- 2020/07/15
- Category : 自作品(未発表)
夜 眠る前 に 読む 物語 ④
男役
最近、映画や小説や漫画で、死んだ人が『霊』になってこの世にとどまり、あとに残された恋人や姉妹を愛したり応援したりが大流行だけど、まさかそれが自分の身に起こるなんて思いもしなかった。
けれど、私の場合、励ましに来てくれたわけではない。
プロポーズしてきたのだ。そして、謝った。私のベッドで、私に見せつけるように(実際、私が第一発見者となった)切腹して、自殺したことを。私を「男を破滅させる魔性の女」と心ならずとも世間に喧伝してしまったことを。
人によっては、あの一件で一躍名を売り、現在の個性派女優の黛美麗があるのだから、元は取ったじゃないかと奇妙な慰め方をする人もいた。けれど、いや。あれ以来、そういう目でしか、世間が私を見ないようになったのだ。監督の思いつきでたとえコミカルなヒロインの役をもらっても、観客はやはりその背後に「男を殺した魔性の女」を探す。
一時は、ショックから引退も考えた。けれど、負け犬になるのはもっといや。世間がそういう目で見るなら、それを倍にして演じきってやる。私は女優をやるしか、生きていく方法を知らないのだ。
彼がベッドで血まみれで死んでいるのを見たとき、私は何がなんだかよくわからなかった。まず、彼がどうして私の部屋にいるかが、整理がつかなかった。それも全裸で、おなかに青龍刀を刺し、血の海で死んでいたのだ。
とっさに思ったのは、殺人事件じゃないかということだ。理由はとんと見当がつかないが、彼は何者かに私の部屋で殺されたのだ。
その後、何度か、警察から事情聴取を受けた。いま、冷静に振り返れば、まず私が疑われたということだろう。おなかに刺さった刃物の入射角、それに死亡推定時刻の私のアリバイーーそれらが私の無実を証明してくれたのだ。けれど、疑われるにして、私にいったいどんな動機があったというのだろう?
真相が自殺と判明し、週刊誌やスポーツ新聞やワイドショーのマスコミは、私が彼に「別れ話を持ち出したこと」が原因と報じるようになった。痴情のもつれから、彼が悲嘆し、腹を切るという突拍子もない行動に出たというのだ。けれど、冗談も休み休みにして。そんな事実はどこにもなかったのだ。もし原因があったとすれば、私が彼の女にならなかったからだ。要するに彼は勝手に私に熱を上げて、勝手にその熱を冷ましたのだ。
彼とは、2年ぐらい前にCMの仕事で知り合った。彼はクライアントの製薬会社の人で、打ち合わせや撮影現場によく顔を見せていた。歌劇団時代からの私の熱烈なファンだというので、数回、スタッフと一緒に食事をした。ただ、それだけの仲だったのだ。CMをシリーズ化する予定もあると、それとなく関係を要求されたときも、私は煮えくり返るはらわたを隠し、涼しく笑っただけだ。お安く見ないで。確かに私は転身に失敗し躓いていたけれど、ララ組のトップスターを張っていた女なのよ。私は長らく娘役に憧れみたいな飢えを持っていたけれど、私が演じたかったのはシブい男に愛される可愛い女であって、ゲスな男に弄ばれる恥知らずな女ではなかった。
遺書はなかった。彼には妻子があった。ワイドショーが家族の姿を映していた。その顔は混乱の渦中にあって、泣くことすら忘れていたが、それでもカメラの向こう側にいる私に恨みつらみの目を向けていた。
私はいつのまにか『悪女』と烙印を捺され、非難の矢面に立たされていた。知らないうちに話は勝手にふくらんで、ごくたまに私の無罪潔白を証言してくれる関係者もいたが、それは「男を狂わせる魔性の女」と新しいレッテルに貼り替えられただけだった。悪い夢を見てる。いつまでも明けない真っ暗闇の夜に私は震えている。無実を訴えるコメントは、ことごとく曲解され、恣意的に深読みされた。虚構を売って生きている人間の言葉など、誰もまともに受けとめてくれなかった。世間は真実など求めてないのだ。
マスコミは私たちの関係に想像をたくましくしても、死んでる人間を突然見させられた私のショックに想像力を働かせてはくれなかった。それがどのくらいの衝撃を人に与えるか。後の人生に暗い影を落とすか。目を閉じると、がらんどうの濁った目で虚空を見ている彼のグロテスクな死顔が浮かぶのだ。私は睡眠薬やアルコールなしでは眠れなくなった。慰めてくれた男たちと安易に関係を結んだ。男たちはそこかしこで魔性の女を征服したスリリングな武勇伝を語った。私のプライドはずたずたに引き裂かれた。
けれど、3か月で私は仕事に復帰した。女優に戻るしか、この苦界から脱する道はないと結論したのだ。事務所に戻ると、トークショー、ヴァラエティ、グラビア、映画主演のラッキーなオファー・・・仕事は殺到していた。私はそれらの中からやはり映画を選んだ。意味のない愚かな不倫の果てに殺されてしまう女が主人公のくだらない映画だったが、私はこのとき心の底から虚構の世界に生きる決心をしたのだ。
友達は私がいまもこの部屋で暮らし続けていることがどうにも理解できないようだ。ベッドも買い替えてないクリーニングしただけだと言うと、その顔には驚愕と恐怖の色がほのかに浮かぶ。まるで私を魔物でも見るかのような目で見る。
そういうとき、私は明るく笑うことにしている。彼がベッドの中でとても幸せそうな満たされた顔になるからだ。私の笑顔は日本の女優の中でいちばん酷薄で凄味があってシビレルそうだ。彼が筋金入りのマゾだと知ったのはつい最近のことだ。
(了)