比留間久夫 HP

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彼女とドライブと佐野元春


 23歳のとき、彼女とあてのないドライブに出た。
 レンタカー屋でいちばん安い車を借り、かき集めた5万円ばかりの金をポケットにねじこんで。
 車に積みこんだのは、ラジカセと佐野元春のテープ。それに彼女が毎日3回ずつ着替えるんだとトランクいっぱいに詰めこんだドレスや靴やアクセサリー。
 佐野元春のテープは、僕が前日に彼の4枚のアルバムからセレクトしたものだった。僕は彼の歌が好きだったし、彼女も大好きだった。
 スタートは『アンジェリーナ』ではなく、『スターダストキッズ』にした。何故だかそういう気分だったし、彼女の夜のバイトが終わるのを待って、出発を真夜中にしたからだ。彼女はアルコールが入っていて、狭い助手席で、曲に合わせて、フラダンスや60年代風ダンスを踊ってふざけた。僕は佐野元春の歌とダブルトラックで流れてくる彼女の陽気なハミングを聴きながら、これが最後のドライブになるのかもしれない・・・なんて複雑な気分だった。
 彼女と出会って、1年がたっていた。彼女は寂しがり屋で、嫉妬深く、情緒不安定で、毎日5回は電話をかけてきて、何にも縛られたくない自由に生きたい僕を混乱に陥れた。僕はそのころ、つまらない会社を辞めたばかりで、世界を1人で放浪する旅に出ようと計画を立てていた。知らない場所へ1人で行き、自分がどのくらいできるか、本当はどんな人間であるのか、知りたいと思ったのだ。むろん、彼女には打ち明けてなかった。話したら、一緒に行くと言うに決まっている。
 僕は1人で行きたかった。独りでなきゃ意味がないのだ。
 246から東名高速に乗り厚木で降り、車は海をめざした。海が見えると、海岸線を南へ走ることにした。
 『ハッピーマン』『ナイトライフ』『シュガータイム』・・・彼の軽快なナンバーが、リアシートから、海岸線のカーブでリズムをとるように右に左にゴロゴロ揺れながら、車内に鳴り渡っていた。まるで、こどもと大人の間で揺れ動く不安定な心を歌う、彼の歌を強調するように。
 熱海で、僕たちは海から昇る太陽を見ながら朝食を食べようと、開いているファミリーレストランを見つけて、車を降りた。
 「・・・わたしが元春を好きなのはね」
 彼女は席に座ると、車中の話の続きをした。「彼が他人の傷みをちゃんと自分の傷みとして歌ってるからよ。そこがほかの自分だけいい気持ちになってるメッセージソングと違うところだわ」
 サリンジャーの小説を読むように彼が書く詞を2人で読み解くのが僕らは好きだった。映画を観ても、彫刻を観ても、バレエを観ても、お互い感想を言い合って、意見が違うところはたまに喧嘩になりながらも掘り下げて、僕らは互いが違うということを知ってきたし、違うところに惹かれてきたし、自分を客観的に見つめることもできた。
 僕は彼女のことが好きだった。好きなものや、価値を置くものもとても似ていて、話をするのが楽しかった。
 でも、彼女は元春のコンサートには行かなかった。一度、行ったことはあるそうだ。
 佐野元春は、部屋や車の中で、レコード音源を聴いているのがいちばん良いそうだ。それが彼のエッセンスがすーっと胃に落ちてくる適温だそうだ。「砂糖とアルコールをすこし入れた冷めかけのエスプレッソ」と彼女は表現していた。
 コンサートの彼は熱くなりすぎて、客も熱くなりすぎて、ついていけない。間違っても、総立ちになって、みんなで大声で合唱する歌じゃない。『アンジェリーナ』のサビの「今夜も愛を探して」のところで、バンドメンバーや客が拳を振り上げて、一緒に叫ぶように歌うでしょ。いったいどこに気合を入れて「愛を探す」傷ついたティーンエイジャーがいるの?
 「まぁ、コンサートはまた違う場所だし・・・彼は優しいサービス精神旺盛なロックンローラーでもあるし・・・」
 僕は中立な立場をとってフォローを入れたが、彼女が言ってることはよくわかった。彼らは、歌の主人公たちの心の深いところを理解してないのだ。
 僕は『さよならベイブ』が好きだった。誰の力も借りないと固く心を閉ざしてしまう恋人に、やりきれなさを覚えながらも、最後に「いつまでもキレイでいてね」と精一杯の別れの言葉を告げる歌の主人公が好きだった。そしてその後に『いつの日も迷わないでね』と続けるのだ。僕にはそれが「どんな辛いときでも自殺だけは選ばないでね」と言ってるように聴こえた。
 「わたしね、思うんだけど・・・」
 その話のとき、彼女は言った。「彼には、あと1年、彼女を待っててあげてほしかった。誰でも依怙地になって、恋人にも弱さを見せられないときがあるから」
 「1年か・・・」
 「うん、目安よ目安。若いときって、ちょっとしたことで変わったりする」
 結局、僕たちは一泊もしないで、そのまま、その日の午後には東京に戻ってきた。彼女のバイト先から電話があって、どうしても出勤してくれと頼まれたからだ。彼女目当てのリッチマンが急に来ることになったと言う。彼女は可愛く、明るいから、人気があったのだ。
 僕の1人世界放浪計画はついに言えずじまいだった。そしてそれは、あれから半年たったいまでも、言えてない。言うからには、最悪、別れるという覚悟が必要だ。
 僕らは2か月前から、一緒に暮らしはじめた。長い時間、一緒にいるようになると、いままで見えてなかった互いの嫌なところや我儘なところや癖などもわかるようになる。でもそれは当たり前のことだ。我慢したり、やり過ごしたり、改善していけばいい。
 僕の1人放浪計画は、とりあえず、僕の中で待てるだけ待って、彼女にはそれに備えて、すこしずつトレーニングを積んでいってもらう予定だ。僕がどこかに出かけても、ほかの女の子に目移りすることなく、絶対に帰ってくるって安心感を、彼女の心の中に毎日鉄骨をすこしずつ運んで、いつの日かエッフェル塔のように建てればいいのだ。
 彼女は頭がいい。きっといつか、留守番をして、僕の帰りを待っててくれるようになるだろう。
 大好きな佐野元春を聴きながら。





     『MRh』1993年4月号 music 寄稿を加筆訂正


 これは『ミスターハイファッション』という月刊誌の【 MUSIC 】欄に、「好きな音楽について何か書いてくれ」と言われ、「じゃ、佐野元春を短篇仕立てで書いてみます」と引き受けたものです。それを今回、大幅加筆訂正しました。
           ・
 じゃ、佐野元春についてもうすこし。

 佐野元春をはじめて聴いたのは1980年でした。2枚のアルバムを出していて、その中からとっつきのいい『アンジェリーナ』『さよならベイブ』『悲しきRADIO』『ガラスのジェネレーション』『ナイトライフ』をカセットテープに落とし、持ち歩いて、聴いていました。
 当時、1人称で歌うことに行き詰まって音楽をやめてた自分に、彼の歌は暗い海の底から引き摺り上げてくれる光のように感じられました。彼は2人称3人称で、物語のように情景を描写し、登場人物の口から描写から、若い子たちの苛立ちや不安や怒りや喪失感を表現していました。
 そうか、こういう表現方法があったんだ・・・自分の口から、ことさら1人称で、怒りや苛立ちや悲しみを叫ばなくても、舞台を設定し、登場人物の口や描写からそれらを表現させればいい。それにそのほうが表現の幅が広がるし、言いたいことも他人に良く伝わる。自分が表現したい世界観もつくることができる。
 佐野元春の書く詞やメロディや歌唱はクォリティが高く、カッコ良かった。ロックしていた。そして何より、嘘っぽくなかった。心を打つものがあったし、深く伝わってくるものがあった。
 1年半後、僕は音楽に復帰した。自分で歌うのをやめて、ほかの子に歌わせることにした。自分たちの世界観をつくって。
 佐野元春の音楽がなければ、その復帰はもっと遅かったか、なかったと思う。




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