい店はいっぱいあるので、静かな落ち着いた空間にしよう。
 アップライトピアノを置き、壁の棚にはゲイ関係の文学書や旅行記や写真集をさりげなく並べる。その間にやはりセンスのいいゲイテイストの雑貨やオブジェを配置する。壁にはポップなもの、アブストラクト、クラシックなもの、毛色の違う絵画を、場の多様性を演出するようにバランスよく飾ろう。カウンターの端にはレトロなガラスの花瓶に豪華なドライフラワーを。カウンター内には3人の若い男たちがいる。一人はすこし暗めな翳のあるタイプ、一人はマッチョだがそのからだを白いシャツの下に隠し誇示しないタイプ、もう一人は知的で広範囲な会話ができるインテリなタイプ。もちろん、三人ともイケメンであるのに越したことはない。カウンターの中でお酒やオードブルや簡単だけど美味しい料理を作ってもらおう。基本、席についての接客はしない。その手の店ではなく、文化の薫りが漂うラウンジバーだからだ。
 そしてマスターであるオレは9時ごろ、ふらっと店に入る。店は18:00から 5:00までの営業だ。オレは好きなときに帰る。たまに街を切なく彷徨する。
 ・・・となるはずだったのに。
 現実はどうだ? 店はいまでは若い子たちの溜まり場と化している。発展場とはあえて言うまい。毎日、がやがやとうるさい。
 料金を低設定にしたのがアダとなったのはわかっている。ボトルの催促もしなければ、余計なチャージも取らない。ワンドリンク¥500からの明朗会計だ。そりゃ、お金のない若い子たちが集まるよな。しかし、それはウエルカムだ。あてが違ったのは、イメージしていたターゲット層がまるで来ないことだ。一人で静かに本を読むような子、アート関係の尖った子、社会問題意識が高い子・・・
 でもまぁ、いまさら、ぐだぐだ言うのはやめよう。もう慣れた。店に集まる子たちもオレのことを慕ってくれている。いろいろと相談も受ける。頼りにもされている。
 店名の『2020』は「20年後の2020年、君はどう生きている?」という、オレからのささやかな問いだ。もちろん、その問いは自分にも向けられている。自暴自棄に陥ったり、袋小路に迷いこんでいた自分の体験をもとに、視線を近視眼的ではなく、すこしは遠い未来に振り向けてみようという提案だ。想像するのはひどく難しく、またその必要もないように感じるが、必要がないように思えることを敢えてする、そんな時間がときにはあってもいいと思う。
 「マスター、ケンジにまた浮気された。今度、連れてくるから、心が入れ替わるようなこと、ガツンと言ってくださいよ」
 店に着いてカウンターに立つなり、いきなりカウンターでへべれけになっている常連のヨシアキにからまれたーーもとい、相談を受けた。だからそれは浮気されたんじゃなく、そもそもお前が遊ばれてる中の一人だって、この前、言ったろ? 何で復習してこない? それに心が入れ替わるような魔法の言葉なんて本当にあると思うか? 何度も言うが、相手を取っ換え引っ換えするインランな子は、アウトコントロールになったエヴァ初号機のようなもので、その暴走は誰にも止められない。蹂躙されるしかない。性の闇は深いのだ。傷つきたくなければ、離れるしかない。「しか」ないのだ。なんで現実を直視しない? いちばん認めたくないところに答えがあるとなんで認めない? なんで、すこしは未来に目を向けようとしないのか? ・・・もちろん『恋は思案の外』だってこともわかってる。自分もそうだったから。でも、こんなとこでオヤジみたいに酒で誤魔化してたら、きっと20年後も同じ姿だぞ。若くてまだ脳が軟らかいうちに、壁の棚にある本の一冊でも静かに一人になって読んでみろ。ためになることがたくさん書かれてるぞ。すこしは危機感を持て。
 ・・・ということを優しく噛み砕いてアドバイスしてやった。 
 でもまぁ、酔っぱらってるやつに何を言っても空しい。
 「マスター、ありがとう。かんぱーい!」
 乾杯じゃねーだろ。
 カウンターの端に『B-JET』のマスターの姿が見えたので、急いで挨拶に行く。
 「いらっしゃい、お久しぶりです」
 「店を開いたと聞いて、とんできたわよ。これ、開店お祝い」
 「ありがとうございます。何ですか、これ?」
 「ドンペリ」
 「わお! じゃ、今度これでゆっくり祝杯をあげましょう。・・・マスター、宮崎に帰ってたんですか?」
 オープン前に『B-JET』に開店の挨拶に行ったとき、マスターは不在だった。留守を預かっている店の子が、二か月ばかり故郷に帰っていると言った。
 「法事で帰ってたんだよ。長男だから、いろいろ手続きしなきゃいけないことがあって。でも、もうあらかた片がついた。財産はみんな弟夫婦に譲ってきた。わたしは故郷に戻る気はさらさらないしね。天涯孤独で東京砂漠でがんばってゆくわ」
 「・・・それはご愁傷さま、お疲れさまでした」
 「晁生は? 通訳の仕事はどうしたの?」
 「並行してやってます。あっちのほうが実入りがいいんで。あっちやめたら、この店やっていけません」
 「・・・だよね。何でこんな安くしてるの? ここ、そこそこ広いから、家賃もそこそこするでしょ」
 マスターはメニューボードと店内を見回しながら言った。
 「これで食っていこうって気はないんですよ。赤字にならなければいいやって経営方針でやってます。あんまり高くしたくないんですよ。若い子が来れなくなるから」
 「・・・若い子を集めて何するつもり?」
 「秘密の会員制売春クラブとか。それもピンハネしまくりで」
 とりあえず、話にのっかった。「・・・そういうことではなく、拠点をこの街につくりたいと思って」
 「拠点?」
 「まだ、具体的には何も決めてないんですが、何か始めたいんです」
 「社会的な運動とか?」
 「・・・というより、カルチャー寄りかな。差別や人権はもうほかにやってる方々がいっぱいいるので・・・まぁ協力体制は取っていきますけど。例えば、セミナーを開いて、若い子たちの起業を後押しするとか、共同会社のようなものを作って、ネットワークを拡げていくとか。できたら、治外法権の小国家みたいなのも作りたいですね」
 「小国家? いいわね、それ。乗るわ」
 「じゃ、重要ポストを用意しておきます」
 「青少年風紀担当大臣とかいいわね」
 「残念、それはもう自分に決まってます」
 「・・・だけど、晁生も大人になったね・・・いま、何歳だっけ?」
 「来月で28です」
 「初めてわたしの店に来たときはまだ10代だったものね。18ぐらいだったっけ? じゃ、あれからもう10年もたったんだ。そりゃわたしも齢を取るわな」
 「・・・そうですね、懐かしいですね」
 「いま、あのころのメンツで残ってるのはレンぐらいかな。・・・ああ、ハルキもいるわね」
 「あいつら元気ですか?」
 「うん。そんなにちょくちょく顔は出さないけど、大人になったよ。普通に社会人やってる」
 マスターは昔を懐かしむような顔になった。この街も人の出入りは激しい。
 「・・・亮とは連絡を取ってるの?」
 「取ってないです」
 「あれ以来?」
 「はい」
 「近況は?」
 「・・・知ってます。この前、テレビで観ました」
 二か月ぐらい前に『ニューハーフ特番』という特別番組が放映されていた。この街にも取材に来たらしい。「普通のゲイはニューハーフをどう思ってるか?」みたいな視点だ。そのコーナーに知ってる人間が出るというので、観ていたのだ。
 「綺麗になったよね。本当に女みたいになった」
 最初、それが亮だとはわからなかった。テロップで『人工の森 バンビさん』と出たので、わかったのだ。驚いて画面に顔を寄せて観ると、厚い化粧の向こうに確かに昔の面影があった。ショータイムの映像だった。
 晁生がそれ以上、話を膨らませようとしないので、マスターは話題を変えた。
 「で、晁生はあの後、大立ち回りをやらかして、アメリカに行ったんだよね」
 「あの節はいろいろご迷惑をおかけしました」
 「向こうの子はだいじょうぶだったの?」
 「幸いなことに後遺症は残りませんでした。半年ぐらいたったころかな、担当弁護士さんから連絡がありました」
 「このあたりじゃ知る人ぞ知る武勇伝だもんね。新聞にも載ったし」
 本当に些細なことが原因だった。チーマーっぽい一団が通りすがりに「キモてえな、死ね」と言ったのだ。晁生の友人が仲通りの路上で恋人と抱き合っていた。お別れパーティーか何かが終わった後だった。10人ぐらいの一群に晁生は1人で突っこんでいった。もちろん、喧嘩しに行ったわけではない。謝れと怒鳴っただけだ。揉み合ってるうちに晁生の肘が相手の胸に入ったらしい。そこから大立ち回りの喧嘩になった。向こうの1人が倒れた際に縁石の角に頭をぶつけた。
 「晁生、あのころ、荒れてたもんね」
 マスターはしみじみした口調で言った。
 「でも、あれは荒れてなくても行きますよ、あの場にいたら。この街は特に気の強いオネエさん方が多いし。それにここ、うちらのホームですよ」
 「そうね、あのとき、喧嘩の理由がわかってたら、きっと見てたみんなが行ったわね」
 「・・・と思います」
 「いまでも、あのことを知ってる人とか来る?」
 「たまに。それもあって、あの男がやってる店ってことで、若い子たちが来てくれてるってところもあります」
 「役に立ったわね」
 「はい、頼もしい兄貴ってことで」
 晁生は苦笑いした。
 「で、アメリカには結局何年ぐらい行ってたの?」
 「5年ちょいです」
 「ずいぶん、長い間、行ってたわね」
 「・・・ほとぼりがなかなか冷めなかったんで。永住カードを獲ろうかなとも思いました」
 「そんなに外人が良かったんだ?」
 マスターはちょいちょい『ご戯れ』を入れてくる。
 「ええ、やっぱサイズの魔力ってありますよね」
 とりあえず、一回は話にのる。コミュニケーションは大事にしないと。
 「じゃ、何で帰ってきたの? ずっとあっちでよかったじゃないの?」
 「・・・なんだか逃げたように思えてきていやだったんです。簡単にケリがつくことではないですが、もう一度戻ろうかなって」
 「向こうでの色恋沙汰は? 恋人とかできなかったの?」
 「いましたよ、普通に。いまでも、連絡を取ってる子、いますよ」
 「写真はある?」
 「ありますよ。・・・見せましょうか?」
 郵便物や名刺が入れてあるチェストの引き出しから、写真を探し出し渡した。
 「わわわ、美形じゃない? トム・クルーズにそっくり!」
 マスターは良い男を前にすると、100%オネエ口調になる。
 「・・・てゆーか、これ、トム・クルーズじゃない!」
 「ああ、間違えた間違えた、こっちです」
 隠していたもう一枚を取り出した。
 「あら、可愛い。この子、何歳?」
 「4つ下だから、いまは24ぐらいか」
 「あなた、ホントに年下の可愛い坊やが好きね」
 「兄貴の魅力っていうんですか? 慕われるんですよ」
 「で、この子を夜の国際親善でカモンカモン言わせてたんだ?」
 「お下品な話にはノーコメントです」
 今回はのるのをやめた。
 「今度、誰かお友達を紹介してよって言っといてよ」
 「来年、日本に遊びに行くかもって言ってました。そのとき、年配の人と一緒に来るらしいから、言っときますよ」
 「年配の人って何歳ぐらい?」
 「お父さんだから、50歳ぐらいでしょ」
 「いやだぁ、わたしと同い齢じゃない。わたし、若い子がいい」
 「はい、伝えておきます」
 「昔の話ですか?」
 従業員のジョージが、マスターの甲高い声で内容が聞こえたのか、話の輪に入ってきた。
 「そう。あと国際親善の話。・・・この子は?」
 「向こうでお世話になった社長の息子でジョージといいます。日系アメリカ人ってことになるのかな。父が日本人で、母がイタリア系のダブルです。日本で店をやると言ったら、来てくれて。いま、手伝ってもらってます」
 「へえ、彫りが深くてイイ男じゃない。何歳なの?」
 「26です」ジョージが答えた。
 ジョージはゴツイ系のいい男だが、筋肉はタンクトップで誇示している。
 「あんたたち、できてるの?」
 「まぁ、ぶっちゃけ、そういう時期もありましたけど、いろいろすったもんだあって、いまは友達です」
 ジョージが隣でうんうんと噛みしめるようにうなずいている。そのしたり顔に腹が立ったので、「こいつ、腰は軽いし、手は早いし、頭はいいわで手に負えないんです」と付け足してやった。
 「タチが悪いんだ?」
 「はい。狡猾で、バレないようにやるんです・・・でもまぁ結局バレて、こんななってますけど」
 「でも、はるばる手伝いに来てくれるなんて、良い友達じゃない?」
 「表向きは手伝いとか、父さんの母国を知りたいとか、いろいろほざいてますけど、本心はどこにあるのやら。店の客にはあまり手を出すなよと言ってあります。手を出しても、もめごとにはするなよ。もめごとになっても、オレにはバレないようにしろよって」
 「結局、公認じゃない?」
 「ラテンの血は止められないんですよ」
 「ジョージ、氷ちょうだい!」
 客からお呼びがかかった。オレ以上にモテモテだ。
 「でも、こいつ、さっきも言いましたけど、頭がすごくいいんです。向こうでは親父の片腕となって働いてたし、先を見る目もあるし。こっちでいろいろ協力してもらえたら心強いなって思ってます。なので、すこしは見逃そうかなと」
 



     10


 10月の穏やかな秋の日、加奈子が荷物をまとめてバンビのマンションに引っ越してきた。
 室内にはヨハンシュトラウスのワルツが流れている。
 テーブルには行きつけのフレンチからケータリングした御馳走が並んでいる。
 壁にはディズニーアニメのシンデレラが着てたような召使い衣裳が掛かっている。
 すべてバンビが用意した。
 人生は短い。生きてるうちは楽しまなくちゃ。
 加奈子はビックリしていた。でも、感激して泣いたりはしなかった。バンビが『オズの魔法使い』に出てくる悪い魔女みたいなコスプレをしていたからだ。
 顔を薄緑に塗っている。先端が二つに分かれて折れ曲がったトンガリ帽子をかぶっている。右手には革の鞭を持っている。衣裳は黒を基調としたミニの魔女ドレスだ。
 メイクがとてつもなく邪悪で意地悪そうで怖かった。口紅は真っ赤を通り越して血のよう。嗅いだことがない変な香りが漂っていた。
 「さぁ、パーティーの始まりよ」
 バンビ魔女は高らかに宣言した。
 部屋のあちこちに大勢の小人が隠れてて、出てきそうな気がした。
 「シンデレラ、この衣裳に着替えてらっしゃい」
 そうか、わたしはシンデレラなのか・・・今日からバンビさんがわたしのご主人で、わたしは召使いだ。そのイニシエーションをいま、やってるのだ。
 加奈子は壁に掛かった衣裳を手に取ると、部屋を出て、廊下で大急ぎで着替えた。部屋に戻ると、バンビさんはベルサイユ調の猫足椅子に座って待っていた。
 「よくお似合いよ、その服」
 そのまま変な間が空いたので、わたしのセリフの番かと察し、
 「ありがとうございます、ご主人様」と膝を折って、恭しく頭を下げた。
 「よろしい。では、そこに座りなさい」
 向かいのミシン椅子を顎で指した。
 「はい。ありがとうございます」わたしは腰を下ろした。
 そのままバンビさんは恐ろしい魔女メイクのまま、わたしを凝視していた。どこまで本気か、どこから冗談かがわからず、反応に困った。
 ゆっくり相好を崩すと「・・・疲れたわ」と笑った。鞭を脇に置いた。
 「ありがとうございます。こんなもてなしをしてくださって、とても嬉しいです」
 わたしは本心から頭を下げた。
 「バンビのニューハーフ王国はそなたを歓迎するぞ。今日から一生懸命に身を粉にしてこの館で働くのじゃ。わかったな」
 まだ、寸劇は終わってないようだった。
 「ははぁー」とわたしはもう一度、頭を垂れた。
 「じゃ、とりあえず乾杯しますか。お酒は飲める?」
 「すこしなら」
 「じゃ、そこのシャンパンを開けてきて」
 アイスペールに入ったシャンパンとコルクスクリューを顎で指した。
 「はい、ご主人様」
 二つ返事で答えたものの、シャンパンのコルクなど、いままで開けたことはない。悪戦苦闘してると、魔女バンビが見かねてやってきて「こうやるのよ」と言って、抜き方を教えてくれた。
 「料理は得意?」
 美味しいフレンチの御惣菜をいただきながら、懇談会は続いた。
 「あまりしたことありません」正直に答えた。
 「自分で何でもやれって環境にいたように思えるけど」
 「逆なんです。手伝いとかもあまりしなくていいんです」
 暮らしていた養護施設の内情をすこし話した。法律か何かで決まっているらしい。
 「これから一生懸命おぼえます」
 「期待してます」
 「何か規則みたいなものがあったら、教えてください」
 「規則? NGなこと?・・・そうね、友達や男を呼ぶのはNG。・・・そのぐらいかな? 何しろこっちも人と暮らすなんて16のとき家を飛び出て以来だから、まだ勝手がよくわかりません。一緒に毎日を過ごしながら考えていきましょう」
 「わかりました。・・・どうもすみません、いろいろご迷惑をかけてしまって」
 バンビさんはわたしのボヘミアンな生活の窮状を見かねて、声をかけてくれたように思える。家の仕事をする代わりに、生活の面倒は見ると言ってくれた。ちゃんと家の仕事をして、恩に報いなくては。
 でも、それと同時に、バンビさんと暮らせるなんて本当に夢のようだと胸の高まりも隠しようがなかった。どんな生活なのかは、実際に暮らしてみないとわからないけど、すごく楽しみで、すこし不安だ。
 「バイトとかも無理にしなくていいからね。学生なんだから、いまは学業に勤しみなさい。何か必要なものや欲しいものがあったら、遠慮なく言いなさい」
 「はい。ありがとうございます」
 「・・・なんかわたし、母親みたいね。保護者みたいだわ」
 自分で言ってておかしくなったのか、バンビさんは笑った。「大学だから授業参観とかはないわよね。PTAとか、そういうのは何かあるの?」
 「・・・ないと思います」
 「学費とかはどーなってんの?」
 「・・・いまは父親が半分出してくれてます。あと半分は奨学金で賄っています」
 「・・・父親とは会ってるの?」
 「会ってません。幼いころに何回か会ったきりです。向こうにも新しい家庭があるので・・・いまは生活も安定してるらしく、学費を半分出してくれる約束をしてくれました」
 「・・・お母さんは?」
 「死んだと聞いています」
 「写真とかは?」
 「ありません。記憶もないです」
 「・・・茨の道ね。お察しします」
 「バンビさんは、おうちはどんな感じなんですか?」
 「うちは幼いころ離婚して、母親がわたしを育ててくれてたんだけど、中学生のとき新しいお父さんが来て、わたしがうまくやれなくて、16のとき家出。そして現在に到る・・・って感じです」
 「お母さんと連絡は取れてるんですか?」
 「取れてません。いまは取ろうともしてません」
 「・・・バンビさんもいろいろあったんですね」
 「はい・・・いろいろありました」
 「お察しします」
 「じゃ、これからは2人で幸せな家族をやっていきましょう」
 バンビさんは玄関を入ってすぐ左の、納戸で使っていた6畳の角部屋をわたしにあてがってくれた。廊下に沿って隣室は同じく6畳の衣裳部屋で、その隣はバンビさんの寝室兼個室だ。その先にいま一緒にいる20畳ぐらいのLDKがある。お風呂やトイレは廊下を挟んでわたしの部屋の向かい側にある。3LDKの間取りだ。
 持ってきた荷物を自分の部屋に運びこんだ。大きなスーツケースと大きな肩掛けバッグ。持ちきれなかった残りのものは明日宅配便で届くことになっている。
 テレビやトースターや食器などの生活用具はすべて同居していたゆかりにあげた。ゆかりには本当のことを話した。親友だし、定期的に連絡が入る施設の人も心配するからだ。落ち着いたら電話するねと約束した。
 部屋には何もなかった。カーテンもないし、家具もない。天井に蛍光灯はついていた。ずっと雨戸を閉めっぱなしだったそうだ。
 これからバンビさんと家具や生活必需品などを買いに行くことになっている。
 さ、LDKに戻り、食べ散らかした食卓や部屋の掃除をしなくては。
 今日から新しい生活が始まる。




      11

 
 バンビさんの1日はだいたいこんな感じだ。

 ◎お昼ごろ    起床&昼食
 ◎デイタイム   ダンスや歌のレッスン
 ◎夜7時     夕食
 ◎夜7時半    出勤準備
 ◎夜8時半    出勤
  (夜9時 ~ 翌2時『人工の森』勤務)
 ◎3時過ぎ    帰宅
 ◎6時ごろ    就寝  

 同伴出勤の日はいつもより早く出る。
 出勤前に美容院やネイルサロンに行く日も多い。
 からだのケアに病院やエステも定期的に行く。

 わたしは基本8時半から夕方4時半まで大学に通っている。
 大学から帰ってくると、バンビさんが出勤する8時半まで一緒に過ごす。夕食の支度をして、食べながら一緒にテレビを見たり、話したりする。
 バンビさんが出勤すると、わたしは洗い物や掃除や洗濯や、家事をする。一通り終わると、自分の時間となり、お風呂に入って12時ごろに寝る。
 バンビさんが仕事から帰宅するとき、わたしは眠っている。学業に響くから寝てていいと言われている。わたしが6時に起きるとき、バンビさんはもう眠っているか、寝ようとしてるときだ。わたしはバンビさんのお昼ご飯の用意をして、学校へ行く。サンドイッチや調理パンを作るときもあるし、ご飯を炊いて鮭や卵を焼いてお味噌汁を用意しておくこともある。
 バンビさんの休日は、日曜月曜祭日だ。わたしの休校日は日曜祭日だ。
 休みの日はゆっくり過ごしたり、買い物のお付き合いをしたり、一緒に外食したりする。

 バンビさんとの生活もだんだん慣れてきた。

 今日は日曜お休みの日。
 わたしはいつもより1時間早い5時に起きると、パジャマのままトイレへ行った。異常なし。玄関へ行くと、バンビさんの白いハイヒールが転がっていたので、手に取り、ウェットティッシュで汚れを拭き、きちんと並べた。1時間早く目覚めてしまったのは、何やら騒がしかったからだ。だいぶ酔っ払って帰ってきたようだ。リビングに行くと、ドレスやコートが脱ぎ散らかしてあった。本体はいない。
 この前はソファでうずくまるように寝ていた。まださほど寒くないのに暖房を入れてるから風邪は引かないと思ったけど、ソファだとからだが休まらないだろう。抱えて寝室まで連れて行った。バンビさんはヒールを脱ぐと、160ちょいで、意外に小さく軽い。ベッドに横向きに寝かせて、布団をかけた。化粧を落としてなかったけど、わたしは落とし方をよく知らない。今度、教えてもらおう。シリコンのせいで寒がるので暖房を入れて、部屋を出た。
 今日はちゃんとベッドで寝てるのかなと思い、リビングを出て、バンビさんの寝室を覗いた。明かりがついている。ベッドにもぐりこむように寝ている。後ろ髪のスパンコールが光っている。ドレッサーの様子から化粧は落としてないと思うけど、この体勢ではなすすべもない。近くに行き、呼吸しているのを確認し、明かりはそのままにして部屋を出た。空気が乾燥してるので、暖房はつけなかった。
 リビングに戻り、床のドレスを拾い、汚れやダメージをチェックした。問題なし。ブラッシングして、形を整えて、ハンガーに掛けた。隠しポケットに手を入れると、折り畳まれた1万円札が2枚出てきた。同様にコートを拾い、外観をチェックする。問題なし。ポケットから玄関の鍵と携帯と財布を回収し、テーブルの上に置いた。ソファに放られていたシャネルのバッグを拾う。中のものを丁寧に外に出す。化粧品と香水はきれいに拭いてドレッサーの上に。裸のお金と名刺はそれぞれクリップで挟んで、さっきのお金も足し、チェストの所定の場所に収めた。衣裳、所持品チェック完了。
 掃除機はうるさいからバンビさんが起きてからかけよう。
 さて、どうしようかな?
 バンビさんが起きてくるのは午後だろうから、午前中がまるまる空く。お昼ご飯の用意は11時ぐらいからで間に合うだろう。家食だろう。納豆でいいかな。ご飯を炊いておこう。
 先週はリビングでバンビさんが映っているビデオを観て過ごした。
 今日は外にでも出てみようかな。
 近所の探検にでも行ってみよう。




      12


 楽井未来は巣鴨にある実家に来ていた。
 今日は祖父ちゃんの命日だ。絶対帰宅となっている。
 しかし、わたしは法事には出なくていいと言われている。わたし的には出てもいいのだけれど、出なくていいと言われている。出るなということだ。まだ、親戚公認ではないのだ。
 実家には父と母、祖母が暮らしている。古い趣きのそこそこ大きな家だが、豪邸ではない。弟はコロラドに留学中だが、今日は帰ってきている。絶対帰国なのだ。
 仏壇に位牌が戻され、持ち帰った供物やなんやらが並べられ、何回忌とかの法要がつつがなく終わったこれからが、わたしの供養タイムとなる。わたしは父母に一礼し、お座布に座り、今度は祖父ちゃんの遺影に一礼し、おりんをチーンと鳴らし、お線香をあげて、手を合わせる。写真の祖父ちゃんは今年も笑っている。いつのまにか女になった孫が来て、喜んでるんだか、悲しんでるんだか、わからない。
 さて、用事も済んだし、さっさとおいとましてもいいのだけれど、今年も居間に席が用意してあるみたいだ。家族5人が年に一回水入らずで顔を合わせる。わたしは『未来会議』と呼んでいる。
 24歳になった弟は、会議の間、ほとんどわたしを見ない。話もしない。どう接していいかいまだにわからないようだ。5年前に急にお姉ちゃんができたのだ。無理もない。もともと、よく話したり一緒に遊ぶという兄弟ではなかった。たぶん死ぬまでこんな関係が続くのだろう。だんだん父にクリソツになってきた。守るものばかり増やし壁を築いていく人生だ。
 昨年に喜寿を迎えた祖母は自分の意思で生きているのかよくわからない。ずっと死んだ祖父ちゃんの影だと思っていた。いつも後ろにいた。
 母も似たり寄ったりだ。わたしのせいで余計に肩身が狭くなったようだ。
 ・・・ということで、父とわたしが話さなければ、この席には会話がない。ただ、黙々と用意された食べものとお酒を口に運ぶだけだ。実際、1年目はお通夜のようだった。いなくなった長男を偲び、忽然と現われた長女を畏怖する。
 でも、いまはだいぶ、明るくなってきている。第一に、わたしの豹変は家族の間で認められている。それどころか、表向きは応援されてもいる。
 父にどんな変化があったのか、詳細はわからない。ただ、ボストンにいたときだったが、父から突然電話があり、お前が真剣に問題に向き合ってるのなら、とある大学の教授に会えばいいと言われた。思い返せば、それが最初の『つて』だった。正直な話、自分は留学生という立場で図書館や研究機関を訪ね回っていたが、これといって成果はあがっていなかった。会った大学教授は同性愛研究のオーソリティーで、そこから医学者、マスコミ関係者、活動家などと『つて』がゆっくり拡がっていき、わたしは最終的に最先端の知識や情報を得ることができた。もちろん、独自に動いたことも多い。東洋人好きや変質者に襲われそうになったことも数知れない。
 性転換手術をタイで受けたときも、家族には相談しなかった。賛成してくれるはずもない。帰国し、しばらくリハビリした後、就職活動を始めた。普通の女性として働きたいが、障壁がバカ高いのはわかっていた。しかし、第一希望の広告代理店で正直に思いの丈を話したところ、すんなり採用となった。自分の熱意が通じたのだと当時は思っていたが、裏から何らかの手が回っていたのかもしれない・・・なんていまは思う。
 父は変わり身の早い人だ。でなければ、有能でも切れ者でもないのに、財務省の事務次官にまで昇りつめられるわけがない。自分の家がいわゆる名家の端くれだと知ったのもそのころだ。祖父ちゃんも官僚だったし、親戚には政治家もいる。
 ただ、父にそこまでの力があるとは思えない。あるとしたら、父の上にいる人たちだ。
 「それで仕事はうまくいってるのか?」
 父が口を開いた。だいぶ、酔っぱらっている。お酒を飲むと明るく楽しくなる人なので、そこは助かる。
 おかげさまで・・・と応えればいいのだろうが、そうとは応えないから、いまの自分がある。でも、面倒臭いから「おかげさまで」と答えた。
 「なにか、ミキは年々綺麗になっていくな」
 女性の息子に慣れたのだろう、今年はわたしをきちんと見ながら言った。ミキと呼んでくれるようにもなった。
 こういう切り替えの早さと配慮が、出世の階段を一段ずつ増やしてきたのだろう。
 「なぁ、母さん」
 振られた母は「ええ」と微笑んだ。その後「ホント、娘ができたみたいですね、お父さん」と付け足せば、母として合格。「わたし、実を言うと本当は娘が欲しかったんですよ。願いがいまになって叶いました」とまで言えば、更に好感度アップなのだが、そうは言わないから、お母さん今日のあなたの立場がある。
 「黒のフォーマルを着てるからじゃない? 喪服の女は綺麗に見えるのよ」
 わたしは適度な謙遜を入れて、礼を返す。
 「そういうものかなぁ」父は言って、今度は弟を見る。
 弟は好物の出汁焼き卵を食べながら「そういうものじゃない」と顔も上げずに答える。
 つまらない時間をだらだらと過ごすのは非生産的で好きじゃないので、ここは自分が芸者にでもなって場を明るく盛り上げようかなんて考えるけど、それが突破口となって様変わりする家族とも思えず、結局疲れて、やらなければよかったと後悔するのが目に見えているので、あと15分もしたら何か用事があると言って、おいとますることにしよう。今年は別に大した話もなさそうだし。
 さて、この後はどうしようかな? 
 先生に抱いてもらおうかな。今日は午後からオフだって言ってたし。喪服の女は先生の妄想を刺激するかしらん?
 祖父ちゃんの命日だっていうのにそんな罰当たりなことをあれこれ考えながら、台所でフルーツやらお菓子やらのお裾分けを袋に詰めてもらっていたら、家に帰ってきて完全にリラックスし追い酒でデキあがった父がよろけながらやってきて、食卓の椅子にどかっと落ちるように座った。
 「樹生、お前、将来、大臣になるらしいぞ」と言った。
 「だからミキオじゃないって」
 父は飲み過ぎレベルに突入すると、わたしを本名で呼ぶ。
 「え・・・いま、なんて言った?」
 「お前、大臣になるんだってさ。森山さんが言ってた」
 「森山さん?」
 「森山政務次官だよ」
 「大臣って? 政治家の?」
 「そう・・・候補の一人らしい。まだまだ先の話みたいだけどな」
 また、酒の席の話か・・・こういうインサイダー情報は、話半分以下の四分の一ぐらいで聞くのがちょうどいい。計画変更になることもあるだろうし、ギミックのときもあるし、ただのホラ話のときもある。でも、25%の信憑性はあるということだ。広告業界にもその手の話は山ほど渦巻いている。基本、この世界は利権で動いている。偶然に起きることなんてほとんどない。すべては偶然に見せかけた必然だ。
 父は昔から、こういう話をぽろぽろと口に出す。基本、エリート意識が支えている人なのだ。まぁ内幕情報は優越感をくすぐるから誰でも言いたくなるよな。
 しかし、大臣って何の大臣だ?
 「新設の大臣らしいぞ・・・ほかにも芸能界を中心にいろいろ候補がいるらしい」
 芸能界? ということは、やはりオネエ、マイノリティの代表みたいなものか?
 いいでしょう。喜んで受けましょう。

 さ、お土産持って、先生のとこへ行こう。






0 Comment

Comment Form

  • お名前name
  • タイトルtitle
  • メールアドレスmail address
  • URLurl
  • コメントcomment
  • パスワードpassword

PAGE TOP