比留間久夫 HP

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HP2000(仮題)37 38



      37


 「わたし、マンションに帰ってましょうか?」
 加奈子は化粧を落としているバンビに聞いた。
 さっきまでテレビの取材陣が部屋にいた。今日のイベントがワイドショーで採りあげられるらしい。普段のバンビさんの映像が欲しいとのことだった。
 「なんで?」
 バンビは怪訝そうに聞いた。
 「だって、さっきの元カレさん、部屋に来るんですよね?」
 イベント会場からの帰りのタクシーの中で、バンビさんは教えてくれた。8年前に別れた元カレと偶然さっきの席でバッタリ会ったのだと。ビックリして、息が止まりそうだった。
 「・・・何か変なこと考えてる?」
 「・・・はい、考えてます」
 「だいじょうぶ。晁生は女には興味ないから」
 「・・・わたしのことじゃなくて」
 「あら、わたしのことを言ってるのよ」
 バンビは失礼ねって顔をして加奈子を見た。「・・・彼はね、ゲイで女の子には興味ないの。女の恰好をした、もと男にもね。もっとはっきり言うと、嫌いなの。・・・わたしがまだ男の子だったときの彼なの。別れた理由はわたしが『女』になりたいって言ったから。わたしは最終的に彼じゃなくて、『女』になることを選んだの」
 バンビさんはホテルのこの部屋に戻ってくると、大急ぎで花魁のメイクを落とした。鬘や衣裳はレンタルなので、会場のスタッフルームで業者に返した。
 普段のメイクに戻した。髪を整えて、ジバンシーのドレスを着て、香水をつけて、隣室で待っていたテレビスタッフのところへ行き、愉しく応対した。
 そのメイクをいま、また落としている。気に入らないのだろうか?
 「ああ・・・話してたら、また悲しくなってきちゃった。加奈子、悪いけど、頼まれごとを聞いてくれる?」
 「はい」
 「マンションに戻って、服を取ってきてくれる? この前、打ち合わせのときに着てたブラックのソフトツイードのセットアップ憶えてる? あれを持ってきて。あと、あのとき履いてたヒールとストッキングも。ネックレスもね。あと、普段使いの化粧品が入ったバニティケースも。大急ぎでね、タクシーを使って」
 「・・・はい」
 加奈子は備え付けのメモ用紙に、いま言われたものを大急ぎで書いて確認を取った。元カレと会う服だろう。バンビさんはバスルームに入った。

 イベント会場の廊下で彼と話してから、バンビさんはずっと低空飛行になっている。仕事はちゃんとこなすのはさすがプロだけど、その後の落差が激しい。急降下する。
 今日はショーも終わって、ハードな日々からやっと解放される日だったのに。そのショーも大成功だったのに。ニューヨークから来たプロモーターさんにもビッグな話をいただいた。わたしも分不相応に褒められた。テレビ取材も入って、今日のイベントも全国ネットで放映される。なのに、元カレと再会したことで、全部が吹き飛んでしまったみたい。
 きっとまだ、元カレが好きなんだろう。

 大きな荷物を手にホテルの部屋に戻ると、バンビさんはドレッサーに座り、じっと自分の顔を見ていた。
 まだ、元カレは来てないみたいだ。間に合った。
 2時間後ぐらいと言ってたから、午前1時に来るとして、予定通りなら、あと10分ほどだ。急いで着れば、間に合うだろう。
 「加奈子、この化粧どう思う?」
 バンビさんは鏡から目は離さずに聞いてきた。
 バッグからセットアップスーツを取り出し、皺が寄らないようにすぐにハンガーに掛けてから、バンビさんの背中に回って、鏡に映るその顔を見た。
 化粧をしてないみたいだ。ほぼ、素顔だ。ファンデは塗ってるけど。口紅もグロスを塗っているだけかも。
 「化粧をしてないように見えますけど」
 「普段が濃いからね。これ、ナチュラルメイクなの」
 「バンビさん、素顔はかなり童顔だから、可愛らしい感じになりますね」
 「男の子っぽい?」
 「そうは見えません。ただ、いつもとだいぶ印象が違います」
 「化粧品、持ってきた?」
 「はい。いま、持ってきます」
 バッグの中からバニティケースを取り出し、蓋を開けて、ドレッサー台に置いた。
 「これじゃ、服と合わないもんね。ラフな白シャツとジーンズって感じ」
 バンビさんはボックスから化粧品を取り出した。
 「どう思う?」
 そう言われても、白シャツとジーンズは持ってきてない。第一、そんな恰好をしたバンビさんを見たことがない。
 「わたしも、持ってきたスーツには合わないと思います」
 「そうよね、このメイクじゃ、フォーマルじゃなく、カジュアルだもんね」
 バンビさんは薄くアイラインを引きはじめた。口紅も引いたけど、おとなしめの色だ。目蓋の上を青黒系ですこし暗くする。
 髪も洗って、ブローしたみたいだ。ふわっとナチュラルな感じで仕上げている。
 「これでいいわ」
 そう言ったけど、あまり変わってない。
 バンビさんは持ってきた服に着替えはじめた。
 着替え終わると、壁の大きな鏡の前に立って、点検した。ちょっとおめかしして授業参観に行く母親みたいに見える。
 ネックレスを選んで、靴も履く。その暗く険しく浮かない顔を見てると、これからお葬式に行くのかとも思う。
 「いま、何時?」
 「1時です」
 「そろそろね」
 「携帯電話の番号を知らせておけばよかったですね。気が回りませんでした」
 「・・・わざと教えなかったの」
 バンビさんは鏡の前で、シャツの襟を立てたり、ジャケットのボタンを外したりしている。
 「だって、これから電話が鳴る度、晁生かもしれないって思うでしょ」
 部屋の電話が鳴った。
 バンビが取ろうとしないので加奈子が取る。フロントからで、川西さんという方がお見えになられてるがお通ししていいかと聞かれた。バンビに伝える。
 「いい。わたしが下りてくわ」
 バンビさんの言葉をフロントに伝える。
 「わたしはどうしてたらいいですか?」
 「部屋でお留守番してて。・・・今日はちゃんと帰ってくるから」
 バンビさんはドアのところで不安そうに立ち止まった。
 振り向き「どう?」と加奈子に聞いた。
 いつものようにバンビさんを上から下まで、衛星のように回ってくまなく後ろも見て、
 「だいじょうぶです」と言って、送り出した。

 バンビさんが部屋に戻ってきたのは1時間後ぐらいだった。
 加奈子は荷物の片づけをしていた。一回で運べないくらいの荷物になってしまった。バンビさんに手伝ってもらうか、ホテルの配送サービスを頼むしかないだろう。
 バンビさんはそのまま奥の部屋へ行き、ベッドに倒れこんだ。
 しばらく時間をおいてから、「・・・どうでしたか?」と聞いた。
 ほかになんて言っていいか、わからなかった。
 「今日は本当、いろんなことがあって疲れたわ」
 バンビさんはうつぶせたまま、くぐもった声で言った。
 「川西さんは帰られたんですか?」
 「うん、帰った。また会おうって言ってくれた」
 「良かったですね」
 「うん」
 「浴衣に着替えますか? 手伝います」
 「面倒臭いから、もうこのままでいい」
 バンビさんは履いていたヒールを足を使って脱いだ。
 「もう寝る。チェックアウトは何時だったっけ?」
 「11時です」
 「じゃ、寝てたら、ギリギリまで寝かせといて」
 「・・・わかりました」
 加奈子はエアコンのスイッチを『弱』にした。
 「灯りは消しますか?」
 「・・・いい、点けといて」
 「ほかに何かすることはありますか?」
 「・・・ない」
 加奈子は部屋のドアを静かに閉めた。
 わたしはどこで寝よう? ベッドはバンビさんの隣にある。
 ドアの近くにソファを移動して、そこでうたた寝をしよう。
 しばらくすると、バンビさんがしくしく泣く声が聞こえてきた。
 明日、起きたら、様子を見て、話を聞いてあげよう。




     38


 加奈子は買ってきた宿根草の苗を庭に植えていた。
 バンビさんはあれから3日間泣き通しだったけど、いまはだいぶ笑顔が見られるようになった。
 ショーのことで気を張り詰めていた疲れもあったのだろう。
 今日は横山さんとランチデートに出かけている。昨日の夜、心配した横山さんから電話があったのだ。店を都合1週間も休んでいたから。2人の関係はまだ続いていたみたいだ。わたしはちょっと機嫌が悪い。たぶん、嫉妬してるんだろう。
 元彼とは何もなかったみたいだ。ホテルのバーに行き、近況報告やあれから何をしてたとか、昔の友達の話・・・そんなことを話しただけだという。やり直せるなんて選択肢はないし、焼け木杭に火が付くなんてこともないし、「もうすべて終わったこと」なのだそうだ。それを確認しに行っただけだと思う。・・・でも、あの日、外人さんが言った「今日は魔法のような日だ」という言葉がいまも耳に消えないで残っている。だから、魔法の日に起きたことだから、きっと再会できたことはいいことなんだと思う。
 加奈子はスコップを地面に突き刺した。庭には思いのほか、芝生が残っていて、難渋した。暖かくなって、予期もしないところから芽がツンツンと出てきた。どこかに花の芽でも出てないかと注意深く探したが、見当たらなかった。でも、ウッドデッキのステップを下りた右側にチューリップが生えていた。2週間前、庭の掃除とベース造りをしてたときに見つけたのだ。
 今日、見ると、小さいけど蕾をつけていた。どんな色が咲くのだろう? チューリップは毎年球根を掘り上げて植え替えないと、良い花が咲かない。植えっ放しにしておくと、年々球根が細り、貧弱な花しか咲かなくなる。しまいには枯れる。
 これ、バンビさんが植えたのだろうか? それはないな。たぶん、前の住人が植えたのだろう。
 庭の後方に背が高くなる宿根草を植えることにした。いわゆる、ボーダーガーデンだ。ジギタリス、クラリーセージ、瑠璃玉アザミ、ペンステモン・ハスカーレッドを買ってきた。いま、それらを芝生が生えてないところを見つけて、植えている。あとはニゲラやクレオメやオルレアやコスモスの種を蒔こう。花屋で気に入った花を見つけたら、追加で植えていこう。
 6月ごろには宿根草の花も咲き出して、それなりに賑やかになるだろう。バンビさんのテンションもきっと上がるだろう。花を見て、顔を背ける人はいない。
 ガラガラっと窓が閉められる音がして、カチャっと錠が下ろされた。
 え・・・どういうこと? 加奈子は出入口の引き違い窓を見た。開けておいた窓が閉められている。でも、誰の姿もない。
 怖くなって動けずにいると、バンビさんが窓越しに現われた。こっちを見て、驚いた顔をしている。小芝居だとすぐにわかった。
 「あら、いたんだ・・・不用心ねって閉めちゃった」
 窓から顔を出して笑った。「お土産を買ってきたわよ、天命堂の桜ケーキ。食べましょう」
 ケーキが入った箱をぶらぶら揺らして言った。
 「今日は早いんですね」
 「だって、ランチご一緒しただけだもの。彼、これから仕事があるし」
 「愉しかったですか?」
 「うん」
 「・・・いまちょっとここをやりかけちゃったんで、すこし待っててもらっていいですか」
 バンビさんはそのままウッドデッキに出てきた。昼からお酒でも飲んだのか、すこし酔ってるみたいだ。陽の光が気持ちいいのか、デッキの縁に腰かけて、大きく手を広げて伸びをした。
 「そんなとこ座ると洋服が汚れますよ」
 「いいの、洗うのはあなたなんだから」
 「あ、そうだ・・・バンビさん、何か植えてほしい花はありますか?」
 バンビさんは聞かれて、あらためて庭を見回した。
 「・・・ないわ。だって、わたし、ここを引き払ってニューヨークに行くかもしれないし。好きな花なんて植えたら、ここに『根付く』みたいでゲンが悪いじゃない」
 「・・・そんなぁ。そんなこと言わないでくださいよぉ。いま、やりはじめたばっかなのに」
 「あら、あなたも一緒に行くのよ、ヌーヨーク」
 「・・・え?」
 「いやなの?」
 「いやじゃないですけど」
 「迷うことなんて何もないでしょ。そもそも大学も行ってないんだから」
 「・・・知ってたんですか?」
 「あなたも知ってたんでしょう? もうバレてるって。だって、バレるようなことばっかしてたもの」
 「・・・どうもすみません」
 加奈子は地べたに頭を付けて、謝った。
 「そのまま1時間ぐらい、そうしてなさい。・・・そしたら許してあげる」
 バンビさんは立ち上がって、お尻をパンパンと叩くと、怒ったように部屋に戻って行った。
 しかし、すぐに戻ってきた。
 「・・・だから、ケーキが早く食べたいの。もういい、水に流してあげる。一区切りついたら部屋に来て、お茶を入れてちょうだい」
 加奈子が顔を上げると、バンビさんはケーキの箱をぶらぶら揺すって、ウインクした。

 桜ショコラケーキは思ってた通り、崩れていた。あれだけ揺すったら、中で倒れる。でも、甘くて苦くて美味しかった。
 「本当にすみませんでした」
 加奈子はもう一度、頭を深く下げて、謝った。
 「・・・なんで嘘をついたの?」
 「肩書がないと相手にしてもらえないかと思って・・・」
 「まぁ、そんなところよね」
 「すみません。いつも白状しようって思うんですけど・・・いざ言おうとすると、わたしのこと全部が疑われるんじゃないかって怖くなって・・・勇気が出ませんでした」
 「嘘つきは泥棒の始まり?・・・違うか」
 「一事が万事です・・・」
 「そう、それ」
 「でも、信じてもらえないかもしれませんけど、わたし、ほかには嘘はついてないです」
 「信じてます」
 バンビは加奈子を見て言った。「でもそれって、わたしを騙そうとしたわけじゃなく、気に入られようとして、ついた嘘よね? わたしが好きで好きでたまらないからついちゃったのよね」
 「はい・・・どうしたら相手にしてもらえるか、いろいろ考えたんです」
 「じゃ、罪はわたしにある。・・・違うか」
 「一理あると思います」
 「ない」
 「はい・・・申し訳ありません。反省してます」
 「わたし、今日、思ったんだ。これからはわたしを好きになってくれた人をいままで以上に大事にして生きていこうって。だって、一生のうち、何人も巡り逢えないでしょ。いつ別れるかもしれないし、ヘタすりゃ死んじゃうかもしれないし。二度と戻れなくなるときもある・・・なら、いまこのときを後悔しないように生きていこうって」
 「・・・横山さんに何か言われたんですか?」
 「会ってる間中、ずっと好きだって言われたわ」
 「・・・良かったですね」
 「だから、加奈子にも言うわ。わたしを好きになってくれてどうもありがとう。これからも、あなたとの時間を大事にして過ごしていきます」
 「こちらこそ、よろしくお願いします」
 加奈子は勢いに押され、丁重に頭を下げた。「・・・どうか、お手やわらかに」

 加奈子は庭に出て、作業の続きに戻った。
 バンビさんも出てきて、日向ぼっこをしている。
 化粧も落としたし、今日はもうどこにも出かけないみたいだ。まだ、本調子ではないのだろう。
 「・・・で、話は変わるけど、加奈子は本当のところ、大学へ行きたいの? もし行きたいなら、学費出してあげてもいいわよ」
 「いいです。別に行きたくないです」
 「じゃ、わたしがニューヨークへ行くと決まったら、一緒についてくる? すぐに戻ってくるハメになるかもしれないけど」
 「はい・・・もし連れてってくれるなら、行きたいです」
 「わかった、じゃ、お前も連れてってやる。嬉しいか?」
 「ワン!」
 「・・・それで加奈子は英語できる?」
 「できません」
 「じゃ、明日からでも英会話の学校へ行って喋れるようにしといて。バイトはもうやめてもいいわよ」
 「バイトやってるのも知ってるんですか?」
 「知らないけど、どっかで何かやってるんでしょ?」
 「新宿の花屋さんでやってます」
 「楽しい?」
 「はい」
 「やめたくなかったら、適当に調整してね。とにかく英語はお願い」
 「でも、バンビさんもお店で働くようになったら、英語ぐらいは喋れないとNGだと思いますよ」
 「そしたらそのとき考える。まだ、決まったわけじゃないし。それに生活しながら、加奈子から習うからOKよ」
 「・・・そうですね。じゃ、がんばります」
 「あら、チューリップ、咲きそうね」
 「え、それ、バンビさんが植えたんですか?」
 「そうよ、もう2年ぐらい前かな、洋服屋さんで球根をもらったの」
 「何色が咲くんですか?」
 「忘れた」
 「じゃ、それは咲いてのお楽しみということで。・・・咲き終わったら、植え替えておきますね」
 「なんで?」
 「植え替えないと、いい花が咲かないんです」
 「・・・そうなの。それで、蕾が小っちゃいんだ」
 ・・・でも、ニューヨークに行くかもしれないし。植え替えても、無駄か。
 まぁいいや、それはそのとき、また考えよう。






                      (了)






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