比留間久夫 HP

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HP2000(仮題)22 ~ 27



       22


 来年から本格的に腰パンを流行らせるらしい。
 ドラマで主人公に履かせることが決定している。主人公は若者に影響力がある、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの某イケメンスターが起用されるそうだ。
 ルーズソックスに次ぐ、若年層ルーズ化計画の一環だ。もちろん、いつものように利権も絡んでいる。でも、今回は心理的戦略の比重が高いそうだ。ファッションが精神形成に与える影響は大きい。若い子たちを心身ともにどんどんだらしなくさせるのだ。
 また、腰パンのルーツは囚人服にあるようだ。彼らはこの手の象徴性が大好きだ。
 楽井未来はプレゼンを終えて、化粧品会社の廊下を歩きながら、昨日の昼休みに社員食堂でほかの部署の友人から聞いた、いまの腰パンの話を思い出していた。いま、プレゼンした幹部の中にヘソまでズボンを上げてるオジサンがいたからだ。頭を自分の仕事に振り戻す。
 ニューハーフを化粧品のCMに抜擢するというチームプランの進行は暗礁に乗り上げていた。まぁ予想していたことなので驚きや落胆はない。
 この国の企業経営者の多くは、政治家や官僚たちと同じく文化に関心がない。それは美意識や計画性の欠けらもない街並を見ればわかる。日本橋の上に高速道路を造ってしまうような人たちなのだ。この国を愛しているとは到底思えない。この国の不幸はこの国を愛している人たちが国造りをできなかったことだ。利権の草刈り場としか考えてないのだろう。相次ぐ渡来者が略奪支配没落を繰り返してきた国だ。それは歴史をちゃんと自分の頭で勉強すればわかる。
 だから、彼らに言わせれば、綺麗な女の子のタレントがたくさんいるのに何で女に化けてる男をわざわざ使うの? ということになるのだろう。わざわざ使うことに文化があるということが理解できない。新しい価値を創り出すなんて口では言ってるが、それに儲けが加わらないとてんで動きはしないのだ。
 2000年代はマイノリティの市民権が向上するというシンクタンクの予想だか予告がある。社会がマイノリティを理解し尊重する積極的な理由が見当たらないので、やはり何らかの意図と利権が絡んでいるのだろう。利権が絡むとしたら、ある程度のマーケットがなければならない。・・・ということは、今後、マイノリティの数が増えていくということだろうか? それはどういうこと? LGBTがこれから更に増えていく?
 だいたい、そもそも、何でLGBTになるの? その原因は? 胎児期のストレスによるホルモン異常とかよく言われる説だけれど、いまもって原因は不明とされている。本当か?
 この世の中には原因不明のものがいっぱいある。代表的なものは難病だ。ただ、昔はそれらの病気は見当たらず、近年になって爆発的に増えていることから、自分たちが生きているこの現代社会に原因があるのではないかと言われている。まぁ普通だったら、そう考えるよな。・・・となると、環境汚染、化学物質、ワクチン、電波、日々口にしている食べもの・・・などが疑わしい。何でみんな、こんな当たり前のことを考えないのだろう?
 わたしはもし訴訟に勝ち目があるのなら、上告したいと思っている。でも、被告はきっと山ほどいるだろう。彼らが全員有罪になる日なんて、わたしが生きてるうちはやってこないだろう。
 楽井未来はビルのエントランスを抜けて、外に出た。地下鉄の駅に急ぐ。
 今日はこれからイベント会場の下見だ。わたしは転んでもただでは起きない。作戦変更。先ずはイベントを仕掛けて、受け入れやすい土壌を造る。1dayにするか2daysにするかはまだ決めてない。というか、昨日の夜、思いついたこと。
 開催日は4月4日を予定している。もうあと5か月しかない。




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 年末にバンビさんと京都へ行くことになった。
 大阪のニューハーフクラブにも連れていってくれるという。
 来年の4月4日に六本木のディスコを借りきって、ニューハーフの祭典を開催するらしい。そのイベントのショーのトリを飾ってほしいと依頼を受けたのだ。
 それで前々から行きたいと言っていた大阪の店の視察も兼ねて、京都へ行こうという話になった。そこは映像や装置や照明を駆使したショータイムで有名な店らしい。
 「それでね、花魁をやってくれないかと言われたのよ」
 バンビさんはドレッサーの前で化粧しながら言った。
 今日も同伴出勤だ。旅費を稼がなくちゃ。大阪の店もすごく料金が高いらしい。
 「オイラン?」
 「そう、知ってるでありんすか?」
 「豪華な着物の娼婦の方ですよね」
 「そう、娼婦の女王」
 バンビさんは肩を和っぽくしならせてみせた。
 「でね、わたし、着物なんて成人式の晴れ着以来、着てないのよ。どうしようかなって思って」
 「・・・バンビさん、成人式に晴れ着で出席したんですか?」
 「・・・なわけないでしょ、うそよ。着て出席してやろうかと思ったけど、会いたい友達もいないからやめたの。だから、わたし一度も着物を着たことがない」
 「バンビさんは和のイメージじゃないですよね」
 「だから、考えとくと言って別れたんだけど・・・外国人のお客さんもいっぱい招待する予定みたいで、和っぽいものをやってほしいって要望なの」
 「ウケがいいのかな」
 「・・・でしょうね。加奈子、何かアイデアある?」
 わたしはさっきからバンビさんを上から下まで舐めるように見て、頭に思い浮かんでいる花魁のイメージと重ね合わせている。脳ミソに詰まっているバンビさんデータを呼び起こし、齟齬を見つけては細かい修正を加えていく。
 「・・・バンビさんの着物姿、意外に面白いんじゃないかと思います。ほら、よく外国人の女性が日本の着物を着た絵とか、演劇があるじゃないですか? バタ臭い感じの」
 「オリエンタリズムみたいなの?」
 「そう・・・逆な感じでエキゾチックになって、似合うような気がします。具体的なアイデアはちょっと思いつきませんけど」
 「じゃ、考えといて」
 「・・・わたしがですか?」
 「もしやるとしたら、基本的なラインは振付のミエコ先生に頼むと思うの。でも、新しい試みをしたいから、わたしもいろいろ意見を言うつもりだし、加奈子にも参加してほしいの」
 「・・・ありがとうございます。考えてみます」
 「よろしくね」

 バンビさんがまた6時出勤なので、今夜も一人でご飯だ。一人で食べるとなると簡単なものでいいってことになる。今夜は作るのをやめて、外にラーメンでも食べに行こうかな。そうしよう。帰りにレンタルビデオ屋に寄って、花魁が出ている映画を探して借りてこよう。




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 わたしはいつから大人になったんだろう。
 さっきまであんなに乱れて、彼を好き好きって泣き叫んでいたのに、いまはすっかり狂おしい波も引いて、穏やかな気怠い朝の中にいる。出したら終わりみたいな男の性質が残っているのだろうか。でも、快楽の残り香はそこかしこに残っている。愛しさみたいなものも。
 彼はこれから仕事。シャワーを浴びて、いまはシャツを着ている。ラグビーをやってたらしく体格が良い。男っぽく武骨だけれど、顔は童顔。そのギャップがまた可愛い。モテるだろうなと思う。何でわざわざニューハーフに手を出すのだろう。
 「どうする? ルームサービスを呼んで、ここで一緒に朝食にする?」
 彼は優しい。わたしのことを本当に好きみたいだ。
 「いい。お腹、空いてないし。もうすこし横になってから帰る。それでいい?」
 ベッドの中から答える。
 「OK。キーだけ、フロントに返しといて」
 彼は独身だ。そう言っている。たぶん本当だと思う。ベンチャー系の会社の社長だ。何歳だっけ? 3つ上? 28歳? ホテルのこの部屋を年間契約している。ここに来たのは3度目だ。泊まったのは2度目だ。夜中、店がはねた後、ここに直行。彼は店の指名客だが、接待で寝てるのではない。普通の男女のように自然にそういう関係になっただけだ。
 付き合ってるのかはわからない。わたしにとってはどうでもいいこと。確かめようもないこと。ゴールがあるわけでもない。ただ、彼に惹かれるものがあったから、部屋に来ただけのこと。彼がわたしにキスをして、それ以上を求めてきて、わたしに断る理由は何もない。好きで受けとめてるんだから、駆け引きする必要もない。ただ、昔みたいにお盛んにしてるわけじゃないから、ちゃんと機能してくれるかどうかが不安だった。でも、そのことを彼に言うと、彼は優しく扱ってくれた。それが前回。今日は、本当に気持ちが良かった。
 彼は髪をセットして、ネクタイも締めて、すっかり仕事モードに戻って、ベッドサイドにやってきた。あとはジャケットを着て、部屋を出て、会社に行くだけだ。そしてわたしは「行ってらっしゃい」と言うだろう。
 なんか自分が妻になったようでおかしい。もう朝になろうというのに激しく愛されて自堕落になってまだベッドから出られない妻。彼はキスをしてきた。化粧を直しとけばよかったと思ったけど、そんな気力はどこにもない。もういいや。彼が舌を絡めてきたので応えてると、手が毛布の中に入ってきた。その手を胸の前で押しとどめて「仕事でしょ?」とわたしは笑う。
 「また、近いうちに会える?」
 彼は名残惜しそうに言った。
 「店がはねてからなら・・・時間が取れるかも」
 「いつ?」
 「会いたいときは店に迎えに来て。あ、でも、電話してからね」
 「一緒に旅行に行きたいな」
 「いいね、楽しそう」
 「じゃ、今度、休日とかスケジュールを教えてよ」
 「うん」
 「クリスマスは? 友達がプリンスでパーティーやるんだけど、よかったら・・・ああ、でも、忙しそうだね」
 「時間が取れたら考えてみる」
 彼はベッドから身を起こすと、クローゼットへ行き、ジャケットを選んだ。鏡の前で身繕いをすると、手を振って、部屋を出て行った。
 わたしはどうしよう? このままベッドに入ってたら、夕方ぐらいまで寝てしまいそうだ。ここでシャワーを浴びるのは落ち着かない。化粧をし直すのも面倒臭い。
 サングラスとマスク姿で帰ろう。彼に迷惑がかかるのもいやだから、フロントではサングラスは外そう。目の周りだけちゃんと直せばいいや。

 タクシーでマンションに戻ると、加奈子は学校へ行った後で、誰もいなかった。朝の9時半。テーブルにラップをかけたサンドイッチが用意してあった。
 バンビはドレッサーに座ると、崩れかけてる化粧を落とした。バスルームへ行き、お風呂を沸かす。沸きあがるまでの間、洗い場で人工膣のケアをする。奥の方に残っている精子を指で搔き出し、シャワーできれいに洗浄する。消毒する。すこし痛い。
 バンビはバスタブにつかりながら、また彼に会いたくなるかなぁと考えた。今日は彼が12時ごろに店に来て、店がはねた後、部屋へ行くわと約束したけど。急用ができたと電話して、断ることもできた。でも、わたしは行った。愛されたいのかなぁと思う。クリスマスシーズンだから寂しいのかなぁ。
 このところ、色恋の主導権は相手側にある。わたしから電話をするとか会いたいとかはない。相手から連絡が来なくなったら、飽きられたのかな、遊びだったのかなと思うだけだ。それはそれでいい。こちらも追いかけようとまでは思わないもの。
 バンビはものぐさになって、バスタブに入ったまま、髪を洗った。洗い場でシャワーを浴びて、きれいに石鹸や泡を洗い流すと、バスタオルを巻いたまま、温かくしといたLDKに戻った。
 顔やからだの保湿ケアをして、人工膣にも薬用クリームを塗る。
 いつかまた、居ても立ってもいられず部屋を飛び出していくような恋ができるのかなと思う。
好きになって、夢中になって、ぶつかって、傷ついて、傷つけて、泣いて、悲しくなって、抱きしめてほしくて、失いたくなくて・・・
 いまは部屋を飛び出す前に、相手の事情だの、過去の経験則だの、未来だの、一般常識だのを考えて、ブレーキをすぐ踏める状態にしている自分がいる。駆け引きも覚えた。嘘も必要なことを知った。いろいろ経験して、いろいろ知ってしまった大人の自分がいる。
 あのころみたいな恋がしたいなぁと思う。すぐにしちゃうからダメなのかな。いろいろ不安になって、傷つくのが怖くて、自信もなくて、嫌われたくなくて・・・すぐに関係を結べなかったあのころ。いまは今日の彼みたいに安易に関係を結んでしまう。
 性欲もだんだんなくなってきたような気がする。すぐに疲れる。でも、たまに愛されたい気持ちがどうにも強くなって、自分でも自分が手に負えなくなる。




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 照明が落とされ、ショーが始まった。
 スクリーンにニューハーフたちが映像で次から次へ紹介されていく。1人1人が大きなアルファベットや数字が書かれたボードを持っている。フェイドアウトし、日本の戦後の世の中の流れみたいなニュース&トピックスが流れはじめる。ニューハーフたちはそのときどきの風俗やファッションを身に着けて、ダイブするようにその映像の中に飛びこんでくる。原色のワンピのミニでゴーゴーダンスを踊ったり、ダッコちゃんを腕につけてたり、扇子を持ったボディコンだったり、ルーズソックスを履いたガングロだったり・・・
 最後に時系列のピースが集まるようにみんなが大阪の夜景の前に整列し、ボードに書かれた Good-bye 1999 というメッセージが浮かびあがる。
 そして、このオープニングの後、映像に出てきたそれぞれが趣向に富んだショーを繰り広げていくという全体の構成だった。
 照明システムが最先端という感じで凄かった。矢継ぎ早に光の色や方向や明度が変わり、混ざり、交錯し、模様を描き、ニューハーフたちに陰影をつけていく。目がチカチカし、絶え間なく残像が網膜に貼りつく感じ。幻想的な演出。明と暗のコントラスト。臨場感。
 音響はボディソニックというものなのか、重低音の振動が店内を揺るがしていた。すこしうるさいかなと思うけど、非日常の空間にいざなわれた。
 舞台装置は、回り舞台、昇降舞台、天井に付けたレールバーによる登場、幾重にも連なる緞帳・・・場面転換が鮮やかで、変化に富んで、意表を突く演出が際立っていた。物語性が強く、寸劇や小芝居を観ている感じ。小物や装置による演出も手を抜いてない。
 路上に座っているガングロたちがアフリカの未開部族の世界にワープして、小悪魔ふうな奇怪なエロスを魅せるショー。扇子を持って踊り狂う半裸のワンレン娘の背後で、スクリーンに映し出されたゴジラによって薙ぎ倒されてゆく東京のビル街。風刺やユーモアがあって、面白かった。最後のママとイケメン男子の煽情的なエロチックなダンスも、出逢い、嫉妬、悦楽、昇天などが趣向に富んだ演出で表現されていて、芸術的だった。
 フィナーレの挨拶のとき、バンビさんにチップを持っていくよう命じられた。ドレスの胸のあたりに挿しこむのと教えてくれた。最後のママだけ3枚で、ほかの子は1枚ね。テーブルの上に二つ折りにした1万円札が11枚。ほかのお客さんがしているのを見ながら、真似するようにどうにか配り終えた。ニューハーフの皆さんが度アップで嬉しそうに微笑んでくれたのが嬉しかった。
 ショーが終わると、ママと数名のニューハーフがわたしたちのテーブルに来た。
 わたしたちが店に入ったのはショーが始まる直前だったので、店内にはウエイターさんしかいなかった。
 「いらっしゃいませー! どうもありがとうございます」
 わたしの顔を見たから、さっきのチップのことを言ってるんだろう。わたしは顔の前で手を振り、隣のバンビさんを指差した。
 「どうぞ、お好きなものをお飲みになって」
 バンビさんはママたちに促した。
 「ありがとうございます」とママたちはバンビさんを見て改めてお礼を言うと「いただきまーす」と言って、ウエイターを呼んで、ドリンクを注文した。
 バンビさんはヘネシーをロックで飲んでいた。わたしは薄い水割り。お代わりを作ってもらった。目の前にはフルーツの盛り合わせとクリスマスデコのお菓子。
 「うちの店ははじめてですか?」
 「はい、東京から参りました」
 「東京から! 観光ですか?」
 「観光も兼ねて。前々からショーが素晴らしいとお噂に聞いてまして、一度、自分の目で見てみたいと思って参りました。・・・同業の者です」
 「・・・ああ、テレビで観たことがあるなぁ、綺麗な人やなぁって思ってたんですけど、もし聞いて違ってたらえらい失礼なことになるし、どうしようかと思って聞けませんでした」
 「はい、・・・伝わっておりました」
 「バンビさんですよね? 『人工の森』の」
 「はい、バンビです。恐縮です。『プレミア』のママに知っていただけてるなんて、光栄です」
 「お隣の可愛い女の子さんは?」
 『プレミア』のママはわたしに視線を移した。
 「加奈子といいます。この子は正真正銘の女の子です。美大に通ってまして、ショーの構成や演出に興味があるというので、今日は付き人として連れてきました」
 「あら、そうなの。どうでした? わたしたちのショーは」
 「素敵でした。圧倒されました」
 そんなことより、今日はちゃんとわたしのことを女の子と紹介してくれた。何か理由があるのかもしれないが、嬉しい。
 ママたちは一度着替えてから戻ってくる旨をバンビさんに話したが、バンビさんはごめんなさいこれから京都へ行かなくちゃならないからそろそろお暇させていただきますと断っていた。テーブルでカードで会計を済まして、わたしたちはクロークでコートを受け取り、店を出た。スーツケースや旅行バッグは新大阪駅のコインロッカーに入れてある。
 舗道に出たところでママたちが追いかけてきて見送ってくれた。ママがバンビさんに駆け寄り、何か話している。バンビさんもにこやかに応対している。

 タクシーで新大阪駅に戻り、荷物を引き出し、わたしたちは新幹線で京都へ向かった。
 車中でバンビさんといろいろ話す。
 「最後、何を話してたんですか?」
 わたしはほろ酔いかげんで聞いた。いまは酔い冷ましに烏龍茶を飲んでいる。
 「もしこっちに来ることがあったなら、わたしの店に来ないって誘いを受けてたの。・・・だから、そのときはお願いしますって」
 「・・・その予定はあるんですか?」
 「わからない。でも、行きたい気持ちはある」
 「バンビさんがあの店でショーをやったら、すごく素敵だと思います」
 でも、そしたら、わたしの居候生活も終わりか・・・なんか急に酔いが冷めてきた。
 「でもまぁ、当面はないかな。来年の4月にイベントあるしね」
 バンビさんもショーを間近で実際に観て、いろいろ刺激を受けて、思うところがあったのだろう。ショーの間、すごく真剣な顔で観ていた。
 「・・・それで加奈子、どうだった? 面白かった?」
 「面白かったです。すごく楽しかった。リアルで観たの、はじめてですし」
 「ショーは?」
 「ショーも良かったです。異空間に迷いこんでるみたいでクラクラしちゃいました。ただ、一つ生意気なことを言わせてもらえれば・・・個の力が弱いかなと思いました。舞台装置やハデな演出に目を奪われがちで、ニューハーフの人たち1人1人の存在感が消えちゃってるかなって」
 「まぁ、プロのダンサーやショーガールじゃないからね。どうしてもそこのレベルは落ちるわよね。本当に上手な子って一握りだし」
 「あとは表現力です。最後のママさんの踊りも、バンビさんならもっと多くのものを表現できると思って観てました」
 「ありがとう、酔っぱらいさん」
 バンビさんはわたしの鼻を指でつついた。
 「え~、酔っぱらっていませんよぉ」と言いながら、台の上の烏龍茶を倒した。
 「ほらほら、お茶をこぼした」
 バンビさんはポケットティッシュを取り出し、わたしのスカートについた水滴を拭いた。「世話が焼ける子ね」
 わたしがいま着てる服は3日前、原宿のヴィンテージショップでバンビさんに買ってもらったものだ。10年ぐらい前のシャネルのセットアップスーツ。黒っぽいグリーンでノーカラーでツイード。トラッドな落ち着いた雰囲気で広範囲な用途をこなせるそうだ。これに合わせて、タートルネックセーターもコートも靴も買ってもらった。それらの総額25万!
 いったい今回の旅行で散材する額はどのくらいに上るんだろう? さっきのお店の料金もちらっと覗いたら10万。1時間いただけで10万。チップも含めると21万。花屋で時給¥900でバイトしてる自分が哀しくなる。
 買いものをしてたとき「こんな高価なものじゃなくていいです」とわたしが言うと、
 バンビさんは「『人工の森』の看板をしょっていくんだから、ハンパなことはできないの。ママに恥をかかせるようなことはできないわ。しみったれたことしたら、ママに怒られちゃう。だから、いいの。これは必要経費」
 さっきの高額なチップもそういうことなんだろう。見栄やプライドを大事にする世界なのだ。
 わたしもバンビさんと一緒に歩くことにだんだん慣れてきている。気取ってお高くとまる必要はないと思うけど、おどおどしてバンビさんに恥をかかせるのだけはやめようと思う。
 バンビさんに座席で化粧を直してもらう。そろそろ自分でできるようにしなくては。
 京都駅に着くと、タクシーに乗って嵐山へ向かった。




      26


 旅館は川のほとりにあった。
 すごく高そうなところだった。
 店のお客さんに旅行会社の人がいて、急遽、探してもらったそうだ。普通ならすでに予約でいっぱいだけれど、キャンセルが出たらしい。
 窓の外には大きな川が流れている。仲居さんがあそこにぼんやりと見えるのが渡月橋ですと教えてくれたけど、よく見えない。もうすこしで日付が変わる。あたりはほぼ真っ暗だ。
 京都へ来たのは中学の修学旅行以来。あまり記憶に残ってない。寺や仏像に興味がある中学生はそう多くはないだろう。
 部屋には露天風呂があった。温泉かけ流し。大浴場もあるらしい。
 奥の部屋には布団が並べて敷いてあった。バンビさんと同じ部屋で寝るのは初めてだ。
 仲居さんが出ていくと、バンビさんは服を脱ぎはじめた。バニティケースを持って洗面所へ行き、「化粧を落とすわよ」とわたしに言った。わたしも服を脱ぎ、旅行鞄からスウェットを引っ張り出し大急ぎで着て、洗面所へ向かった。
 バンビさんの横に並んで、バンビさんの持ちものを借りて、後を追うように見様見真似で落としていく。しばらくすると、見慣れた顔が現われた。頬がほんのり赤い。
 バンビさんは部屋に戻り、インナーを脱ぐと、露天風呂に直行した。しばらくすると、わたしを呼ぶ声がした。
 「部屋を片付けてから入ります」とわたしは答えた。
 バンビさんが脱ぎ散らかした服をクローゼットに収納していく。スーツケースを開けて、新しい下着を取り出す。寝間着はどうするのだろう? 備え付けの浴衣を着るのかな。
 バンビさんはバスタオルを巻いて出てくると、
 「大浴場は何時までだっけ?」と聞いた。
 「1時までって言ってました」
 掛け時計を見ると、12時10分。
 「じゃ、まだ間に合うわ。加奈子、行くわよ」
 バンビさんはバスタオルを外し、下着を履くと、浴衣を着て、羽織をはおった。洗面所へ行く。身だしなみをチェックしてるみたいだ。
 「わたしは今日はいいです」洗面所のバンビさんに言った。
 「なに言ってるの? こんな真夜中にこんな湯上りほんのり美人を1人でお風呂に行かせるの? 襲われたらどうするのよ」
 バンビさんは部屋に戻ってきた。髪をひっ詰めている。
 「じゃ、お風呂まで一緒に行きます。出るまで外で待ってます」
 「どうしたの? 恥ずかしいの?」
 「はい・・・恥ずかしいです」正直に答えた。
 「なんで?」
 「だってスタイルが全然違うし・・・気後れします」
 「ゆっとくけど、これ、作りものよ」
 バンビさんは浴衣の上から自分の胸を触ってみせた。「でも、あなたのは本物なのよ、すごく小っちゃいけど。なに贅沢なことを言ってるの。本物ってだけでどのくらい価値があるか、あなた、わかってるの? オッパイ以外も全部よ」
 「・・・すみません。そんな深い意味で言ったんじゃないんです」
 「じゃ、一緒に入りましょう」
 「・・・わかりました」
 「背中も流してね」

 翌日は、9時に遅い朝食をとった後は、部屋でゴロゴロして過ごした。
 テレビを観たり、ガイドブックを見たり。
 午後はせっかく来たのだからと嵐山散策に出かけた。といっても、近くをぶらぶらと歩いてきただけだったけど。年の瀬も押し迫った30日とあって、閉まってる店も多かった。
 バンビさんは一緒に出かけると、基本、甘えん坊さんになる。わたしのほうが背が高いという理由もあるのだろうが、しなだれかかるように腕を絡めて歩く。いつも、これは傍目にはどう映るのだろうかと思う。仲のいい女友達?
 今日はヒールではなくパンプスで、着てる服もシックなベージュのコートで、化粧もナチュラルで薄いから、いつもの夜の女っぽい、もしくはモデル系みたいな印象はなく、ましてニューハーフにも見えず、普通のちょっと華やかな女性のように見える。その人がすこし背が高いショートヘアのスッピンに近いわたしに甘えるようにして腕を絡めて歩くのだ。これって、レズビアンさんに見えない?
 でも、もう慣れた。人にジロジロ見られるのは。
 ガイドブックを片手に、御土産屋さんや料亭が並ぶメインストリートを左に折れて、『竹林の小道』というところに入った。高く生い茂る竹林の中に風情のある散策路が造られている。けっこう混んでいた。
 すこし歩くと『野宮神社』が見えた。ガイドブックには源氏物語ゆかりの神社と紹介されている。
 「どうします、寄っていきます?」
 「何の御利益があるの?」
 「良縁、子宝、学問と書いてあります」
 「じゃ、わたしはあまり関係ない。加奈子、行ってくれば?」
 「わたしもいいです」
 「なんで?」
 「神頼みはしないんです」
 「あら、カッコいい。潔いわ。好きよ、そういう子」
 バンビさんは更に強く半身を摺り寄せてきた。竹林に遮られて陽の光が途絶えて、寒いということもあるのだろう。
 「そこを左に曲がると『天龍寺』で、泊ってる旅館のほう。まっすぐに行くと『嵯峨野』と呼ばれてる散策コース。どうします?」
 「寒いから、もう帰る」
 予想した通りの答えが返ってきた。バンビさんは寒さに弱く、歩くのが嫌いだ。
 「『天龍寺』はどうします、寄っていきます?」
 「どんなお寺?」
 「禅宗のお寺で、庭が有名みたいです」
 「じゃ、座禅でも組んで、煩悩を取り払ってもらおうかな」
 「そういうことはいまはやってないみたいです」
 「じゃ、帰る。寄らない」
 お腹が空いたので、『渡月橋』まで歩き、店を探した。午後3時。いっぱい食べてしまうと、せっかくの旅館の懐石夕食が食べられなくなるので、お団子を買って、渡月橋から川を眺めながら食べることにした。
 
 

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 究極の選択だった。
 沖田総司。
 舞妓。
 花魁。
 旅行3日目の最終日、わたしたちは祇園へ行った。
 東京で計画を立てていたとき、ガイドブックで『京都で舞妓体験』を見つけた。詳しく読むと、『花魁コース』もあると載っている。バンビさんに話したところ、「やるやるー!」と言ったので、予約を入れてたのだ。もちろん、バンビさんの分だけ。わたしは見学してようと思っていた。
 受付でバンビさんはそのことを知ると「なんで?」とわたしを見た。「え?・・・わたしはいいです」とさも聞かれたのが意外みたいな反応で終わるはずだった。記事には「予約要」と書いてあったからだ。
 「予約入れてないとダメなの? 東京からはるばるこれが楽しみでやってきたのに・・・どうにかならない?」
 バンビさんは受付の人に食い下がった。
 「・・・ちょっと待っててください。聞いてきます」
 女性は圧に押されるように奥へ消えた。
 しばらくすると戻ってきて、「いいそうです。では、お連れの方はどのコースにしますか?」と言って、わたしを見た。
 ガーン! 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。
 「じゃ、これにすれば?」
 バンビさんはパンフレットの『カップルコース』を指差した。説明写真を見ると、花魁の隣で男子が刀を持って新撰組みたいな袴を着てこれから死を賭してどっかに討ち入りに行くような決死の表情でポーズをとっている。
 「やです」とわたしは即答した。
 なんでわたしが男に変身しなくちゃならないの? レズビアンの男役じゃないんだから。
 「そう・・・」バンビさんは残念そうな顔をした。「これで『京都の町を散策プラン』をオプションで追加したら、面白くなりそうなのに」
 やです。なんでその上、見世物にならなきゃいけないんですか。
 「じゃ、わたしと同じ、花魁にする?」
 それもいやです。来る前にさんざ「花魁の哀しい一生」みたいな映画や文献を目にしてきたので、花魁のコスプレをして浮かれるのにはなんだか抵抗があります。彼女たちはきっと好きでからだを売ってたのではありません。でも、そんなことを言った日には思いきり水を差すので、
 「じゃ、舞妓にします」としぶしぶ言った。
 本当はすこしだけ、やりたかったのだ。
 わたしとバンビさんはロッカーがある更衣室で赤い肌着に着替えて、ヘアメイクルームに行った。コースが違うので、席がだいぶ離れている。花魁コーナーにはバンビさん1人、舞妓コーナーにはわたしと同年齢ぐらいの2人組の女の子たちがいた。彼女たちはすでに舞妓っぽい顔になっている。2人とも同じ顔なので、フォーマットが決まっていて、ただここに座って為されるがままにしていればいいのだろう。
 髪をネットで束ねられ、油みたいなものが首の周りや首や顔に伸ばされ、その上を板刷毛で白粉がべったり塗られていく。
 バンビさんはあれこれと好きなものを選んでいるようだった。声が聞こえてくる。いろいろ質問もしている。店の人にとっては面倒臭いタイプかな。でも、愉しそうな笑い声も聞こえる。
 隣にいた女の子たちはメイクとヘアセットを終えて、部屋を出ていった。手が空いたヘア担当のスタッフがやってきて、わたしの頭にカツラを被せる。わたしはショートヘアなので、自髪は使わないようだ。ほつれ毛の白塗りのオバケみたいだった自分が、カツラを付けたことで、だんだん舞妓っぽくなってきた。見るも鮮やかな紅が唇に小さく引かれ、メイクは完了した。
 バンビさんを横目で見ると、髪をゴージャスに盛っていた。カツラは使わないみたいだ。ヘア担当とメイク担当が2人がかりでテキパキと顔や髪を飾り立てている。
 わたしはカツラもきれいに付け終えて、席を立った。衣裳部屋へ行く前にバンビさんのところに立ち寄った。
 「あら、キレイでありんすなぁ。どこぞのベッピンさんかと思ったでやんす」
 バンビさんは鏡に映りこんだわたしを見て言った。「顔に起伏がないから、白塗りが良く似合いまんなぁ。やっとその顔の落ち着き場所を見つけたでありんすなぁ」
 褒めてるんだか、貶してるんだか、よくわからない。花魁のキャラが乗っかり、いよいよ調子づいている。
 バンビさんは花魁というより、アバズレのキャバ嬢みたいになっていた。わたしがイメージしていた花魁とは違う。付け睫毛、それに蝶みたいな羽睫毛? 顔や髪もシールやヘアカラーでキラキラしている。安っぽくて、品がない。やり過ぎです。
 「じゃ、先に着物を選びに行ってきます」
 わたしは言って、部屋をあとにした。
 衣裳部屋に着くと、さっきの女の子たちがすっかり舞妓さんになって、髪飾りや小物を楽しそうに選んでいた。
 わたしはスタッフと相談し、黄色に花の図柄の着物を選んだ。帯は亀甲模様の金色。背が高くすらりとして品がある顔立ちだから、青や赤より、大人っぽい黄色に挑戦しても映えると思いますよと勧められ、すっかりその気になったのだ。いつも貶されてばかりいるので、誉め言葉にはからきし弱い。着付けをしてもらって、髪飾りもセットして、舞妓に変身完了です。
 おたのもうします。
 そのまま撮影スタジオに入り、いろんなシチュエーションやポーズで写真を撮った。終わると、控室でバンビさんの撮影が終わるのを待った。衣裳部屋から撮影スタジオまで、舞妓コースとは場所が違うようだ。
 しばらくすると、スタッフが来て、バンビさんがいるスタジオに案内された。中に入ると、華やかな極彩色のすこしおどろおどろしいセットの中で、バンビ花魁が肩や太腿を露わに露出して、キセルを口にくわえていた。
 「待ってたでありんす」
 豪華な色打掛を孔雀の羽根のように扇形に広がらせている。熟れて爛れたフルーツのように横になっている。俗っぽさの中にも、妙な凄味があるのはさすがバンビさんだ。
 わたしもそのセットの中に入って何枚か写真を撮った。・・・でも、これってどういうシチュエーション? 舞妓がこんな場所に来て、花魁と絡むことはないでしょうに。でもまぁ、いいか。ファンタジーの世界だし。もともと絵空事なんだから。
 「どうする? 街へ繰り出す?」
 バンビ花魁は舞妓に言った。
 「・・・やめましょう。この組み合わせ、おかしいどす」
 舞妓は冷静に、スタッフの意見も代表して言った。
 「だから、沖田総司にすればよかったのよ」
 「・・・すみません」
 「じゃ、やめときますか」
 バンビ花魁は珍しくあっさり引き下がった。「じゃ、加奈子だけでも行ってらっしゃい。京都の皆さんにその可憐な舞妓姿をお披露目してらっしゃい」
 「・・・いいです。写真を撮ってもらっただけでじゅうぶんです」
 わたしは畳に三つ指を着いて、丁重に辞退した。
 堪忍どすえ、1人で行くのはいやどす。おおきに。
 「そう・・・じゃ、あと30分ぐらい、これを着たままここにいていい? 延長料金が必要なら払いますので」
 バンビさんはスタッフに聞いた。
 「いいですよ、次の予約が一時間後なので」
 「ほかのスタジオも、もう一度、覗かせてもらってもいいですか?」
 「どうぞ。でも、カメラ撮影は禁止になっています」
 スタッフが退室した後、花魁と舞妓のミーティングが始まった。
 「どう? 率直に言って」
 バンビさんが自身を上から下まで見て、聞いてきた。
 「ちょっと俗っぽいかなと思いますけど、これもアリなのかなとも思います」
 「よくわからないよね」
 バンビさんは立ち上がって、鏡に自分を映して見た。色っぽくシナを作ってみたり、後ろを向いて振り返ってみたり・・・
 「着物が思ってたより重く、動きにくいのだけはわかった。さっき着付けの人に聞いたけど、本物もこんなものだって。色打掛を重ね着することもあって、そしたらもっと重いって。裾もおそろしく長いし」
 「激しい動きは無理ですよね」
 「うん、絶対に無理」
 「ショーでよく目にするのは『花魁道中』ですよね」
 「高下駄を履いて、そろーりそろーりと歩くやつね。・・・でもあれ、誰がやっても同じように見える。つまらないわ」
 「じゃ、やはり着物を軽量化しないとダメですね。それで尚且つ、下品にならないようにしないと・・・本物っぽさが出せるかなぁ」
 「でも、雰囲気を味わえただけでもよかったわ、ここに来て。・・・どう、似合う?」
 「・・・いい感じです。雰囲気も出てます」
 「小物を使うのもいいかもしれないわね」
 バンビさんはスタジオ内にある赤い番傘や大きな扇子やお面などを見回しながら言った。「簪を外したら、髪がほどけて、何かに変身するとか」
 「歌舞伎を参考にしてもいいかもしれませんね」
 「うん、見えを切るようなポーズとか、ケレンとか・・・でも、テーマは決めといたほうがよさそう。やっぱ、妖艶な世界とかになるのかな?」
 「そのあたりが王道でしょうね」


  

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