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夜 眠る前 に 読む 物語 ⑦


           指環


 美しくないと嫌われると信じていたミミ。
 髪型を毎日、変えていたミミ。地球上のありとあらゆる美容学校の扉を叩いたミミ。エステ荒らしと徒名をつけられたミミ。まるでメイクのデパートのようだったミミ。
 僕らは星のように彼女を取り巻き、「美しい」と囁き、回り続けた。けれど、彼女の心に誰も光を届けられなかった。
 ミミはまるで不信感の宇宙。難攻不落の要塞。疑心暗鬼の森。いったいどうしたら、彼女の心に辿り着けるのだろう。
 ミミは世界の恋人だった。オーロラビジョンからみんなに笑顔を振りまいていた。けれど、画面の外に出てくることはなかった。まるで地に足が着かない、とでもいうように。
 もちろん、それは比喩的な意味で、ミミは多くの男と浮名を流していた。彼女が現われると、店の灯りや夜空の星が要らないほど、あたりが華やかになった。
 最新のモードに身を包んだミミ。百種類もの猛獣や食虫植物のフェロモンを化学合成したような香りを放って、僕らを愉快に誑かしていたミミ。その場の注目を独り占めにしなければ、すぐに不機嫌になったミミ。
 ミミは男の腕に強く抱かれていても、その瞳はいたずらな子猫のように自由にほかの男を見ていた。この世の中のすべての男を恋人にしないと気が済まないみたいに。
 餌を撒いても寄ってこない鳥がいると、罠を仕掛けてでも手に入れた。そして籠に閉じこめ、飽きてしまうと、羽をもいで捨ててしまうのだ。気まぐれなつむじ風が吹き荒れた後は、町に男の嘆きや痛罵があふれた。さながら大量虐殺の砂漠だった。
 ミミは誰にでもいい顔をした。けれど、誰に対しても素顔を見せることはなかった。百の顔を持つ悪女と呼ばれて、千の顔よと言い返していた。けれど、本当は一つしかなかったのだと思う。
 そのミミはいま、僕の腕の中にいる。罪を作る自由な瞳は、白い包帯で塞がれている。指環が彼女の目を傷つけたのだ。どんな理由かは想像もつかないが、すくなくとも泣く夜はミミにもあったということだろう。
 「責任をとってよね」
 ミミは無敵のつむじ風を吹かせた。「目が見えなくなってしまったんだから。もう、あなたしか見えないわ」
 僕は彼女の首に手をかけようとしていた、彼女の瞳が最後に映してるのが僕である間に。ミミを失うのは耐えられなかった。いま、ミミを殺してしまえば、彼女は永遠に僕のものになる。
 そんな気がしたのだ。
 「いまのセリフ、本気と受け取ってないでしょ?」
 ミミは甘えるような、怒ったような連戦連勝の仕草で、僕の決心をぐらつかせた。
 もちろん、本気で受け取ってなんていなかった。甘い言葉で僕を恋のブラックホールに落としといてーーもうとっくに堕ちているがーーあとは知らんぷり。また、ほうき星に乗って、違う星雲を駆け巡るのだ。僕は不要になった人工衛星みたいに、真っ暗な宇宙を彷徨うのだ。
 「信じたいけど、僕はそれほど莫迦じゃないよ」
 僕はそんな必要はないのに、苦しくなって彼女から目を逸らした。
 「莫迦だわ。目に見えないものしか信じないなんて。いまもわたしの目はしっかりあなたを見てるのに」
 「その目の傷って、本当なの?」
 「本当よ。あなたが傷つけたの」
 ミミは僕の鼻先に見覚えのある指環を突きつけた。「そして、わたしの顔に取り返しのつかない醜い傷を残した」
 「何で泣いたんだい? 指環を外すのを忘れて、涙をぬぐったんだろ」
 僕は嘘つき常習犯のミミに聞いた。
 「勝手に指が動き出したのよ、この指環を付けたら。・・・それで顔のほうへ行くから、どうしたのって、鏡を見たの。そしたら右の瞳から涙が零れ落ちようとしてた。わたし、自分が何で泣いてるのかさっぱりわからなかった」
 それは僕が彼女の誕生日にーーきっと1年に何度もあるに違いない誕生日に、贈った指輪だった。碧い石が2つ楔形に嵌めこまれた指環。『ミミミ』という名前の石だそうだ。秋にネパールを旅したとき、路地裏の小さな店で、名前に魅かれ、手に入れたのだ。
 いまはミミの手練手管の部下の1人ーー手入れが行き届いた右手の薬指に嵌められている。
 「いまでも信じられないんだけど、そのとき、指環がこう言ったの。
 君の美しさはいま、わたしがすべて奪い取った。この指環の中に封じこめた。この指環を君に贈った男は、君の中で泣いてる君を見たのだ。たとえ君の顔が醜くなったとしても、その男は一生涯、君を変わらずに愛するだろう」
 正直に告白すると、僕は何をプレゼントしたらいいか、さっぱり思いつかなかった。ミミは男たちからの貢ぎ物や戦利品に囲まれて暮らしていた。彼女が喜ぶものなんて、もう何もこの世には残ってない気がした。
 ミミは僕に包帯を外すよう言った。
 「・・・傷は治ったの?」
 僕は怖かった。醜い顔になったミミを見るのが怖いのではなく、その現実を突きつけられるミミを見るのが怖かったのだ。『美』は彼女の存在証明だったから。
 「あなたの目で確かめて」
 包帯を取ると、右目の下に2本のミミズ腫れがあった。化粧で隠すこともしてない。
 「何で、泣いてるわたしが見えたの?」
 ミミは好奇心を隠せないこどものような目を向けた。
 「君が泣くのを一度も目にしたことがなかったからだよ。イジメっ子のようにいつか君を泣かせてやりたいって思ってた。そして・・・もし泣かせることができたら、そのときはきっと君は僕のものになるって、いつしか思うようになったんだ」
 「この指環、どうやっても、外れないの」
 ミミはきつくて指環がどうしても抜けないって仕草をした。
 「ずっと外さないでいてくれることは・・・できないかい?」
 僕は勇気を出して、プロポーズの言葉を口にした。
 ミミの両の瞳に、涙がゆっくり現われ、水紋のように広がった。
 もう、指環でその涙をぬぐうこともない。
 僕はミミの涙にそっと唇を寄せた。

 




                      (了)



 これは「『カルティエ』の雑誌広告に添える文章を」というオファーを受けて書いたものを、かなりの手を入れ、短編に仕立てたものです。
 比留間久夫に『カルティエ』。どう考えても、ミスキャストです(笑) 庶民のわたしにセレブの購買意欲をくすぐる魔法の言葉など出てくるわけがありません。当然ながら、ボツでした。
 抜擢してくれた広告代理店の人は優しくいろいろフォローしてくださいましたが、書いてる本人が「無理だろうな」っていちばんわかっていました。でも、原稿料はすごく高かったんだろうな。



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