比留間久夫 HP

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夜 眠る前 に 読む 物語 ①

      アゲハ    


 なんて間抜けなんだろう。

 今日、アゲハが蛹から出てきた。こんな雨降りの日に。
 葉っぱの裏にしがみつくようにとまり、降りしきる雨になすすべもない。
 隣家との境のブロック塀の手前に、ゆずの木が植わっている。前の住人が植えたのか、大家さんが植えたのかは知らないけど、その木は、ミカがこのアパートの1階の部屋を借りた3年前からあった。

 ゆずはあまり実らない。
 アゲハの幼虫が葉っぱをみんな食べてしまうからだ。
 初夏になると、黄緑色の新幹線みたいな芋虫がこの木に大量発生する。
 去年、奥行き1メートルにも満たない狭い土の場所に、買ってきた花を植えていて、気づいたのだ。
 図鑑で調べると、アオスジアゲハの幼虫だった。
 そういえば、窓の外をアゲハが飛んでいるのを何度か見たことがある。
 あれは卵を産みつけに来てたのか。
 見ていて、あまり可愛いと言える芋虫ではなかったけれど、これがあの綺麗なアゲハになるのかと思うと、その成長が楽しみになった。
 けれど、蝶に変わるのを一度も見たことがない。

 それが今年は蛹を一つ見つけたのだ。隣家の庭からはみ出している月桂樹の枝に。以来、朝、目が覚めると、いちばんに見に行くようになった。
 アゲハは固まってしまったように動かない。
 きっと雨がやむのをじっと待ってるんだろう。
 このまま何日もやまなかったら、どうするのだろう? それにもっと雨が強くなったら?

 電話が鳴って、ミカは窓辺を離れ、大急ぎで机上の受話器を取った。
 どこで番号を調べるのか、英会話教材のセールスだった。
 「いま、YWCAに通ってます」と嘘を言って、ミカは受話器を戻した。
 イラストの持ちこみをした出版社からは、今日でもう4日になるのに、電話がかかってこない。2、3日中に連絡すると約束したのに。
 もしかしたら、まだ見てくれてもないのではないか?

 ミカは椅子に座り、また、イラストを描きはじめた。
 気持ちの良い線が描けない。ミカはイライラして、ペンを置いた。
 砂糖をたっぷり入れた熱いミルクティーを作って、窓のところへ行って飲んだ。
 うまくいかないなぁと思った。
 才能がないのだろうか? ほかの道を探したほうがいいのだろうか?

 ミカは台所の収納から、ビニール紐を探して、戻ってきた。
 窓を開けて、アゲハがとまっている月桂樹の枝に手を延ばす。届くのを確認すると、アパートの建物の側に紐を結べるところがないか、探した。ちょうどおあつらえ向きの場所に、樋の管がある。
 ミカはまず樋の管に紐の一方をくくりつけて、それから月桂樹の枝に指を延ばした。アゲハを驚かせないように、そーっと枝をつかみ、ゆっくりたわませると、雨の当たらない軒下まで時間をかけて引っ張り、もう一方の紐先をしっかりと結んで、固定した。
 細かい雨粒はかかるが、まぁ、すこしはマシだろう。
 ミカはバスルームへ行き、濡れた手や髪をタオルで拭いた。

 ミカはイラストレイター志望だ。
 現在は、その卵といったところだ。
 来月には24歳になる。まだ、そんなに焦る必要はないのかもしれない。
 占いの本にも大器晩成型と書いてあったし。

 翌日も雨はやまなかった。
 遅く起きたミカが見に行くと、アゲハは昨日と同じ場所にいた。
 地面に墜落もしてなければ、虫に襲われてもない。
 ミカは午前中を無為に過ごした。
 何もする気が起きない。
 昨日は結局、電話はかかってこなかった。

 午後になって、雨が強くなってきた。
 風も出てきたみたいだ。
 アゲハはすこし位置をずらしていた。
 吹きこんでくる風雨をすこしでも避けようとするように、軒下のほう、葉の裏のほうに移動している。
 軒からポタポタ滴る雨垂れの間隔が速くなっている。

 ミカは玄関へ行き、傘を取ってきた。
 窓を開けて、傘を差しかけてやる。
 傘を固定する方法はないかと考えたけど、なかった。
 しかたなく雨が弱まるまで差していた。
 ついてないなぁと思った。
 何でこんな最悪のときに出てくるんだろう?

 出版社から電話があったのは、その日の5時ごろだった。
 とりあえず、あと何枚か似たようなものを描いて持ってきてほしいと、編集者は言った。それを拝見して、いま一度、考えたいと言う。
 なんて宙ぶらりんな返事。

 翌朝、雨はやっとやんだ。
 アゲハは葉の表側に移動していた。
 こわばるように閉じていた翅を拡げて、標本のように静止している。
 白黒の地模様に青筋が光のように映えて、とても鮮やかだ。この3日の間にすこし大きくなったような気がする。翅を精いっぱいに拡げているからだろうか。
 ミカが見ていると、アゲハはパッと飛び立った。
 隣家との間の狭い空間をヒラヒラと軽やかに舞って、アゲハはすぐに見えなくなった。
 なんだよう、あいさつもなしかよぉ。

 まっ、とりあえず描こう、とミカはくぅーっと伸びをした。
 顔を洗って、朝ご飯を食べて、部屋の空気を入れ替えよう。
 描くしかないもんな。
 なんだかすこし綺麗な線が描けそうな気がした。



                        (了)






   短編にも満たない短いものを集めた本を出したいと考えていた。
   タイトルは仮題だが、『夜 眠る前に読む物語』





 

2 Comment

無題



HAPPY BATHDAY!


どーもありがとう。
  • HIRUMA ULTRA
  • (2012/02/14 17:21)
大きな人になれるよう、がんばります。

踊るチャイコフスキー


踊るチャイコフスキーの中の

ぼくのうなじにキスをした。
まるで死者を慈しむように、ぼくの髪を撫でていた。

想い出すととても優しく切ない気持ちになる…
忘れられない空気

デルフィニウムの青はもう書かないのですか?
印象的なタイトルで読んでみたいとあの頃から想っているのですが…
青春の青は水の様に光によって色を変える繊細な青でしょうか…

私も今は綺麗な線が書ける様になりました…


デルフィ
  • HIRUMA ULTRA
  • (2012/02/10 22:46)
デルフィ二ウムの青はボツになりました。
でも、植物を育ててる男の子の話はいつか書いてみたいなと思っています。

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