- 2020/07/13
- Category : 自作品(断片・部分)
『デルフィニウムの青』
僕の意見ではこの世界はデルフィニウムの青だ。
デルフィニウムは初夏に青い花を咲かせる高さ1メートルにもなる宿根草で、僕の住む東京では夏越しはおろか、良い花を咲かせることすら難しい。
北海道に行くと、ラベンダーやルピナスに混じってその本来の夢のような色と気品で美しく咲いている姿が見られる。ヨーロッパや北アメリカが原産で、冷涼な気候を好むためだ。高温多湿でおまけにエアコンや車の排気熱でヒートアイランド化が加速し、夜になっても気温が下がらない寝苦しい熱帯夜が続く季節の壊れたこの地では、デルフィニウムが生きるには最も過酷な条件であるに違いなく、はじめから育成を諦めるべき花なのだ。
家の庭からデルフィニウムの姿が消えてーー母が3年前にとうとう全面撤退し、僕はデルフィニウムを育てはじめた。秋にビニールポットに種を蒔き、日陰で芽を出させたら、冬は室内の日当たりの良いところで管理育苗する。冬になっても地温が下がらないからか、生きのびているナメクジやヨトウムシなどの害虫や、雪から若苗を守るためだ。それに春になるまでにできるだけ大きな株に育てておくことが立派な花を咲かせる成否となる。そして3月ごろ、外に出す。適地を選んで地植えする。プランターや鉢で育てるのも可能だがーーまたその方が雨や風から守ってあげられるが、根を大きく張れないためか、本来の大きな花は望めない。僕が見たいのは雄大な花穂を大きな空に伸ばし、庭でひときわ異彩を放って咲く別格の花ーーデルフィニウムなのだ。
偶然の好条件が重なって、一度だけ、庭でものすごい花を咲かせたことがある。僕が小学5年生のときだから、もう6年前だ。その年は前年に続く冷夏で、空梅雨で、都心の水不足が騒がれた年だったらしい。前年うまく夏越しに成功した株がその年には大株になって素晴らしい花を咲かせたのだ。咲いている最中、雨や高温の蒸し返しにやられることもなく、株も衰弱しなかった。1か月にわたり、花は奇蹟のように咲き続けた。母は狂喜乱舞し写真やビデオを撮りまくり、花仲間を狭い庭に招待し、ベルガモットティーやミントクッキーをふるまった。僕は母のいないとき、暑く汚く貧しい国に何かの間違いで流刑の憂き目にあった王様のように優艶と咲くその花を見た。
ルリマツリやブルーデージーやヘブンリーブルーや・・・綺麗な独特の青を咲かせる花はほかにもいろいろある。でも、やはりデルフィニウムの青は別格なのだ。ほかの花は「きれいだな」と見る感じだが、デルフィニウムはその青の夢幻の深さに吸いこまれそうになる。主体が僕にではなく、花にあるとでもいうように。
僕はあのとき息が詰まるような不可解な感覚に襲われ、花から目が離せなかった。僕は何を見たというのだろう? いや、たぶん何も見ていなかったのだ。見るという行為から束の間、解放されていたのだ。それは簡単に言うと、生きている意味や存在の意義などを追い求める必要はないということだと思う。僕はもうすでに生きているし、このままで存在しているのだから。
僕は教室の窓から、今年も本格的にやってきた梅雨を見ていた。これじゃ今年もきっと良い花は望めないだろう。立ち枯れたり、みすぼらしい花を見るくらいなら、株が弱る前に早目に大きなテラコッタに掘り上げ、夏越し対策に知恵をしぼったほうがいいだろう。また、来年を待つのだ。
でも、僕はいま、例年のようにデルフィニウムの奇蹟にそれほど心を割かれているわけではなかった。僕は雨の向こうに動き回る野生の花を見ていた。それは荒あらしく傷つきやすく決して管理支配なぞできない。大地にへばりついている根を切らなくてはならないのは僕のほうなのだ。そうしなければ、追うことさえかなわないのだから。
僕は恋をしていた。それが恋であるとはっきり自覚していた。
僕は17歳、高校2年生だった。
【 解説 】
1999年に、ゲイマガジンに「ゲイを主人公とした小説を」と依頼され、書けるかなぁと心配になりながら書きはじめた作品。残念なことに雑誌は創刊号でポシャってしまったため、全4回連載完結予定の話は初回の1話で終わってしまった。そこから、気に入ってる序章の部分だけ取り上げてアップしました。
当時の原稿を調べると、結末までは進んでないが、ほぼ書き上がっていた。ちょっと読み返したところ、手直しがかなり必要なレベルなので、当分、続きを発表する予定はない。原稿用紙で400枚以上の長編だろうか。
内容は、植物好きの内向的な少年の春の目覚めみたいなものか。舞台は高校で、音楽や政治や性や死が絡んでくると記憶してるが、なにぶん20年前の話なので定かではない。正直なところ、物語がどう展開していくのかよく憶えていない。
1 Comment
続き…
- 開(芳賀)元子さん
- (2020/07/14 19:02)
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続き読みたいです
比留間さん、植物好き男子なんですねー。なんか以外です。
Re:続き…
- HIRUMA ULTRA
- (2020/07/14 20:30)
読み返せる気力待ちです。