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夜 眠る前 に 読む 物語 ⑧


         女王


      1
 

 僕らを乗せた飛行機が海に落ちたのは15年前の話だ。
 南の楽園へ卒業記念旅行に行く途上だった。
 僕ら12人は、無人島に流れ着いた。どこまで行っても涯がないような島だった。
 ラッキーなことに食料は探せばあった。僕らは落ち着きを取り戻すと、眺望と安全がきく高台を選んで集落を造った。
 女子は島村麻生だけだった。名前を誰も思い出せない、地味な女だった。
 「みんな、こことは違うどこか美しい島に流れ着いて、幸せにやってるに違いない」
 島村は言っていた。「わたし1人が呪われて、男生徒の中に放りこまれた」
 女生徒は飛行機の前方に座っていた。飛行機は機首から海に突っこんだと思われる。後方の非常口近くに乗っていた僕らは脱出する時間があった。島村は「気分を悪くして」その付近の空いてる席に横になっていた。ただ、それだけのことなのだ。
 僕らは『掟』をつくった。彼女を女王とし、集落の中央に住まわせる。実権のない、お飾りのようなものだ。そしてそこは合議による許可なくしては立ち入りができない禁区とした。その程度の知恵が働く程度には僕らは大人だったのだ。唯一生き残った女が、僕らの結束に亀裂を入れる魔物にならないかと恐れていた。

      2

 それでも最初のころはうまくいっていた。島村は精神のバランスを崩していたし、僕らはライフラインを確保することに忙しかった。島村は僕らが造った丸太小屋宮殿でおとなしく静養していればよかったし、僕らの毎日は集落を離れた島の探検と冒険にあった。
 それというのも、待てど焦がれど、救援隊が来なかったからだ。僕らは野生の生活に慣れる必要があったのだ。毒蛇に咬まれて、井上が死んだ。高田は東のジャングルへ行き、行方不明のままだ。
 島村が突然、僕らに命令を発したのは2か月が過ぎたころだった。丸太小屋のテラスに生白いもやしのような姿を現わし、朝の集会をしていた僕らをぎょっとさせた。
 「宝物を献上せよ」と言った。まるで女王のような口振り、尊大な態度だった。
 「かなり、キテルな」と頭を指差し、言ったのは松山だ。
 「例えば、どのようなものをお望みでしょうか?」とお茶らけて切り返したのはミツオだ。
 「美しい鳥の羽根を」と島村は答えた。
 その日の夕刻、僕らは狩猟や探検の合間に集めた鳥の羽根を、丸太小屋のテラスに置いた。
 次の日の朝、島村はそれらを髪飾りにして現われた。インディアンの娘のように伸びた黒い髪に挿して。
 「美しい珊瑚を、貝殻を」島村は僕らに命じた。
 珊瑚や貝殻は蔦や蔓でつながれて、ティアラや指環や首飾りなど装飾品になった。海の底から引き上げられた大きなアルミ板は加工されて、彼女を映す鏡となった。
 「獣の毛皮を」
 毛皮や革は彼女が纏う衣服となった。
 「美しい花を、植物の実を」
 おしろい花の種や、亜熱帯の噎せ返る色とりどりの花や果実は、化粧品や香水や染料となった。
 僕らは不思議でならなかった。彼女が美しく装う必要なんて、どこにもなかったからだ。島村は女というだけで、異質な存在なのだ。はじめは面白がって見ていた僕らだが、すぐに当惑に変わった。
 僕らが住む小屋は、彼女が鎮座する丸太小屋宮殿を取り囲むように建てられていた。島村は救出された後に綴った自伝の中で「多くの光る目が自分を監視し、いまにも殺しに来るようだった」と書いているが、それは間違いだ。そのころはまだ僕らはさほど彼女に関心はなかったし、必要ともしてなかった。きっと不安定な精神が生んだ被害妄想だろう。

       3

 いつしか僕らの生活は彼女を中心に回るようになった。
 僕らは表にこそ出さなかったが、みんな、彼女を見ていた。そしてそれは救出の希望が潰えるに従って、強くなっていった。
 僕は知っている。みんな、彼女を秘かに想い、狩りに出た森の茂みで、魚や貝を獲る岩場の蔭で、蝙蝠が棲む湿った洞窟で、無為な白い涙を流していたことを。
 だから、裏切り者が出るのは時間の問題だった。まず、食事の給仕当番から『掟』破りが出た。僕らは民主的に交替制を採択していた。また、給仕当番を監視する係も常時2名置く。けれど、中西は監視係など、眼中になかったようだ。寝台でまどろんでいた島村のくるぶしに、熱に侵されたように発作的に跳びついたのだ。
 裁判が開かれた。中西は「空腹と高熱でうまそうなヤギの脚に見えたんだ」と泣きながら謝ったが、全員一致で有罪。刑は『漂流』。助けを呼びに大海原を粗末ないかだで彷徨うことだった。厳しい処置だったが、意味不明の熱が僕らを団結させ、非情にした。中西は二度と島に帰ってこなかったし、救援船が現われるということもなかった。
 しかし、裏切り者は2人、3人と続いた。その数が5人を超えたとき、さすがに僕らも事の深刻さに気づき、共同体の危機を感じた。明日には自分が熱に浮かされ、自分を見失ってしまうのではないかと思えたのだ。
 「いっそのこと彼女を海に漂流しよう」という意見も出た。けれど、それはできない選択だった。それこそ、僕らは亡国の民となり、涯のないこの島を煉獄のように彷徨うことになる。
 「残された4人で彼女を共有しよう」という案も出た。1日ごとの交替制で、王様になるのだ。しかし、彼女を説得できるか? また、彼女が誰か特定の王様を気に入ってしまったときはどうしよう? 潔くあきらめきれるか? 家来の位置を甘んじて受けられるか?

       4
 
 しかし、すべては杞憂だった。
 いつしか、僕らが気づかない間に、島村は本物の女王になっていたのだ。
 手を出そうにも出せない、触れようにも触れられない。
 刑を受けた5人の男たちは、彼女を襲ったり、恥ずべきものにしたわけではない。5人目の高橋などは、真夜中に宮殿の寝室に忍びこんだものの、近づくことすらできなかったと弁明していた。彼女は冷たい氷のバリアーみたいなものに包まれて寝ていたと言うのだ。
 僕らも食事や日常の世話をするときーーいまでは全員で行なっていたーーそれは体感的に察知していた。何か硬質で荘厳な光のようなものを発していて、知らず、そこにひれ伏し跪いている自分を発見するのだ。会話はあいかわらず必要最小限のやり取りだけで、僕らと女王の間に日常的なコミュニケーションはなかった。
 実権は僕らの手中にはない、ということを僕らは日を追うごとに知っていった。僕らは女王の命令を待つしかなかったのだ。
 ある晴れた日の午後、島村女王はテラスに出てきて、言った。
 「東へ、西へ、南へ、北へ、それぞれ助けを求めに出発しなさい。わたしに1年分の食糧を残し、それが尽きる前に良き報せをもって戻ってくるのだ。わたしの死にも等しき孤独を打ち破る者をわたしの伴侶、この島の国王とする」
 東、西、南、北の振り分けは籤引きで決められた。僕は北になった。しかし、4人の男に傅かれて、この島で幸福に暮らすという選択肢はなかったのだろうか?

 僕は太平洋を朦朧と漂流しているところを大型の貨物船に発見され、救助された。

       5

 僕らが漂着した島を見つけ出すのは困難を極めた。
 救助されて2か月がたっていた。日に日に僕も回復し、捜索隊に加わることになった。
 僕はある島の海岸の草むらに2艘のいかだが打ち上げられてるのを、上空のヘリコプターから発見した。どういうことだろう? 誰かが戻ってきたのか?
 ヘリがしばらく島を旋回し、着陸ポイントを探し、再び海岸に戻ってくると、眼下に大きく手を振る人間の姿があった。誰だろう? 島村ではない。男だ。
 ヘリが地表に近づくにつれ、それが誰だかわかった。
 ジャングルで行方不明になった高田だ。・・・どういうことだ?
 高田は衰弱していて、話す余裕もなく、すぐに担架でヘリに収容された。彼はその後、病院に搬送されたが、1週間後に亡くなった。
 いかだは、東へ行った岩谷と西へ向かった梅田のものだった。彼らは島に戻ってきたのか?

 島村は『女生徒の生還』という自伝の中で、そのくだりをこう書いている。
 
 島での男の子たちとの生活はまさに地獄の聖戦のようでした。
 わたしは1人、男たちの獣性と戦っていたのです。
 4人の男の子たちの争いになったとき、わたしは決心し、選ぶことにしました。
 わたしという存在を本当に心で必要としてるなら、その男はすぐに戻ってきて、この島で永遠にわたしと暮らすことを選ぶと思ったのです・・・


 嘘だと僕は思った。
 島村は嘘をついている。


 ・・・でも、誰も戻ってきませんでした」





                    (了)





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