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  <title>比留間久夫　HP</title>
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  <description>くたばってないよ、生きてるよ。</description>
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    <title>６１年前</title>
    <description>
    <![CDATA[６１年前、５歳のとき<br />
保育園の入園式の朝と思われる。<br />
なんかキゲン悪そう<br />
ずっとこんな感じだった気がする。<br />
ヒネクレ者の難しい子<br />
<br />
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<br />
]]>
    </description>
    <category>近況</category>
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    <pubDate>Fri, 01 May 2026 14:18:34 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>筋書きのあるドラマ</title>
    <description>
    <![CDATA[「パパ、あれ、何してるのかしらね？」<br />
「何してるんだろうね」<br />
「この世は筋書きのあるドラマよね」<br />
「そうだね、誰が書いてるんだろうね」<br />
「・・・もしかして、パパ？」<br />
「まさか・・パパにそんな力はないよ。<br />
・・それにパパだったら、ああいう結末にはしない」<br />
「物語の最後はどうなるの？」<br />
「それはこの世界に暮らす一人一人みんなが紡いでゆくものだよ、<br />
・・なんてことは言わない。<br />
　たぶん、ＳＦっぽくなるんじゃないかな」<br />
「奇想天外な感じ？」<br />
「ああ、その日まで命があるなら、観てみたいね」<br />
<br />
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<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>小説よもやま話</category>
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    <pubDate>Sun, 15 Feb 2026 08:18:10 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）３７　３８</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
　　　　　　３７<br />
<br />
<br />
　「わたし、マンションに帰ってましょうか？」<br />
　加奈子は化粧を落としているバンビに聞いた。<br />
　さっきまでテレビの取材陣が部屋にいた。今日のイベントがワイドショーで採りあげられるらしい。普段のバンビさんの映像が欲しいとのことだった。<br />
　「なんで？」<br />
　バンビは怪訝そうに聞いた。<br />
　「だって、さっきの元カレさん、部屋に来るんですよね？」<br />
　イベント会場からの帰りのタクシーの中で、バンビさんは教えてくれた。８年前に別れた元カレと偶然さっきの席でバッタリ会ったのだと。ビックリして、息が止まりそうだった。<br />
　「・・・何か変なこと考えてる？」<br />
　「・・・はい、考えてます」<br />
　「だいじょうぶ。晁生は女には興味ないから」<br />
　「・・・わたしのことじゃなくて」<br />
　「あら、わたしのことを言ってるのよ」<br />
　バンビは失礼ねって顔をして加奈子を見た。「・・・彼はね、ゲイで女の子には興味ないの。女の恰好をした、もと男にもね。もっとはっきり言うと、嫌いなの。・・・わたしがまだ男の子だったときの彼なの。別れた理由はわたしが『女』になりたいって言ったから。わたしは最終的に彼じゃなくて、『女』になることを選んだの」<br />
　バンビさんはホテルのこの部屋に戻ってくると、大急ぎで花魁のメイクを落とした。鬘や衣裳はレンタルなので、会場のスタッフルームで業者に返した。<br />
　普段のメイクに戻した。髪を整えて、ジバンシーのドレスを着て、香水をつけて、隣室で待っていたテレビスタッフのところへ行き、愉しく応対した。<br />
　そのメイクをいま、また落としている。気に入らないのだろうか？<br />
　「ああ・・・話してたら、また悲しくなってきちゃった。加奈子、悪いけど、頼まれごとを聞いてくれる？」<br />
　「はい」<br />
　「マンションに戻って、服を取ってきてくれる？　この前、打ち合わせのときに着てたブラックのソフトツイードのセットアップ憶えてる？　あれを持ってきて。あと、あのとき履いてたヒールとストッキングも。ネックレスもね。あと、普段使いの化粧品が入ったバニティケースも。大急ぎでね、タクシーを使って」<br />
　「・・・はい」<br />
　加奈子は備え付けのメモ用紙に、いま言われたものを大急ぎで書いて確認を取った。元カレと会う服だろう。バンビさんはバスルームに入った。<br />
<br />
　イベント会場の廊下で彼と話してから、バンビさんはずっと低空飛行になっている。仕事はちゃんとこなすのはさすがプロだけど、その後の落差が激しい。急降下する。<br />
　今日はショーも終わって、ハードな日々からやっと解放される日だったのに。そのショーも大成功だったのに。ニューヨークから来たプロモーターさんにもビッグな話をいただいた。わたしも分不相応に褒められた。テレビ取材も入って、今日のイベントも全国ネットで放映される。なのに、元カレと再会したことで、全部が吹き飛んでしまったみたい。<br />
　きっとまだ、元カレが好きなんだろう。<br />
<br />
　大きな荷物を手にホテルの部屋に戻ると、バンビさんはドレッサーに座り、じっと自分の顔を見ていた。<br />
　まだ、元カレは来てないみたいだ。間に合った。<br />
　２時間後ぐらいと言ってたから、午前１時に来るとして、予定通りなら、あと１０分ほどだ。急いで着れば、間に合うだろう。<br />
　「加奈子、この化粧どう思う？」<br />
　バンビさんは鏡から目は離さずに聞いてきた。<br />
　バッグからセットアップスーツを取り出し、皺が寄らないようにすぐにハンガーに掛けてから、バンビさんの背中に回って、鏡に映るその顔を見た。<br />
　化粧をしてないみたいだ。ほぼ、素顔だ。ファンデは塗ってるけど。口紅もグロスを塗っているだけかも。<br />
　「化粧をしてないように見えますけど」<br />
　「普段が濃いからね。これ、ナチュラルメイクなの」<br />
　「バンビさん、素顔はかなり童顔だから、可愛らしい感じになりますね」<br />
　「男の子っぽい？」<br />
　「そうは見えません。ただ、いつもとだいぶ印象が違います」<br />
　「化粧品、持ってきた？」<br />
　「はい。いま、持ってきます」<br />
　バッグの中からバニティケースを取り出し、蓋を開けて、ドレッサー台に置いた。<br />
　「これじゃ、服と合わないもんね。ラフな白シャツとジーンズって感じ」<br />
　バンビさんはボックスから化粧品を取り出した。<br />
　「どう思う？」<br />
　そう言われても、白シャツとジーンズは持ってきてない。第一、そんな恰好をしたバンビさんを見たことがない。<br />
　「わたしも、持ってきたスーツには合わないと思います」<br />
　「そうよね、このメイクじゃ、フォーマルじゃなく、カジュアルだもんね」<br />
　バンビさんは薄くアイラインを引きはじめた。口紅も引いたけど、おとなしめの色だ。目蓋の上を青黒系ですこし暗くする。<br />
　髪も洗って、ブローしたみたいだ。ふわっとナチュラルな感じで仕上げている。<br />
　「これでいいわ」<br />
　そう言ったけど、あまり変わってない。<br />
　バンビさんは持ってきた服に着替えはじめた。<br />
　着替え終わると、壁の大きな鏡の前に立って、点検した。ちょっとおめかしして授業参観に行く母親みたいに見える。<br />
　ネックレスを選んで、靴も履く。その暗く険しく浮かない顔を見てると、これからお葬式に行くのかとも思う。<br />
　「いま、何時？」<br />
　「１時です」<br />
　「そろそろね」<br />
　「携帯電話の番号を知らせておけばよかったですね。気が回りませんでした」<br />
　「・・・わざと教えなかったの」<br />
　バンビさんは鏡の前で、シャツの襟を立てたり、ジャケットのボタンを外したりしている。<br />
　「だって、これから電話が鳴る度、晁生かもしれないって思うでしょ」<br />
　部屋の電話が鳴った。<br />
　バンビが取ろうとしないので加奈子が取る。フロントからで、川西さんという方がお見えになられてるがお通ししていいかと聞かれた。バンビに伝える。<br />
　「いい。わたしが下りてくわ」<br />
　バンビさんの言葉をフロントに伝える。<br />
　「わたしはどうしてたらいいですか？」<br />
　「部屋でお留守番してて。・・・今日はちゃんと帰ってくるから」<br />
　バンビさんはドアのところで不安そうに立ち止まった。<br />
　振り向き「どう？」と加奈子に聞いた。<br />
　いつものようにバンビさんを上から下まで、衛星のように回ってくまなく後ろも見て、<br />
　「だいじょうぶです」と言って、送り出した。<br />
<br />
　バンビさんが部屋に戻ってきたのは1時間後ぐらいだった。<br />
　加奈子は荷物の片づけをしていた。一回で運べないくらいの荷物になってしまった。バンビさんに手伝ってもらうか、ホテルの配送サービスを頼むしかないだろう。<br />
　バンビさんはそのまま奥の部屋へ行き、ベッドに倒れこんだ。<br />
　しばらく時間をおいてから、「・・・どうでしたか？」と聞いた。<br />
　ほかになんて言っていいか、わからなかった。<br />
　「今日は本当、いろんなことがあって疲れたわ」<br />
　バンビさんはうつぶせたまま、くぐもった声で言った。<br />
　「川西さんは帰られたんですか？」<br />
　「うん、帰った。また会おうって言ってくれた」<br />
　「良かったですね」<br />
　「うん」<br />
　「浴衣に着替えますか？　手伝います」<br />
　「面倒臭いから、もうこのままでいい」<br />
　バンビさんは履いていたヒールを足を使って脱いだ。<br />
　「もう寝る。チェックアウトは何時だったっけ？」<br />
　「１１時です」<br />
　「じゃ、寝てたら、ギリギリまで寝かせといて」<br />
　「・・・わかりました」<br />
　加奈子はエアコンのスイッチを『弱』にした。<br />
　「灯りは消しますか？」<br />
　「・・・いい、点けといて」<br />
　「ほかに何かすることはありますか？」<br />
　「・・・ない」<br />
　加奈子は部屋のドアを静かに閉めた。<br />
　わたしはどこで寝よう？　ベッドはバンビさんの隣にある。<br />
　ドアの近くにソファを移動して、そこでうたた寝をしよう。<br />
　しばらくすると、バンビさんがしくしく泣く声が聞こえてきた。<br />
　明日、起きたら、様子を見て、話を聞いてあげよう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　３８<br />
<br />
<br />
　加奈子は買ってきた宿根草の苗を庭に植えていた。<br />
　バンビさんはあれから３日間泣き通しだったけど、いまはだいぶ笑顔が見られるようになった。<br />
　ショーのことで気を張り詰めていた疲れもあったのだろう。<br />
　今日は横山さんとランチデートに出かけている。昨日の夜、心配した横山さんから電話があったのだ。店を都合１週間も休んでいたから。２人の関係はまだ続いていたみたいだ。わたしはちょっと機嫌が悪い。たぶん、嫉妬してるんだろう。<br />
　元彼とは何もなかったみたいだ。ホテルのバーに行き、近況報告やあれから何をしてたとか、昔の友達の話・・・そんなことを話しただけだという。やり直せるなんて選択肢はないし、焼け木杭に火が付くなんてこともないし、「もうすべて終わったこと」なのだそうだ。それを確認しに行っただけだと思う。・・・でも、あの日、外人さんが言った「今日は魔法のような日だ」という言葉がいまも耳に消えないで残っている。だから、魔法の日に起きたことだから、きっと再会できたことはいいことなんだと思う。<br />
　加奈子はスコップを地面に突き刺した。庭には思いのほか、芝生が残っていて、難渋した。暖かくなって、予期もしないところから芽がツンツンと出てきた。どこかに花の芽でも出てないかと注意深く探したが、見当たらなかった。でも、ウッドデッキのステップを下りた右側にチューリップが生えていた。２週間前、庭の掃除とベース造りをしてたときに見つけたのだ。<br />
　今日、見ると、小さいけど蕾をつけていた。どんな色が咲くのだろう？　チューリップは毎年球根を掘り上げて植え替えないと、良い花が咲かない。植えっ放しにしておくと、年々球根が細り、貧弱な花しか咲かなくなる。しまいには枯れる。<br />
　これ、バンビさんが植えたのだろうか？　それはないな。たぶん、前の住人が植えたのだろう。<br />
　庭の後方に背が高くなる宿根草を植えることにした。いわゆる、ボーダーガーデンだ。ジギタリス、クラリーセージ、瑠璃玉アザミ、ペンステモン・ハスカーレッドを買ってきた。いま、それらを芝生が生えてないところを見つけて、植えている。あとはニゲラやクレオメやオルレアやコスモスの種を蒔こう。花屋で気に入った花を見つけたら、追加で植えていこう。<br />
　６月ごろには宿根草の花も咲き出して、それなりに賑やかになるだろう。バンビさんのテンションもきっと上がるだろう。花を見て、顔を背ける人はいない。<br />
　ガラガラっと窓が閉められる音がして、カチャっと錠が下ろされた。<br />
　え・・・どういうこと？　加奈子は出入口の引き違い窓を見た。開けておいた窓が閉められている。でも、誰の姿もない。<br />
　怖くなって動けずにいると、バンビさんが窓越しに現われた。こっちを見て、驚いた顔をしている。小芝居だとすぐにわかった。<br />
　「あら、いたんだ・・・不用心ねって閉めちゃった」<br />
　窓から顔を出して笑った。「お土産を買ってきたわよ、天命堂の桜ケーキ。食べましょう」<br />
　ケーキが入った箱をぶらぶら揺らして言った。<br />
　「今日は早いんですね」<br />
　「だって、ランチご一緒しただけだもの。彼、これから仕事があるし」<br />
　「愉しかったですか？」<br />
　「うん」<br />
　「・・・いまちょっとここをやりかけちゃったんで、すこし待っててもらっていいですか」<br />
　バンビさんはそのままウッドデッキに出てきた。昼からお酒でも飲んだのか、すこし酔ってるみたいだ。陽の光が気持ちいいのか、デッキの縁に腰かけて、大きく手を広げて伸びをした。<br />
　「そんなとこ座ると洋服が汚れますよ」<br />
　「いいの、洗うのはあなたなんだから」<br />
　「あ、そうだ・・・バンビさん、何か植えてほしい花はありますか？」<br />
　バンビさんは聞かれて、あらためて庭を見回した。<br />
　「・・・ないわ。だって、わたし、ここを引き払ってニューヨークに行くかもしれないし。好きな花なんて植えたら、ここに『根付く』みたいでゲンが悪いじゃない」<br />
　「・・・そんなぁ。そんなこと言わないでくださいよぉ。いま、やりはじめたばっかなのに」<br />
　「あら、あなたも一緒に行くのよ、ヌーヨーク」<br />
　「・・・え？」<br />
　「いやなの？」<br />
　「いやじゃないですけど」<br />
　「迷うことなんて何もないでしょ。そもそも大学も行ってないんだから」<br />
　「・・・知ってたんですか？」<br />
　「あなたも知ってたんでしょう？　もうバレてるって。だって、バレるようなことばっかしてたもの」<br />
　「・・・どうもすみません」<br />
　加奈子は地べたに頭を付けて、謝った。<br />
　「そのまま１時間ぐらい、そうしてなさい。・・・そしたら許してあげる」<br />
　バンビさんは立ち上がって、お尻をパンパンと叩くと、怒ったように部屋に戻って行った。<br />
　しかし、すぐに戻ってきた。<br />
　「・・・だから、ケーキが早く食べたいの。もういい、水に流してあげる。一区切りついたら部屋に来て、お茶を入れてちょうだい」<br />
　加奈子が顔を上げると、バンビさんはケーキの箱をぶらぶら揺すって、ウインクした。<br />
<br />
　桜ショコラケーキは思ってた通り、崩れていた。あれだけ揺すったら、中で倒れる。でも、甘くて苦くて美味しかった。<br />
　「本当にすみませんでした」<br />
　加奈子はもう一度、頭を深く下げて、謝った。<br />
　「・・・なんで嘘をついたの？」<br />
　「肩書がないと相手にしてもらえないかと思って・・・」<br />
　「まぁ、そんなところよね」<br />
　「すみません。いつも白状しようって思うんですけど・・・いざ言おうとすると、わたしのこと全部が疑われるんじゃないかって怖くなって・・・勇気が出ませんでした」<br />
　「嘘つきは泥棒の始まり？・・・違うか」<br />
　「一事が万事です・・・」<br />
　「そう、それ」<br />
　「でも、信じてもらえないかもしれませんけど、わたし、ほかには嘘はついてないです」<br />
　「信じてます」<br />
　バンビは加奈子を見て言った。「でもそれって、わたしを騙そうとしたわけじゃなく、気に入られようとして、ついた嘘よね？　わたしが好きで好きでたまらないからついちゃったのよね」<br />
　「はい・・・どうしたら相手にしてもらえるか、いろいろ考えたんです」<br />
　「じゃ、罪はわたしにある。・・・違うか」<br />
　「一理あると思います」<br />
　「ない」<br />
　「はい・・・申し訳ありません。反省してます」<br />
　「わたし、今日、思ったんだ。これからはわたしを好きになってくれた人をいままで以上に大事にして生きていこうって。だって、一生のうち、何人も巡り逢えないでしょ。いつ別れるかもしれないし、ヘタすりゃ死んじゃうかもしれないし。二度と戻れなくなるときもある・・・なら、いまこのときを後悔しないように生きていこうって」<br />
　「・・・横山さんに何か言われたんですか？」<br />
　「会ってる間中、ずっと好きだって言われたわ」<br />
　「・・・良かったですね」<br />
　「だから、加奈子にも言うわ。わたしを好きになってくれてどうもありがとう。これからも、あなたとの時間を大事にして過ごしていきます」<br />
　「こちらこそ、よろしくお願いします」<br />
　加奈子は勢いに押され、丁重に頭を下げた。「・・・どうか、お手やわらかに」<br />
<br />
　加奈子は庭に出て、作業の続きに戻った。<br />
　バンビさんも出てきて、日向ぼっこをしている。<br />
　化粧も落としたし、今日はもうどこにも出かけないみたいだ。まだ、本調子ではないのだろう。<br />
　「・・・で、話は変わるけど、加奈子は本当のところ、大学へ行きたいの？　もし行きたいなら、学費出してあげてもいいわよ」<br />
　「いいです。別に行きたくないです」<br />
　「じゃ、わたしがニューヨークへ行くと決まったら、一緒についてくる？　すぐに戻ってくるハメになるかもしれないけど」<br />
　「はい・・・もし連れてってくれるなら、行きたいです」<br />
　「わかった、じゃ、お前も連れてってやる。嬉しいか？」<br />
　「ワン！」<br />
　「・・・それで加奈子は英語できる？」<br />
　「できません」<br />
　「じゃ、明日からでも英会話の学校へ行って喋れるようにしといて。バイトはもうやめてもいいわよ」<br />
　「バイトやってるのも知ってるんですか？」<br />
　「知らないけど、どっかで何かやってるんでしょ？」<br />
　「新宿の花屋さんでやってます」<br />
　「楽しい？」<br />
　「はい」<br />
　「やめたくなかったら、適当に調整してね。とにかく英語はお願い」<br />
　「でも、バンビさんもお店で働くようになったら、英語ぐらいは喋れないとＮＧだと思いますよ」<br />
　「そしたらそのとき考える。まだ、決まったわけじゃないし。それに生活しながら、加奈子から習うからＯＫよ」<br />
　「・・・そうですね。じゃ、がんばります」<br />
　「あら、チューリップ、咲きそうね」<br />
　「え、それ、バンビさんが植えたんですか？」<br />
　「そうよ、もう２年ぐらい前かな、洋服屋さんで球根をもらったの」<br />
　「何色が咲くんですか？」<br />
　「忘れた」<br />
　「じゃ、それは咲いてのお楽しみということで。・・・咲き終わったら、植え替えておきますね」<br />
　「なんで？」<br />
　「植え替えないと、いい花が咲かないんです」<br />
　「・・・そうなの。それで、蕾が小っちゃいんだ」<br />
　・・・でも、ニューヨークに行くかもしれないし。植え替えても、無駄か。<br />
　まぁいいや、それはそのとき、また考えよう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（了）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
    <link>https://chao213.blog.shinobi.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90/%EF%BC%A8%EF%BC%B02000%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89%E3%80%80%EF%BC%93%EF%BC%97</link>
    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 23:35:32 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）３４　～　３６</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
　　　　　３４<br />
<br />
<br />
　疲れてる人は良い人だ。<br />
　これ、何のコマーシャルだったっけ？<br />
　新人研修のとき、昔のテレビＣＭをさんざ見せられた。<br />
　ああ・・・滋養強壮ドリンクだ。<br />
　疲れてる人が良い人なら、この世の中、良い人だらけじゃないの。疲れてる人は誰かのために一生懸命に働いてるから、良い人だって意味？<br />
　おだてて、商品を売りつけようって魂胆が見え見えです。コマーシャルとは騙されてるって気づかせないで騙すこと。わたしたちは詐欺師の手先。<br />
　けれど、本当に体力がなくなった。わたし、疲れたわ・・・って誰かの胸ではかなく言って甘えたい。<br />
　女ホルを服むのをやめてみようかな。でも、やめたら、ヤバいことになるって先生に脅されている。まさか自分が生きる目的を見失って自殺するとは思えないけど、こればかりは自信がない。だって、死んでる人、いっぱい知ってるもん。<br />
　服んでても、自殺は多い。調べたら一般人に比べて自殺率は高いし、早死に率も高い。命短し恋せよ乙女。ああ、それならせめて乙女に生まれてきたかったわ。<br />
　性欲もなくなってきたし、サドっ気もなくなってきた。攻撃性が薄れてきたのには、かなり危機感を覚えている。だって、わたしを支えてきたのは怒りですから。牙を取られた獣に生きる価値はあるっていうの。文字通り、去勢されちゃったってことじゃん。<br />
　ステージではバンビが背後のＬＥＤビジョンの映像に合わせて、入念にリハーサルをしている。会場を使えるのは、今日を入れて２回だ。本番まで、あと２週間、間に合うのだろうか？<br />
　結局、開催は４月４日、一日だけとなった。準備期間が短いし、予算的にもかなり無理。スポンサーは個人的に懇意にしてくれている外資系のＩＴベンチャーの社長が応じてくれた。それもあってイベントタイトルは《性のドットコム革命　境界を超えろ！　最先端を走るトランスジェンダーの世界》になった。２１世紀は良くも悪くもマイノリティが注目され、活躍する時代になる。その到来を高らかに予告するイベントだ。わたしはいちばん先に丘に登り、みんなに、そして自分の運命に、未来に、高らかにラッパを吹くのだ。<br />
　イベントは１８時開始２３時終了。食事休憩90分を挟んで、２部構成。第１部は、アパレル系、美容系、宝飾系の人たちによるファッションショー。有能な、また個人的に好きな、知ってる限りの人たちに声をかけて、また知らない人は自薦推薦を含めて応募してもらって、決めた。会場には彼らの専門ブースも設置する。商品を販売したり、事業をプロモーションしてもらう。もちろん、彼らたちは全員、ゲイだ。もしくは、ゲイが中心に運営されてる組織だ。<br />
　フード＆ドリンクは原宿を拠点に人気を集めている、マージナルキッチングループに頼んだ。店で出しているものより、もっとブッ飛んだメニューを用意してくれることになっている。<br />
　会場には文学や絵画やＣＧ作品やオブジェや生け花など、アート作品もところどころに鏤めるように展示する。ゲームやアトラクションを開発する会社には体験型のブースを用意してもらう。美容整形チェーンや性転換系の医療を手掛ける関係者や旅行会社も専門ブースで出展する。休憩中や終了後の交歓パーティーでは、それらのエリアを愉しく有意義に回遊してもらえればと思っている。<br />
　第２部は、２０：３０スタートだ。真面目な話をーー社会学者と哲学者の講演を３０分だけする。「BE QUIET」の札は出すが、着席は強要しない。興味がある方だけ、聞いてもらえればいい。<br />
　２１時からは再びステージでエンターテイメントを展開する。<br />
　トップは、ＭＶで現在、引く手あまたの吉野さんにトランスジェンダーをテーマにした１０分ぐらいのショートムービーを作って発表していただくことになっている。どんな作品が流れるのか、個人的にもとても楽しみにしている。<br />
　その後はいま大阪でいちばん美しい旋律を奏でると評判の『尼崎カルテット』を呼んでいる。持ち時間は３０分。セトリはまったく聞かされてない。どうなることやら。<br />
　そして大トリは、ニューハーフによる『花魁ショー』だ。今回は外国人の方をーー各国大使館の方、外資系企業日本支部の方、プロモーターなどメディア関係者、バイヤーの方などをお客さまとして呼んでいるので、日本文化を前面に出したほうが良いと判断したのだ。<br />
　いま、ほかのニューハーフたちも来て、ステージではショーの連携や立ち位置などのチェックが行われている。振袖新造役の子たちはルックスよりも、若くてダンスが上手なことを重視して選んだ。バンビに良い環境でストレスなくやってもらいたかったからだ。ニューハーフは競争心が強く、癖のある人間が多い。ヘタな人選をすると、ステージで足の引っ張り合いになる。<br />
<br />
　<br />
<br />
<br />
　　　　　　３５<br />
<br />
<br />
　晁生は成田空港へ車を飛ばしていた。<br />
　まったく、ジョージの野郎が急アルになんてなるから。店が引けた後、客と新宿御苑に花見に行って、酒を飲んで、暴れただって。あそこはアルコールは禁止だろ？　まぁ、みんな、こっそり隠して持ちこんでるけどさ。僕は桜の下で死にたいって騒いでたそうな。代わりに警察に行って始末書を書かされ、それから収容されてる病院に直行だ。まぁ、命に別条はないということでよかったけれど。<br />
　ジョージは最近、荒れている。今度、ゆっくり話を聞いてやろう。<br />
　今日はニューヨークからケニーというプロモーターが来て、六本木のイベントへ連れていくことになっている。到着時刻は第１ターミナルに１５時３３分だ。現在、１４：４０分で東関東道に入ったところ。ギリギリ間に合いそうだが、自分はいつも予定より早く着いてるタイプで、急かされるこの状況は落ち着かない。運転に集中し、事故を起こさないようにしよう。<br />
　ディスコ『ファンファーレ』で行われるイベントは午後６時からだ。晁生はそのイベントを知っていた。『２０２０』で展示販売している『ＸＸＸ』や『牙』の連中が出展するからだ。ゲイのデザイナーやクリエイターが集結するイベントらしい。バイヤーやベンチャーキャピタルも来るそうだ。マスメディアの取材も入るらしい。<br />
　ケニーを成田でピックアップし、そのまま六本木へ行く。６時の開始には余裕で間に合うだろう。しかし、ニューヨークからわざわざプロモーターが来るとは、見くびれないイベントなのかもしれない。<br />
<br />
　ケニーはランウエイの横のテーブルに案内された。晁生も同行している。<br />
　招待客用に１０卓ぐらいのテーブル、各卓に椅子が５脚、合計５０席ぐらいが用意されていた。それを取り囲むように小さなテーブル付きの観覧席が設置されていた。そこは追加料金が必要みたいだ。立ってる客も多くいる。<br />
　ステージではスーツを着た主催会社の女性が開会の挨拶をしていた。しかし、話を聞いてるとどうやら女性ではなく、トランスジェンダーのようだった。すこし甲高い声でテキパキと話している。１センテンス話し終えると、英語で言い直す。外国人客が多いからだろう。通訳は必要ない。手に黄色いオモチャのラッパを持っている。最後にそのラッパを吹いて、イベントは始まった。<br />
　「あのラッパは日本では何か特別な意味があるのか？」ケニーが真面目な顔で聞いてきた。<br />
　「いや、単なるユーモアじゃないかなぁ」と答えたが、真剣な目で聞かれると自信はない。話の流れから考えると、進軍ラッパのようなものだと思う。ショーの開幕を告げるファンファーレのようなものだ。<br />
　そう付け足すと、ケニーは肯いたが、納得してる感じではなかった。ケニーが思索的な男だということだけはよくわかった。<br />
　しかし、休憩時にパンフをパラパラ見てたら、その答えらしきことが扉ページの裏のエピグラフに載っていた。<br />
<br />
　軍隊の集合ラッパを吹いていたラッパ吹きが、敵に捕まえられてこう叫びました。<br />
　「皆さん、考えもなしにわたしを殺さないでください。わたしはあなたがたを一人だって殺していません。このラッパのほかは、何一つ持っていないのです」<br />
　すると敵はラッパ吹きに言いました。<br />
　「お前は自分では戦争ができないのに、みんなを戦争に駆り立てるから、余計、殺されるのは当たり前だ」<br />
　　　　イソップ物語『捕虜になったラッパ吹き』（河野与一訳）<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　開会の言葉に代えて　主催　㈱天通　楽井 未来<br />
<br />
　楽井未来とはさっきの司会者のトランスジェンダーのことだろう。<br />
<br />
　ステージでは、ファッションショーが始まっていた。<br />
　ランウェイをモデルがこれ見よがしに歩く一般的なものを想像していたので、ステージにモデルが一人二人と緊張感もなくぱらぱらと現れるのを見て、何だろうと思っていた。ステージには小さな公園のようなセットが組まれていて、モデルたちが思い思いに日常を過ごしているという設定だった。ベンチで仲睦まじくしている男たちもいれば、シーソーに座って一人で本を読んでいる男もいる。ギターを持って歌っている男もいる。バドミントンに興じているグループもある。スケボーに乗った男が急にステージに現われ、ランウェイを滑走した。ターンし、アクロバティックにポーズを決める。<br />
　ハンディカメラとレフ板を持って自主製作映画を撮影中のような２人が、モデルたちの間を回遊し、一人一人を順にカメラでクローズアップしていく。背後のＬＥＤビジョンにモデルがーーヘアスタイルや顔が、メイクが、着ている服が、付けてるアクセサリーが、アップで映し出されていく。服だけを見せるのではなく、ヘアーやメイクなどの美容系、アクセサリーなどの宝飾系・・・すべてを総合的に紹介していくという趣向だった。通底しているのはジェンダーレスだが、男っぽさを強調してるモデルもいるし、女にしか見えない人形のようなモデルもいた。最後に、バラバラに散らばっていたカレイドスコープの断片が美しい幾何学的な模様を作るようにモデルたちがステージ中央に集まってきて、談笑したり、歌を歌ったり、肩を組んで仲良くしながら、ランウェイを練り歩き、ショーは終わった。<br />
　ケニーはハンディビデオカメラを回しながら、愉しそうに観ていた。晁生は正直なところ、羨ましかった。自分がやりたいと思ってたことだったからだ。『２０２０』で展示販売しているブランドの製品もアップで映し出された。バイヤーから声がかかるだろうか？　<br />
　ここでイベントは第１部が終わり、９０分のフリータイムになった。<br />
　食事は一般客はバイキング形式だったが、テーブル席の招待客にはワンプレートでウェイターが運んできた。ドリンクやデザートも持ってきてくれる。晁生はいつも一般客のエリアにいる人間なので、このＶＩＰ待遇は気持ちが良かった。スタッフがみんな英語も使うので、通訳も要らない。今日はラッキーな仕事だ。<br />
　ケリーは主催者と話をしてくると言って、席を外した。晁生も席を立ち、会場をぶらぶらと散策した。平日だったが、大勢の客でとても混んでいた。知り合いにも何人か遇った。ゲイが数多く来ているようだった。テレビクルーがレポーター付きでブースを回っている。来場者にインタビューしてる取材班もいる。みんな、顔出しＯＫなんだろうか？<br />
　おもちゃのラッパが吹かれる音がして、晁生は大急ぎで席に戻った。第２部が始まったようだ。<br />
　ケリーはイヤホンを耳にあて、ステージで行われているパネルディスカッションを聴いていた。たぶん、同時通訳されてるんだろう。『漸増するマイノリティ』というテーマだった。また何か質問されるかもしれないので、晁生も耳を傾けた。マイノリティは今後、飛躍的に増えていくだろう、マイノリティは造られてゆくのだといった要旨だった。<br />
　パネルディスカッションが終わると、会場の全体照明がゆっくりと落とされた。<br />
　ステージのＬＥＤビジョンに閃光のようなノイズが走り、『Ｘジェンダー』というタイトルの映像作品が１０分近く上映された。さまざまな境界が融けて崩れていき、そこに新しいものの誕生を待望するが、それはすでに遠い昔に滅んだもので、この世界は絶滅に向かってただ突き進んでいるだけだ・・・といったようなイメージに受け取られた。もちろん、解釈は人それぞれだろう。そういう作品だった。<br />
　続いて、中世の古代都市を巡礼している歌劇団のようなバンドがステージに登場した。アコーディオンとチェンバロを主軸とし、ノスタルジックで優美なサウンドを奏でる。演奏が始まると、会場のあちこちで客が踊り始めた。回転木馬のような照明が降り注ぎ、おとぎの国になったような空間で不思議なゆがんだ時間が流れてゆく、その波間に揺られているような感じだった。あとから聞いたところによると、大阪のインディーズシーンでとても人気がある、神出鬼没のバンドらしい。<br />
　そしてイベントもいよいよ最後のショーとなった。<br />
　ケリーがお待ちかねの『OILAN』がやっと始まる。<br />
　来年、タイムスクエアにトランスジェンダーのショークラブがオープンする。アングラな店ではなく、一流の食事やサービスを提供する高級な店だという。そのオープニングキャストを現在、世界を飛び回って探しているという。ブロードウェイの関係者も来店する名所にしたいという。<br />
　今回、日本に来たのはイベント主催者から、あるニューハーフを推薦されたからだと言った。そのニューハーフがこれからステージに登場する。<br />
　晁生は自分がいま、どういう気持ちでいるのか、よくわからなかった。・・・というか、考えようとしなかった。始まれば、きっとわかるだろう。いや・・・すこしはわかるだろう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　３６<br />
<br />
<br />
　ショーは素晴らしかった、と思う。<br />
　晁生はいろんな思いが去来して、冷静に観ていられなかった。<br />
　昔のことや、別れた日のことが思い出されて、胸が苦しくなった。<br />
　ニューハーフショーを見ながら大の男が泣くなんて気味悪がられると思ったので、ショーを演出するライトが眩しいフリをして、バッグから運転用のサングラスを取り出し、かけた。<br />
　観終わっても、自分が本当のところ、何を思っているのか、考えているのか、よくわからなかった。わからなくていいと思ったし、わかりたいとも思わなかった。<br />
　ケリーはモアイの石像みたいになっていた。やがて静かに立ち上がると、ステージに向けて、拍手をしだした。その先には豪華な色打掛を再び羽織って出てきた花魁の姿がある。花魁は高下駄を履いた足をゆっくり旋回するようにしてランウェイのところまで歩いてくると、観客に艶美な立ち居振る舞いで会釈を返した。<br />
　そしてそのまま、ステージの中央までゆっくり戻っていく。<br />
　ほかのキャストも登場し、並んで一礼した後、緞帳が降ろされた。<br />
　ケリーは手を上げて、ウェイターを呼んだ。主催者への伝言を頼んでいた。席に花魁を呼んでほしい。<br />
　ステージの出しものは終わったが、イベントは１1時まで続く。あと、５０分あまりある。<br />
　・・・亮がこのテーブルに来る？<br />
　・・・どう対応すればいいんだ？<br />
　オレに気づくだろうか？　久しぶりと笑って再会するのか？<br />
　亮の反応がわからない・・・たぶん、驚くだろう。オレだと気づいたら、驚くのだけは確かだと思う。<br />
　来る前にちゃんと対応を考えておかなければ。オレは仕事でここに来ているのだ。<br />
　「どうでしたか？」とケリーが聞いてきた。<br />
　晁生はサングラスを外して「ビューティフル」と答えた。<br />
　ビューティフルはオールマイティな誉め言葉だ。<br />
　「日本人としてはどんな感想を持ちましたか？」<br />
　観光客用のエンターテイメントだったかと聞いてるんだろう。<br />
　自分を含めて日本人がさほど花魁のことを知ってるわけではない。でも、いまのショーのアプローチはいままでに見たことがないものだった。音楽、振付、演出、すべてが新鮮で面白かった。パッケージはポップで現代的なんだけど、味は老舗のしっかりした確かなものというギャップがまた良かった。・・・そう答えた。<br />
　ケリーはうんうんと肯いていた。今度は納得してくれてるようだ。<br />
　ステージ下の通路から、花魁が出てくるのが見えた。主催者の人と一緒にこちらに向かって歩いてくる。さすがに高下駄はもう履いてないようだ。<br />
　テーブルまで来ると、ケリーは立ち上がって迎えた。花魁に挨拶と賛辞の言葉をかける。主催者に椅子を引かれ、花魁はケリーの横に座った。その横にトランスジェンダーの主催者も座った。<br />
　晁生はうつむいていた。昔と髪型は違っている。すこし痩せたと言われている。もしかしたら気づかないかもしれない。<br />
　花魁は、ケリーを紹介する主催者の言葉に耳を傾けながら、ケリーに視線を向けていた。こちらに関心は向かない。このまま主催者が通訳もして話を進めてくれるのだろうか？<br />
　しかし、一通り話が終わると、主催者は用があるらしく、立ち上がり、席を離れた。そのとき、彼女を見送る目の流れの中で、初めて花魁がこちらをちゃんと見た、ような気がした。<br />
　・・・いや、ちゃんと見たのだ。固まったように動かない目がそこにあったから。<br />
　「通訳の川西晁生です。よろしくお願いします」<br />
　晁生は一礼した。<br />
　驚愕が確信に変わって、どうしたらいいかわからないような花魁の顔がそこにあった。それは晁生も同じだった。<br />
　「どうかしたのですか？」<br />
　ケリーが聞いてきた。花魁と通訳がいきなり見つめ合ったまま黙ってしまったら、誰でも怪訝に思うだろう。<br />
　「知り合いですか？」<br />
　通訳しなくては。通訳するのがオレの仕事だ。<br />
　はい、ビックリしてます。昔、新宿で遊んでいたときの親友です。久しぶりに会ったので、ビックリして、見つめ合ってしまいました。<br />
　ジェスチャーを入れながら、ゆっくりとわかりやすい英語で花魁にも伝わるよう、笑いながらケリーに言った。<br />
　すみません、プライベートなショータイムを入れちゃいまして。では、昔話は後にして、仕事に戻らせていただきます。<br />
　「オー、アメイジング！」<br />
　ケリーも驚き、偶然の再会を喜んでくれた。いま、ここには魔法の時間が流れてるのかもしれない、そう嬉しそうに言った。<br />
　「昔、親友だったと彼に伝えました。いきなり会ったので、お互いビックリしてると。彼も魔法のようだと喜んでくれてます。でも、いまは大切なビジネスの時間なので、昔話は後にして、仕事に戻りましょう。・・・いいですか？」<br />
　晁生はすこし叱るようなキツい目で花魁を見た。昔、こんな目で何度も亮を見たことがある。<br />
　亮は静かに目を閉じた。心を落ち着かせるように大きく息を吸っている。昔のままだ。<br />
　亮はゆっくり目を開くと、花魁に戻った。<br />
　「ビックリしたでありんす」と言った。<br />
　ケリーと晁生を見て「今日はけったいな方が席に呼んでくれるでありんすなぁ」と微笑んだ。<br />
　どう通訳したらいいんだ？<br />
　花魁はいま、彼女たちの世界の専用語で、驚いてますと言いました。今日は珍しい人が席に呼んでくれてると。<br />
　「・・・ありす？」<br />
　「ちがうどすぇ、あ・り・ん・す」花魁が訂正した。<br />
　どすぇ・・・は確か花魁の言葉ではないだろ？　通訳するのはやめた。<br />
　「ありんす」ケリーは言い直した。<br />
　「はい、上手にできました」<br />
　ケリーはひとしきり笑うと、花魁にいくつか質問してもいいですかと聞いた。知りたいことがたくさんあります。<br />
　「『秘すれば花なり』という世阿弥の言葉を知っていますか？」<br />
　知らないだろうと思いながら通訳した。<br />
　通訳する度に亮と顔を、目を、合わせることになる。亮を見ているのではなく、花魁を見ていると思うことにしよう。<br />
　花魁は『世阿弥』は聞いたことがあると答えた。<br />
　「ショーの間、わたしはずっとその言葉を感じていました。例えば、哀しい状況でも哀しいとおもむろに面には出さない。些細な仕草や物事の流れや暗喩でそれを表現する。抑制された演技が見事でした。花魁の心が深く伝わってきました」<br />
　どうにか通訳して伝えると、<br />
　『ありがとうございます』と花魁は首をすこし傾げて、会釈を返した。<br />
　「ショーの中でいちばん難しかったことは何ですか？」<br />
　「踊りと姿勢です。バランスを取るのがすごく難しかったです」<br />
　「普段から日本のダンスは嗜んでいるのですか？」<br />
　「いいえ、今回が初めてです。こんな重たい着物を着て踊るのも初めて」<br />
　「桜吹雪がピンクから赤く血の雨のように変わっていき、そのインクであなたが和歌をしたためるシーンが印象的でした。あれはどんな内容を書いていたのですか？」<br />
　そのシーンは晁生も憶えていた。ＬＥＤビジョンに桜吹雪が北斎が描く荒浪のように舞い踊っていた。しかし、花魁は心静かに筆を取り、思案しているのだ。全体を通して花魁が教養や芸事に長けた女性として描かれていた。<br />
　「あれは和歌ではありません。手紙です」<br />
　花魁は思い出したように訂正した。<br />
　「手紙？　・・・誰に書いていたのですか？」<br />
　「お客さんです。・・・近ごろ、めっきり足が遠のいたお客さんに書いていました」<br />
　「・・・ビジネス？」ケリーは苦笑いした。<br />
　「そうです」<br />
　花魁もつられて笑った。「・・・ナンバー１をキープするのは昔もいまも大変なんです」<br />
　彼女の現在の仕事も引き合いに出して語ってます、と補足通訳した。<br />
　「そういえば、一度だけ、笑うシーンがありました。上を見てましたね。あれは何を見ていたのですか？」<br />
　「お天道様です。また今日も出てきたでありんすなぁって」<br />
　「・・・神様のようなものですか？」<br />
　「・・・よくわかりません。わたしはそれでもまた新しい一日は来るのだとうんざりした目で見てました」<br />
　「どうにもならない、無力感のようなもの？」<br />
　「・・・笑うしかなかったんです」<br />
　「悲しみや苦しみなどのネガティブな感情が極まったとき、泣くではなく、笑ってしまうときがありますね。そういうことですか？」<br />
　「そうだと思います」<br />
　「物語としては、花魁は狭く閉ざされた過酷な世界から脱出を試みるが、結局はできずに終わるという暗いものでした。花魁の生きようとする強い思いを支えていたものは何ですか？　どんなことを考えて、踊ったり、演じていましたか？」<br />
　「・・・大好きだった人のことを思って踊ってました。その人と一緒になりたいって」<br />
　「それはお客さん？」ケリーは笑った。<br />
　「いいえ・・・お客さんではありません。心の中にいる人です」<br />
　「理想の男性像のようなもの？」<br />
　「・・・かもしれないです」<br />
　ウエイターが、桜の花びらが浮かんだ冷たいお茶と練りきりの和菓子を持ってきた。主催者からだと言った。<br />
　「天井から吊るされたワイヤーロープで宙を舞うシーンがありましたね。無限に続く回廊、無数にある部屋、その牢獄を、迷宮を、まるで鳥が空から見てるように・・・途中、番傘を突風に飛ばされて宙吊りになりました・・・あれは怖くなかったですか？」<br />
　晁生もあの展開には驚いた。映像が流れていたＬＥＤビジョンの長さは１０メートル以上はある。その距離を、映像に合わせて、孫悟空のように飛び回ったのだ。最後は胸元から出した扇を翼のようにして無事に着地した。<br />
　「それより、鬘が落ちないかと心配で・・・」<br />
　花魁は思い出し笑いをして、首を振った。「怖いなんて感じる暇はありませんでした」<br />
　ケリーは花魁の頭を興味深く見ていた。華美な簪が何本も突き刺さっている。自分の髪で鬘が取れないように結んでるんだと花魁は説明した。<br />
　ケリーはテーブルにあった手帳をぺらぺら捲った。ショーの間、自動筆記のようにメモを取っていた。<br />
　「ショーについて、最後にもう一つだけ聞かせてください。クライマックスの、蛇やキツネやもろもろの生きものが化身したようなエロティックなダンスについてです。妖しく煽情的なのに、下品にならないのはなぜでしょう？　気高さすら感じました。もし差し支えなければ、その秘密を・・・例えば、何を空想して踊っていたのか、こっそり教えていただけませんか？」<br />
　「今回は何も考えてなかったです。具体的なことを考えるとやり過ぎるので、型を忠実に演じてくれと言われました」<br />
　「それは誰の指示ですか？　演出家？」<br />
　「あそこにいる女の子です」<br />
　花魁は会場の遠くのほうを指で指した。誰を指してるのか、わからない。<br />
　「『OILAN』のわたしのパートの演出、構成はほとんどあの子が考えました。わたしはただ言われるがまま、やっただけです」<br />
　「もしよろしかったら、その女の子をここに呼んでいただけませんか？」<br />
　花魁は立ち上がって、右手を高く上げて振った。壁際のベンチに座っていた子が立ち上がって、こちらを見ている。花魁は手招きして、呼んだ。<br />
　女の子は重そうな大きなバッグを肩にかけて、小走りにやって来た。ショートヘアの背が高い子だった。若草色のパーカーにダメージジーンズを履いている。<br />
　ケリーが立ち上がって、花魁の横の席の椅子を引き、座るよう促した。女の子は花魁の顔を窺って了解を得ると、要領を得ない顔で座った。<br />
　「カナコといいます」<br />
　花魁が女の子を紹介した。「１９歳の美大生です。いま、わたしの家に転がりこんで、家政婦みたいな付き人みたいなことをしています」<br />
　女の子は紹介を受けて、ケリーに深々と礼儀正しく頭を下げた。<br />
　「この方はケリーさん。ニューヨークからいらっしゃったプロモーターさん。こちらの人は通訳をしてくれてる川西さん」<br />
　女の子はまた頭を下げた。ケリーも真似をして丁寧にお辞儀を返した。<br />
　「いまね、ショーの演出や構成はあなたが考えたものだと言ったら、呼んでくれって話になったの。それで呼びました」<br />
　「素晴らしいショーでした」<br />
　ケリーは女の子に言った。<br />
　「あ、あ、ありがとうございます」<br />
　「お話を聞かせてもらえますか？」<br />
　「はい、わたしでよければ」<br />
　女の子はまた花魁を窺った。花魁は肯いている。<br />
　「その前に失礼がないように一つ確認しておいていいですか？」<br />
　ケリーが言った。「正真正銘の女の子ですよね？」<br />
　「はい」花魁が含み笑いしながら、代わりに答えた。<br />
　女の子はケリーの質問に言葉を選びながら慎重に答えていた。いいかげんなことを言ったら、花魁に不利益が及ぶと心配してるように。<br />
　晁生は新たな展開に戸惑っていた。いまは女の子と一緒に暮らしているのか。<br />
　注意したのは三つです。安っぽくしない、下品にしない、お涙頂戴にしない。自分がもし花魁で後世そのように描かれたら、どうしようもなく悲しくなると思ったのです。<br />
　「プライドということですか？」<br />
　「はい。矜持が彼女たちをギリギリのところで支えていたと思います」<br />
　「だから、エロティックな表現を様式美に昇華させたということですね？」<br />
　「はい。バンビさんなら、それでじゅうぶん表現できると思ったのです」<br />
　「露出は最後だけにして、全体を貴婦人のように描いたのも、そういうことですか？」<br />
　「はい。バンビさんはことさら肌を見せなくても色っぽいです。でも、見せても色っぽいから、最後はお約束もちゃんと入れました」<br />
　最後のシーンで、花魁は帯をほどき、豪華な着物を脱ぎ捨て、ヌードスキニーなボディスーツ姿になる。まるで裸のように見えて、ドキッとした。ボディラインがくっきり浮き出る。肌色の薄い生地にはところどころ蛇やキツネや鳥や花やいろいろなものがプリントされていて、それらの図柄がまるで生きているかのようにＬＥＤビジョンにアップで映し出された。<br />
　しかし、舞台を照らしていた煌びやかな照明が暗転し、花魁はまたもや闇に包まれる。再三、効果的に使われている郭格子が正面を立ち塞ぐように出現する。郭格子は照明によって描かれている。ときに婉曲し、ときに溶解し、七色にもなる。その向こう側で、黒いシルエットだけとなった花魁がさまざまなものに擬態するかのように艶めかしく蠢く。ファンタジーを見ているような、神話を見ているかのような気分になった。<br />
　「また、ショーがあるとしたら、バンビさんにどんな役を演じてほしいですか？」<br />
　女の子はケリーに聞かれて、花魁を見た。<br />
　「・・・いまはちょっと思い浮かびません。でも、バンビさんならどんな役も演じられると思います」<br />
　主催者がテーブルのそばに来て、話が一区切りつくのを待っていた。女の子が話し終えると、ケリーに一礼してから、花魁に声をかけた。<br />
　「バンビ、そろそろ着替えないと。テレビの取材がホテルで１１時半に入ってるから」<br />
　その旨をケリーにも英語で伝えた。<br />
　花魁は頷き、先に席を立っていた女の子にアシストしてもらい、立ち上がった。<br />
　「最後にもう一つだけ」<br />
　ケリーが言った。「店が無事にオープンした暁には、ニューヨークまでオーディションを受けに来ていただけますか？」<br />
　「前向きに考えさせていただきます」<br />
　花魁は嬉しそうに言った。<br />
　「では、その日まで。今後の連絡は彼女でいいですか？」<br />
　主催者の女性を指した。<br />
　「はい。お願いします」<br />
　ケリーも立ち上がって、花魁に握手を求めた。握手が済むと、手を大きく広げて、花魁をハグした。<br />
　「どうもありがとうございました」<br />
　花魁は晁生を見て、通訳のお礼を述べた。<br />
　「こちらこそ」晁生もにこやかに笑みを返した。<br />
　「あれ、君たち、連絡先を交換しなくていいのかい？」<br />
　ケリーが思い出したように言った。<br />
　『連絡先を交換しなくていいのかと言ってます』<br />
　晁生はその問いを自分は答えず、花魁に通訳した。<br />
　花魁は晁生を見ていた。愛しいお客を見るように５秒ぐらい見ていた。<br />
　「・・・いいです」と答えた。「もうじゅうぶん話しましたから」<br />
　そうケリーに伝えた。<br />
　「話したのは君と僕で彼は通訳してただけだよ」ケリーが笑った。<br />
　『話したのは君と僕で彼は通訳してただけだと言ってます』<br />
　亮はそれには答えず、笑っただけだった。<br />
　「さようなら」<br />
　ケリーと晁生に言って、もう一度、会釈をし、歩きはじめた。<br />
　「いいのかい？」ケリーは晁生を見た。<br />
　もう一度、会っても、話すことは何もないように思える。<br />
　もうすべて終わったことなのだ。・・・友達になれるとも思えない。<br />
　「ＯＫです。気にしないでください」晁生は答えた。「さぁ、これからどうします？」<br />
　ケリーはすこし怪訝そうな顔をしていたが、まぁいろいろあったんだろうみたいな顔になった。<br />
　「今日はもう疲れたから、ホテルへ行って寝るよ」<br />
　「センチュリーでしたよね、送っていきます」<br />
　明日の夜もケリーに同行することになっている。明日は新宿のニューハーフクラブを回る。<br />
　「ありがとう、助かるよ」<br />
　花魁の姿がどんどん小さくなっていく。ときおり人混みに消えるが、派手なので、すぐに見つかる。<br />
　ケリーはテーブルの私物を片付けはじめた。ハンカチで丁寧に拭き、カバンに入れていく。<br />
　「もう一杯、コーヒーを飲んでいってもいいかい？」と晁生に聞いた。<br />
　晁生は手を上げて、ウエイターを呼んだ。<br />
　「君も飲むかい？」<br />
　「僕はいいです。ちょっと電話をかけてきます」<br />
　晁生はバッグを持って、出口へ向かった。<br />
<br />
　スタッフオンリーとプレートが貼られたドアのすこし前で、晁生は花魁に追いついた。<br />
　女の子が足音で晁生に気づき、「通訳の人」と花魁に教えた。<br />
　「久しぶり」<br />
　振り向いた花魁に、晁生はぎこちなく手を上げた。<br />
　花魁は見る見るうちに泣きそうな顔になって、<br />
　「・・・元気にしてた？」と晁生に聞いた。<br />
　「ああ。・・・亮は？」<br />
　「見ての通り。わたしなりにやってる」<br />
　「綺麗だったよ、すごく」<br />
　「ありがとう」<br />
　「わたし、先に楽屋に行って待ってましょうか？」<br />
　女の子がどうしたらよいかわからぬ様子で、花魁に言った。<br />
　「・・・いいの。あなたはそばにいてちょうだい」<br />
　「また、違う日にしようか？　この後、用事があるみたいだし」<br />
　「うん・・・本当を言えば、そうしたい。だって、わたし、いま、花魁だもの」<br />
　再会の日に安いサンダルを履いてたって誰かの歌を思い出した。<br />
　「晁生はいま通訳の仕事をしてるの？」<br />
　「ああ。あの後、アメリカへ行って英語を覚えたんだ。去年から２丁目で店もやってる」<br />
　「どんな店？」<br />
　「普通のラウンジバーだよ」<br />
　遊びに来なよと言おうとしてやめた。客層が違いすぎる。<br />
　「晁生は変わらないね、通訳してもらってて、そう思った」<br />
　「必死だったよ」<br />
　「・・・今日の夜中は空いてる？」<br />
　「２時間後ぐらいなら」<br />
　「さっきの人が全日空に部屋を取ってくれてるの。これからそこに戻る。今日はこの子とそこに泊まるの。・・・何号室だっけ？」<br />
　女の子は大きなバッグのサイドポケットから鍵を取り出した。<br />
　「９０７号室です」<br />
　「もしできたらそこに来られない？　ごめんね、無理言っちゃって・・・今日中に会っとかないと、勇気が出そうにない」<br />
　「わかった。・・・行くよ」<br />
　「じゃ、待ってる」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
    <link>https://chao213.blog.shinobi.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90/%EF%BC%A8%EF%BC%B02000%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89%E3%80%80%EF%BC%93%EF%BC%94%E3%80%80%EF%BC%93%EF%BC%95</link>
    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 23:32:28 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">chao213.blog.shinobi.jp://entry/163</guid>
  </item>
    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）２８　～　３３</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
　　　　　２８<br />
<br />
<br />
　２０００年の幕が開いた。<br />
　バンビさんは新年早々彼のところに外泊中。<br />
　京都から大晦日の夜に戻ってきて、元旦の夜までは一緒にゴロゴロしてたけど、夜遅くヨコヤマという男の人から電話がかかってきて、大急ぎでオメカシして、いそいそと出かけた。それっきり、３日の夜になっても帰ってこない。<br />
　着替えはどうしてるんだろう。家にずっと籠ってゴロゴロしてるのだろうか？<br />
　でも、毎日、一度は電話がかかってくる。今日は帰らない。明日には帰るかな。今日も帰らない。<br />
　新年早々、花魁みたいなことをしてるのかもしれない。でも、たぶん仕事ではなく、恋愛だろう。出かけるときの様子や電話の声を聞けば、甘い感じなのがよくわかる。最近できた彼氏さんなのかな。<br />
　わたしは花魁ショーのことを考えている。時間をかけたほうが良いものができる。あーでもないこーでもないと考えていた一見無駄でバラバラなことが、ある日、魔法のようにつながる瞬間がある。もちろん、それは錯覚のときも多い。でも、それを繰り返していけば、次第に形のあるものができあがっていく。<br />
　まず、衣裳はどうしよう？　軽量化を図り、動きやすいものにしたほうがいい・・・でも、その前にショーのコンセプトを決めなければならない。それが先だ。<br />
　中心にはやはり、バンビさんの凄味を据えたい。凄味ーーつまり強い存在感があれば、あとは勝手についてくる。重厚感も出したい。定番の艶めかしさ、煌びやかな雰囲気も必要だ。狂気はどうだろう？　ホラーのほうに傾斜してしまうか。<br />
　映像や装置をどう使うか？　それは会場の設備を見てみないとわからないけど、背後に横に長いスクリーンを置いて、映像を流したい。その前でバンビさんが舞い踊るようなイメージだ。<br />
　小物を効果的に使って、身に纏っているものを脱いでゆくのもいいだろう。脱いでゆくと裸になるのではなく、違う得体の知れないものに変貌していくのも面白いかもしれない。背後のスクリーンを効果的に使いたい。<br />
　露出は肩や背中や太腿にとどめておいて、胸を露わにするとしたら、片胸で終わりのほうでいいだろう。エロチシズムは抑制したほうが発露される。そして最後まで、肝の座った毅然とした表情を貫く。表情を変化させるにしても、それを中心に回るようにする。そこだけ押さえておけば、あとはバンビさん自体の魅力が自然にパフォーマンスするだろう。<br />
　わたしはそれら頭の中、目蓋の裏に浮かんだイメージを手に持ったスケッチブックにさっさっさっと移し取っていく。絵コンテを描いてゆく。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　２９<br />
<br />
<br />
<br />
　胸の裏側を針で刺されたような痛みが走る。<br />
　大きく腹式呼吸を１０回。無心になる。そう、心を無くすのだ。<br />
　彼が３日目、海にドライブに行かないかとわたしを誘った。嬉しかった。だって彼がちゃんとわたしを女性扱いしてくれるんだもの。男の人の車に乗って、海へドライブするなんて久しぶりだなぁと思った・・・そういえば、昔、よくこんなふうにドライブに行ったっけ。電車に乗るとジロジロ見られていやな気持ちになるから・・・誰かが胸の中を走り回っている。陽の光を受けてキラキラ輝く青い海を見ながら、ブルーな気分に沈んでいくのもシャレにならないので、わたしはこっそりハイになるクスリを服んだ。それからまた静かに腹式呼吸を１０回。ドアは開いてしまっている。車内に鳴っている音楽に合わせて、助手席で踊ってふざけた。だいじょうぶと思った。わたしはいま愛されている。<br />
　途中、食事中にワインも飲んだので、時間の記憶はなおさらブツギレている。車を停めて、砂浜に下りた。綺麗な貝柄を探しながら、打ち寄せる波から逃げた。その先には彼がいて、わたしは抱きついた。空から映画を観ているようだった。でも、鮮明に残っていることもある。東京へ戻るときの首都高の夜景だ。窓の外を凄い速度で赤や青や金色の光が虹のように景色をにじませながら飛んでいく。どこに連れてってくれるのだろう。<br />
　ホテルの部屋に戻ると、ぐったり疲れていて、ベッドに横になった。しばらく寝てたような気がする。彼はパソコンに向かって何かしていた。たぶん、仕事だろう。<br />
　夜更けに彼がベッドに入ってきて、求めてきたので、応じた。うつらうつらしていた。からだは水をパンパンに吸ったスポンジのように重かったが、甘やかな気分がわたしを動かしていた。彼の背中に手を回し、キスに舌を絡めた。・・・たぶん、バッドトリップしてたんだと思う。わたしが相手をしてたのは彼ではなかった気がする。彼がわたしの中に入ってくる。未来と現在が喘ぎに掻き消されるように遠のいていき、過ぎ去った時間や夢の景色の中に昇りつめていくわたしがいた。壊れたサイレンのように誰かが泣いている。それが自分の声だと気づくのにすこし時間がかかった。首から鍵をぶら下げている。ドアは開け放されている。忘れたものたちが部屋から出てきて、わたしを取り囲んでいる。わたしをじっと見ている。男に愛されているわたしをじっと見ている。わたしはこんなふうに女性として愛されたかったんだと思った。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　　３０<br />
<br />
<br />
　ホテルに着くと、バンビさんはロビーのラウンジにいた。<br />
　出かけたときとは違うライトブルーの太編のセーター姿で、サングラスとマスクをつけている。そばにブランドロゴが書かれた大きな紙袋が二つある。<br />
　朝の８時過ぎにヨコヤマさんから電話がかかってきた。バンビさんが体調を崩したので迎えに来てほしい。加奈子はタクシーで指定されたホテルへ向かった。<br />
　「だいじょうぶですか？」<br />
　加奈子はバンビの前に膝をついて、顔を覗きこんだ。<br />
　「うん、だいじょうぶ。だいぶ落ち着いた。１人でも帰れるって言ったんだけど、彼が心配して聞かないの。それで加奈子を呼んでもらったの」<br />
　「歩けますか？」<br />
　「うん、歩ける。荷物だけ持って」<br />
<br />
　マンションに戻ると、お風呂に入ると言うので、わたしの部屋で服を脱がせた。すごく汗をかいていたけど、からだに痣やケガはなかった。施設のときの習慣で、ついつい確認してしまう。お風呂は迎えに行く前にセットしておいた。とりあえず、バスタブに入ってもらい、顔だけ洗い場に突き出す形で化粧を落とす。そのまま髪も洗う。洗い場に出てもらい、からだも洗う。バンビさんは為されるがままにしている。魂が抜けちゃってるみたいだ。<br />
　「ありがとう。あと細かいところは自分でやるわ」<br />
　そう言うので、加奈子はバスルームを出る。バスタオルを用意して、外で待つ。<br />
　しばらくすると出てきたので、バスタオルでくるむ。胸のところで１枚を止めて、もう１枚は手に持って、ＬＤＫへ行く。<br />
　ドレッサーの椅子に座らせて、髪をバスタオルで拭き、ドライヤーで乾かす。バンビさんはその間、にじみ出る汗を細目にパフで吸い取り、化粧水やクリームで肌のケアをしていく。わたしはエアコンのリモコンを取り、一旦、消した。女性ホルモンの影響で体温バランスが崩れるときがあるみたいだ。でも、顔色はそんなに悪くない。<br />
　いつも着ているネグリジェを頭からかぶせて、着させる。バンビさんがそのまま椅子に座って鏡を見ているので、コップに水を用意に台所へ行く。<br />
　「だいじょうぶですか？」と水を置き、もう一度、聞く。<br />
　「うん・・・だいじょうぶ。たまに激しくイカレることがあるのよ、人工人間だから。でも、アルコールとクスリが抜ければ、マシになると思うわ。・・・もう寝るわ」<br />
　バンビさんは立ち上がった。そのまま自分の部屋へ行こうとするので、付き添う。掛布団をめくって、ベッドに寝かせる。<br />
　「ありがとう。おやすみ。・・・もう心配しなくてだいじょうぶよ」<br />
　バンビさんは布団にもぐりこんだ。<br />
<br />
　バンビさんが起きてきたのは夜の１０時過ぎだった。<br />
　１２時間以上、眠っていたことになる。でも、起きてきたので、一安心した。途中、何度か息をしているか心配になって、そーっと確かめに行った。<br />
　「何か軽く食べますか？」<br />
　すこし落ち着いたのを見計らって、聞いた。ドレッサーに座り、顔をチェックしている。でも、ボーっとしている。<br />
　「・・・お茶漬けか何か、作れる？」<br />
　「はい、用意します。鮭でいいですか？」<br />
　「うん」<br />
　バンビさんは食卓に来て、出したお茶漬けをゆっくり食べはじめた。食欲は普通にあるみたいだ。<br />
　「さっぱりしてて、美味しい。ずっとコッテリしたものばっかだったから」<br />
　「ヨコヤマさんから７時ごろ、電話がありました」<br />
　「・・・何か言ってた？」<br />
　「心配してました」<br />
　「そう・・・あとで電話をかけとく」<br />
　「病院とか行きます？　明日あたりからやってるところもあると思いますけど」<br />
　「行かない、病気じゃないし・・・ちょっと年末年始張り切り過ぎて疲れがたまったみたい。あと、女ホルの錠剤を持っていくのを忘れちゃったのよ」<br />
　女ホルとは女性ホルモンのことだ。毎日、服んでいる。電話で言ってくれれば、持っていってあげたのに。<br />
　「２、３日もゆっくり休めば、もとに戻ると思う・・・いままで、そうだったから」<br />
　「・・・わかりました。何かあったら言ってください」<br />
　「うん」<br />
　「袋に入ってた服はどうしますか？　クリーニングに出しときますか？」<br />
　「汚れてた？」<br />
　「そうでもないです。皺が寄ってましたけど、アイロンで対応できるレベルです」<br />
　「じゃ、そうしといて。ビニールに入れといた下着類はそのままお風呂の洗い場の隅でも置いといて。次に入ったときに洗うから」<br />
　「洗っておきましょうか？」<br />
　「いい。それは自分でやる。捨てちゃうかもしれないし」<br />
　「わかりました」<br />
　「ほかに何か、報告とかある？・・・留守中、だいじょうぶだった？」<br />
　「はい。特に何にもです」<br />
　「・・・加奈子は何してたの？　ごめんね、お正月から一人にさせちゃって」<br />
　「だいじょうぶです。部屋の整理をしたり、ショーのことを考えてました」<br />
　「ああ、ショーね・・・やんないとね。・・・じゃ、またすこし横になる。加奈子、もう寝てもいいわよ」<br />
　時計を見ると、１１時過ぎだった。<br />
　「はい。もうすこし起きてるので、何かあったら、呼んでください」<br />
　食卓を片付けて、台所に立った。洗いものをし、冷蔵庫の中を整理し、コンロ周りを掃除し、バンビさんの様子をうかがった。<br />
　ソファに寝転んだまま、動かない。どうやらまた眠ってしまったようだ。<br />
　エアコンはどうしようか？　除湿器はつけてある。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　 ３１<br />
<br />
<br />
　バンビさんは今日から仕事始めだ。<br />
　昨日まる一日、家で静養して、体調もすこし良くなったみたいだ。急に汗が噴き出る、ほてりも治まった。もう一日、休んだらどうですかと言ってみたけど、店に出てたほうが気が紛れるし、お年玉も貰えるから。年末と並んで年始も稼ぎどきらしい。<br />
　ヨコヤマさんから、あれから二度電話があり、二度目のとき、出ると合図したので代わった。心配かけてごめんなさい、もうだいじょうぶ、またお店に来てねと話していた。<br />
　「ヨコヤマさんって、どういう方なんですか？」<br />
　夕食を食べながら、バンビさんに聞いた。今日は年始めのミーティングがあるらしく、いつもより一時間早い出勤だ。<br />
　「優しいの。その上、カッコいいの。その上、お金持ちなの。文句ないでしょ」<br />
　「何をやってる方なんですか？」<br />
　「コンサル会社の社長。あーしたほうがいい、こーしたほうがいいってアドバイスする会社だって言ってた」<br />
　「何歳ですか？」<br />
　「２８かな。三つ上」<br />
　「すごいですね、その齢で社長だなんて」<br />
　「うん、サラブレッドなの。とある大企業の御曹司」<br />
　バンビさんはすこし食べて、箸を置いた。いっぱい食べると眠くなってしようがないらしい。<br />
　「・・・結婚のご予定は、とか聞かないの？」<br />
　バンビさんは頬杖をついて、首をぐりぐり回した。<br />
　「するんですか？」<br />
　「しないわよ」<br />
　「・・・はぁ」<br />
　「できるわけないでしょう。したら、日本中、大騒ぎよ」<br />
　バンビさんは怠そうに立ち上がると、ドレッサーに移動した。<br />
　「バンビさんは結婚願望あるんですか？　あまりそうは見えないけど」<br />
　「・・・いまのところないです。犬を飼いはじめちゃったしね」<br />
　「ワン」ととりあえず、鳴いた。<br />
　「・・・彼のところで何かあったんですか？　ああ、別にいいです、答えなくても・・・ただ、何かあったのかなって」<br />
　「なんかね、急に悲しくなっちゃったの。・・・わかる？　そういうの」<br />
　バンビさんは化粧をする手を止めて、鏡に映りこむわたしを見た。<br />
　ぞくっとする。こんなときに不謹慎だけれど、哀しそうな瞳のバンビさんって凄く綺麗だなと思う。鑑賞価値が高すぎる。絵が描きたい。<br />
　「・・・わかる気もします」<br />
　「なんだか幸せなときになるのよ。変でしょ？」<br />
　バンビさんは思い出したように続けた。「なんかね、胸の中に幸せって名の小さな妖精がいて、その子が次から次へとドアを叩いて開けていくってイメージなの。外はこんなに良い天気、みんな出ておいでよって」<br />
　そのイメージを想像する。文字通り、幸せいっぱい胸いっぱいって感じだろうか。<br />
　「・・・でもね、中には暗い子もいるのよ、外に出しちゃいけないみたいな」<br />
　バンビさんは苦虫を嚙み潰したような顔で笑った。「でも、手当たり次第に出しちゃうの、調子に乗って。ほら、幸せな子ってお節介でしょ？　世界中を幸せにできると思っている」<br />
　「・・・わかる気がします」<br />
　「で・・・外に出されたはいいけれど、あたりを見回したら、外の世界も自分も何も変わってない。・・・それでまた、激しく泣き出しちゃったの」<br />
　童話の世界のようになってきた。<br />
　「・・・その子は泣き虫なの。どうしようもないの。国中を暗くするから、ドアの向こうに閉じこめておくしかないの・・・でも、本当はその子、自分で引きこもったのよ。外にいても、つらく悲しいだけだからって」<br />
　「その子はいま、どうしてるんですか？」<br />
　「・・・このあたりかな」<br />
　バンビさんは左のオッパイの下あたりを手で押さえた。<br />
　「このあたりにいる」<br />
　「おうちに帰れそうですか？」<br />
　「・・・帰ると思う。いままでもずっとそうだったから。外に出てても、泣く以外やることないんだもの。そのうち飽きて疲れてすごすごとおうちに帰ると思う」<br />
　バンビさんは首を左右に振って、ほつれ毛を払うと、鏡をじっと見た。ブラシを手に取って、ゆるやかなウェーブが入った長い髪を丁寧に整える。ヘアクリップで前髪を止めた。<br />
　「ちょっと化粧に集中します」と言って、話をやめた。<br />
　バンビさんはきっと化粧をしているとき、わずらわしい思いから解放されるんだと思う。泣き虫や弱虫や癇の虫やいろいろな虫がいない世界へ行けるのだ。そのドアの向こうには美の世界が広がっている。鏡よ、鏡よ、鏡さん、この世界でいちばん美しいのは誰？　<br />
　化粧をするのが魔法のお薬のように見える。いつものように丹念に筆を入れ、ラインを引き、その日その日の仮面をつけるように自分を創り出していく。<br />
　「・・・加奈子は急に悲しくなるときはないの？」<br />
　付け睫毛をパチクリさせながら、じっと見ているわたしに聞いた。<br />
　「・・・最近はないです」<br />
　「昔はあったんだ？」<br />
　「・・・中学生ぐらいまでです」<br />
　「どんなとき？」<br />
　「・・・どんなときってのはないです。いろんなときです」<br />
　「そういうとき、どうしてたの？」<br />
　「ちょっと暗い話になっちゃうけど、いいですか？」<br />
　　わたしも童話にして話そうかな。<br />
　「・・・怖いわ。まさかネコか何かを代わりに生贄にしてたとか、そういう話じゃないでしょうね？」<br />
　「それはないです」わたしも一緒になって笑った。「生贄にするなら、何百匹って祭壇にお供えしなくちゃなりませんから」<br />
　ドン引きしてるバンビさんをじっと見て「・・・嘘です」と訂正した。<br />
　ちょっとわたしもお芝居が上手くなったかな。<br />
　「当時、人気の女子プロレスラーがやってたことの真似なんですけど、お風呂の中に沈んで、自殺未遂を何回もやってました」<br />
　「どういうこと？」<br />
　「息を止められる限界まで沈んでるんです。でも、最後は苦しくなって、やっぱり息を吸おうと浮上してしまう。いま、思い返せば、ごっこ遊びみたいなものですけど、ああやっぱりわたしは息を吸いたいんだな、生きたいと思ってるんだなって確認してました」<br />
　「それもそうとう暗いわね」<br />
　「半分、遊びみたいなものです」<br />
　「いまはやってないの？」<br />
　「・・・いまは考えることにしています。なんで悲しいのか、なんでそんなことをしたがるのか。もちろん、考えたところで答えが見つからないときも多いです。でも、中途半端に苦しむことはなくなりました。ずいぶん楽になりました」<br />
　「・・・あなたもいろいろあって、今日のあなたがあるのね。・・・でも、考えてると胸が苦しくならない？　死にそうにならない？」<br />
　「苦しくなったらやめます。だいたいそこから先は感情の世界なので、考えてもどうにもならないことが多いです。相手もあることだし・・・でも、がんばってトライしていくと、だんだんタフになるというか、免疫ができてきます。そうやってすこしずつ、だいじょうぶな領域を拡げてゆくんです」<br />
　「・・・勉強になるわ。逃げ回ってちゃダメなのね」<br />
　「いっそ友達になっちゃったほうが楽です」<br />
　「わたしも今度、それ、やってみようかしら？　自殺未遂」<br />
　「・・・そっちですか？」<br />
　「でも、やる前に加奈子にどうやるか見本を見せてもらわないと」<br />
　バンビさんは童話に出てくる腹黒い魔女のような顔になって笑った。<br />
　「そう言って、絶対、上から頭を押さえつけますよね？」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　　３２<br />
<br />
<br />
　昔、大きな台風が来て、崖か斜面が崩れて、いつも歩いていた山道が通れなくなったことがある。園長先生の家の裏庭から山へ登る獣道のような細い道の途中だ。よく、みんなでハイキングに行った。ドングリを拾ったり、花を探したり、虫を獲ったり。<br />
　どうしましょう？　崩れた土砂や倒木を取り除くのは不可能だった。<br />
　新しい道を造ろう。みんなで迂回路を造ろう。<br />
　あのときは楽しかったなぁ。だって自分たちで道を造るなんて初めてだったから。生まれてからずっと誰かが造った道を歩いてきた。わたしたちが生まれたとき、世界はほぼ完成していて、多くの道ができていた。未開の山奥にでも行かない限り、自分で道を切り開くなんてない。<br />
　みんなで山の茂みに手分けして入り、道になりそうなコースを探した。崩落地点からかなり引き返した、なだらかな山合を通るコースが選ばれた。大きな木は大人が伐ってくれた。わたしたちはそれを細かく切ったものや、竹や石を運んで、小道の柵や敷石を整備した。２か月ぐらいかかった。<br />
　あの道はいまも残っている。通ると、いろいろなことが音や声やにおいを伴って、よみがえってくる。あの後、道はそこを歩くみんなの足で踏み固められて、確かなものになった。『新しい道』と名付けられた。<br />
　加奈子はそんなことを思い出しながら、雪掻きをしていた。朝、早く起きて、外に出ると道がなかった。消えていた。<br />
　１０年ぶりの大雪になりそうだと昨夜のニュースが騒いでいた。<br />
　２週間ぐらい前に雪が降ったとき、マンションの住人が雪掻きをしているのを見た。マンション名が書かれたスコップが自転車置場の端に立て掛けられていた。今度、雪が降ったら、率先してやろう。<br />
　エントランスから道路に出るアプローチの雪掻きは終わった。幅５０㎝ぐらいの道を造れば、じゅうぶんだろう。これは『新しい道を造る』ではなく、あった道を復元するだけど、高揚感はある。まっさらな何もないところに道を造ってゆくのは気持ちがいい。雪が重い冷たい寒い疲れるなんて思いながらやると重労働だけど、自分はいま自分が歩く道を造っているのだと思うと、スコップを握る手にも活力が入る。<br />
　やがて住人が一人二人と出てきて、雪掻きを手伝いはじめた。簡単な挨拶を交わし、黙々と作業をする。朝早くに出勤する人が「お疲れさまです。ありがとうございます」と挨拶していく。今日は月曜日だ。電車は走るのだろうか？<br />
　マンションの敷地に面した舗道まででいいと思ったけれど、その先の道が人員不足で苦戦してるようだったので、余力もあったし、手伝うことにした。結局、大通りの表参道まで雪掻きをした。部屋を出て、もう１時間以上たっている。<br />
　こどもたちが家から出てきて、雪遊びをしている。車も徐行運転だけど走りはじめた。真っ白だった夢のような雪の世界が、生活をする人間の現実で徐々に壊され、薄汚れてゆく。非日常の時間は短い。この後はいつものように厄介もの扱いされるのだろう。<br />
　加奈子は暖かい部屋に戻ると、風呂場でダウンを脱いで、手袋やマフラーを外した。水分をはたいて、カーテンレールに干す。さ、リビングに行って、熱いチャイでも作って飲もう。<br />
　バンビさんは寝ている。起きるのはいつものように午後近くだろう。月曜日で通常は休みをもらっている日だけど、今日はバレンタインデーなので出勤だ。昨日のうちにお客さん用のチョコを買いに行ってよかった。<br />
　昨日買いものの帰りに買った調理パンを紙袋から出し、大きなお皿に並べた。ラップをかける。バンビさんの今日のお昼はこれでいいだろう。<br />
　自分用に買ったパンをお皿ごと持って、窓辺に行く。曇ったガラスをスウェットの袖でぬぐい、庭を見る。真っ白な世界が眼前にシロップをかけてないふわふわのかき氷のように広がっている。<br />
　庭はこのままにしておこう。ゆっくり雪が解けていくのを見よう。<br />
　やがて雪の下でじっと耐え忍んでいる芝や、抜かずに残したタンポポのロゼットの葉が、春に焦がれるその熱い思いと体温でゆっくり静かに雪を解かし、地表に顔を出すだろう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　３３<br />
<br />
<br />
　園長先生の庭は、いわゆる『ナチュラルガーデン』と呼ばれてるものだ。<br />
　自然っぽい庭。ほったらかしにしているようだけど、ちゃんと手は入っている。<br />
　庭の景色は毎年、微妙に変わる。人によっては全然気づかない変化だけど、わかる人にはわかる。<br />
　樹木は生きものだから成長する。空間をどんどん覆っていく。すると、下に生えてる植物に陽が当たらなくなる。お互いのベターを選んで、人間が剪定する。ときには面白い方向に枝を伸ばす。この枝が伸びていったら見映えがするなぁと思ったら、放っておく。ときには誘引する。基本は生存競争だから、様子を見て、仲裁に入る。草花は枯れたり、勢力を広げたりする。その地に適応できたものは生き残るし、適応できなかったものは途絶える。ちゃんと適地を選んで植えたつもりなのに枯れてしまうものもあれば、ここはどうかなと試しに植えたものがすくすくと成長する場合もある。思い通りにならない。植物には植物の事情があるみたいだ。蔓植物も放っておくとあらゆるものに絡み付く。絡み付かれたものは弱ってしまう。仲裁に入る。花が終わったら伐るよとか条件付きで保留する。ときには鳥が糞で種を運んだのか、知らない植物が生えてくる。図鑑で調べる。結局わからずじまいで、花をつけるまで待っことにする。雑草でも可愛い花はある。生えてくる場所によっては抜かないで残してやる。<br />
　庭には、もとからいるもの、植えたもの、勝手に生えてきたもの、いろいろな植物が共生している。それらを最終的に差配し、デザインするのは人間だ。バランス、フォーカルポイントなどを考えて、ときには奇もてらって、景色を創っていく。それは植物の成長や人間の思いに寄り添って、毎年、変化し、移ろってゆく。<br />
　「ここは自然ではなく『庭』ですから、７０％はわたしが決めます。でも、残り３０％は植物たちの声を聴き、決めます。植物たちはときに人間が想像もしない思いがけない提案をして、驚かせてくれます。それは植物たちが与えられた地で必死に生き伸びようとする戦略でもありますが、懸命に生き残ろうとしているその姿が感動を運ぶのです」<br />
　園長先生はそう言っていた。<br />
　「よく、コンクリートの隙間から芽を出して咲いた花や実った野菜が、テレビのニュースで紹介されますね。生きようとする植物の力に驚嘆し、勇気をもらいます。そう、わたしたちが心の奥底で求めてるものは、力強い大いなる自然の物語なのです。自分より遥かに大きく、人間の想定を超えて、かつ、わたしたちを包みこんでくれる母のようなもの。先人はそれを『自然への畏怖の念』と呼んできました」<br />
　園長先生の話を聞きながら、よく庭を歩いたものだった。芽を出した草花や咲きはじめた花を見つけては、立ち止まり、いろいろと教えてくれた。<br />
　先生は公園や町の花壇が好きではなかった。列植されたパンジーやチューリップを見ると、いつもため息をつくようにこう言った。<br />
　「花壇にきれいに並んでる花を見ても、心が動かないのは、ここに自然の物語がないからです。ここに花は咲いていません。わたしたちが見ているのは、花の姿をした道具です」<br />
　先生は日本庭園や盆栽も好きではなかった。<br />
　「植物の美は人間の想像力を超えた先に在ります。人間が頭の中で考えたことなんて、襖に絵を描いてれば、じゅうぶんでしょう。わたしは生きている植物を見たいし、感じたいのです」<br />
　先生の庭はさほど広くはなかったけれど、先生の目はいつも広大な自然を見ているようだった。ページをめくるのが待ち遠しくてたまらない飛び出す絵本のような、わくわくする世界が目の前に広がっているようだった。<br />
　「自然は決して人間の思い通りにはなりません。彼らも我々と同じ生きものだからです。そこが庭をやっていて、とても厄介で難しいところです。でも、わたしはそこがいちばん面白く楽しいところじゃないかと思っています」<br />
　「今年はミモザがきれいに咲いたね」<br />
　わたしは玄関脇のミモザの木を見上げた。<br />
　園長先生の庭に来ていた。ホームを訪ねたのは昨年秋の誕生日パーティー以来、先生の庭に足を運んだのは、ほぼ一年ぶりだ。<br />
　「去年の秋、みんなで歯ブラシを持って、ハシゴをかけて、カイガラムシをごしごし落としたのよ。中学生になった男の子たちががんばってくれたの」<br />
　園長先生は枝垂れているレモンイエローの花に手を伸ばした。<br />
　カイガラムシはミモザを好んでたかる害虫だ。ほうっておくと葉っぱや蕾を全部食べられてしまう。<br />
　「それに去年は一度も台風が来なかったしね。・・・すこし伐って、持ってく？」<br />
　ミモザが満開に咲いたときはいつもリースを作って、玄関や部屋に飾った。<br />
　「じゃ、あとでハシゴをかけて、伐って、もらっていく」<br />
　マンションに帰ったら、リースを作って、玄関に飾ろう。<br />
　「カナカナは元気にしてました？」<br />
　先生と、立ち枯れた花が残るアジサイの前のベンチに並んで座り、話をした。先生はわたしのことをカナカナと呼ぶ。先生の庭を舞台にした物語の登場人物の一人になったみたいで昔から気に入っている。<br />
　「はい、元気にやってます」<br />
　「新しい生活には慣れましたか？」<br />
　「はい。・・・先生とこの庭に会えなくて、すこし寂しいけど」<br />
　遠目にも早春を告げる花がちらほらと咲きはじめているのが見える。この時季に咲く樹木は黄色い花が多い。レンギョウ、あ、マンサクも咲きはじめている。わたしの大好きな『アーノルドプロミス』・・・錦糸卵みたいな花が面白い。<br />
　「いつでも遊びにいらっしゃい。いつまでもここはあなたのホームなんだから」<br />
　先生はわたしの手に手を重ねながら、ぎゅっとした。皺だらけの乾いた手のどこから届くのだろう、柔らかなぬくもりが伝わってくる。<br />
　「はい」<br />
　「今日はポカポカして心地良いわね。春も、もうすぐ・・・この齢になると、毎年、春が待ち遠しくてね」<br />
　先生はここ十年ぐらい、毎年、そう言っている。季節は巡って、一年がたち、また春が来る。<br />
でも、今年の春の訪れはすこし遅れてるそうだ。春を迎える準備ーー降り積もっている落ち葉を掻き集めたり、枯れ草や枯れ枝を整理する手伝いに来たのだけれど、まだ雪も降るかもしれないし、霜が降りる心配もあるので、作業は来週か再来週に順延するそうだ。電話してから来ればよかった。<br />
　でも、今年は中学生になった男の子たちが手伝ってくれる予定らしい。だから、人手は足りているそうだ。<br />
　「さぁ、年寄みたいにいつまでも座ってないで、春を見つけに行きますか」<br />
　先生は背筋をまっすぐにしてベンチから立ち上がった。大きなーーきっと昔からここにいるケヤキが立ち並ぶほうに歩き出した。<br />
　わたしに物置小屋から籠とハサミを持ってくるように言った。きっとフキノトウを収穫しに行くのだろう。<br />
　ケヤキの下で、へラボレスが落ち葉に埋もれるようにうつむき加減の花をつけている。咲きはじめたのか、沈丁花の微かな香りがときおり吹く風に乗って届く。夏の間、このあたりは葉を広げたケヤキの下で、日蔭となる。フキはところどころに群生している。いまはすっかり枯れて、その姿はない。落ち葉が静かに光熱殺菌されてるように、太陽の光を浴びている。虹色の光の筋が斜めに降り注いでいる。<br />
　先生は冬の間、市場に出回る葉牡丹や一足早い春の花の苗を植えない。そのままの冬枯れた景色のまま、ほうっておく。<br />
　「冬の庭は淋しくていいの。冬の庭には何もないけど、何もないからこそ、見えるものがある」<br />
　フキノトウはわたしがお土産で持って帰るぐらいの分だけ、見つかった。落ち葉の下に隠れて、これから花を咲かそうとしている矢先にもがれた。でも、だいじょうぶ。あなたたちは根でどんどん勢力を拡大していく強い植物だから。これだけ、ちょうだいね。<br />
<br />
<br />
　表参道のマンションに戻ると、バンビさんが立ち鏡の前でダンスの練習をしていた。<br />
　イベントは一か月後に迫っている。難度が高くて、大変みたいだ。練習用の着物を身に付けて、ゆるりと舞ったり、振付をチェックしている。<br />
　わたしは２回目の打ち合わせまで同席した。イベント主催の広告会社の人、振付の先生、舞台装置会社の人、映像クリエーター、総合演出プロデューサー、そしてバンビさんとわたし、７人が集まった。会場である六本木のディスコの開店前の日中を借りて行われた。ここ、あのとき、酔っぱらって記憶をなくしたディスコだ。あまり憶えてないけど。<br />
　わたしはずいぶんと気後れしたけど、持参した絵コンテをーーバンビさんとディスカッションし修正したものを、皆さんに見せた。反応が怖かったけれど、素人なので失うものは何もない。<br />
　皆さんはおべっかではなく、興味を持ってくれたようだ。和やかだった雰囲気が真剣な目に変わり、容赦のない質問が次々に飛んだ。わたしは真意を正確に伝えようと努力した。<br />
　２回目のとき、修正案が広告会社の人から出された。ショーはバンビさんのソロではなく、ほかにニューハーフ２人、男のダンサー２人を加えた５人によるものとする。尺は１０分。キャストはセンターの花魁にバンビさん、両脇を振袖新造と下男に扮したニューハーフと男のダンサーのカップルが固める。バンビさんの出番は総計で６分ぐらい。<br />
　舞台ストーリーはわたしたちが提案したものを基本に練り直された。でも、バンビさんの心象風景や表情や所作などは、ほぼそのまま採用された。登場人物を増やしたのはステージが広いからで、その空間をフルに効果的にダイナミックに使いたい意向のようだ。また、構成に変化とメリハリをつけられる。<br />
　音楽はストーリーをもとに和楽と洋楽をミックスした緩急のあるオリジナル楽曲が創られた。それに合う振付や演出を考え、舞台装置や背後のＬＥＤビジョンに流す映像を作る。<br />
　いまは振付も決まって、週２でスタジオでレッスンをしている。といっても、さほど激しいダンスはないみたいだ。激しい動きより、ゆるやかに舞うような動きに重きを置いているからだ。ほかの２人のニューハーフさんが運動量のあるダンスを割り当てられて大変らしい。<br />
　わたしは荷物を持ったまま、バンビさんが一息つき、休むのを待った。<br />
　「いい香りでありんすなぁ」<br />
　運動で鼻孔が膨らんだのか、バンビさんがこっちを見て、言った。<br />
　「ミモザです。リースを作って、玄関ドアに飾ろうと思って」<br />
　「素敵」<br />
　バンビさんはテレビの上から大きな赤い扇子を取ると、扇ぎながら、ドレッサーの椅子に腰を下ろした。<br />
　「バンビさんはフキノトウは好きですか？」<br />
　「嫌い」<br />
　「・・・そうですか」じゃ、一人で全部天ぷらにして食べよう。<br />
　「どこ、行ってたの？」<br />
　「『小百合園』です。園長先生の庭に行ってました。・・・ボードに書いていきましたけど」<br />
　「あら、見なかったわ・・・何しに？」<br />
　「庭仕事を手伝いに。でも、まだ早過ぎて、ミモザとフキノトウをもらって帰ってきました」<br />
　「・・・ちょっと踊りを見てもらえる？　感想を聞きたいわ」<br />
　「見てましたよ。良い感じです」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
    <link>https://chao213.blog.shinobi.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90/%EF%BC%A8%EF%BC%B02000%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%98%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%99%E3%80%80%EF%BC%93%EF%BC%90</link>
    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 23:27:07 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）２２　～　２７</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
　　　　　　　２２<br />
<br />
<br />
　来年から本格的に腰パンを流行らせるらしい。<br />
　ドラマで主人公に履かせることが決定している。主人公は若者に影響力がある、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの某イケメンスターが起用されるそうだ。<br />
　ルーズソックスに次ぐ、若年層ルーズ化計画の一環だ。もちろん、いつものように利権も絡んでいる。でも、今回は心理的戦略の比重が高いそうだ。ファッションが精神形成に与える影響は大きい。若い子たちを心身ともにどんどんだらしなくさせるのだ。<br />
　また、腰パンのルーツは囚人服にあるようだ。彼らはこの手の象徴性が大好きだ。<br />
　楽井未来はプレゼンを終えて、化粧品会社の廊下を歩きながら、昨日の昼休みに社員食堂でほかの部署の友人から聞いた、いまの腰パンの話を思い出していた。いま、プレゼンした幹部の中にヘソまでズボンを上げてるオジサンがいたからだ。頭を自分の仕事に振り戻す。<br />
　ニューハーフを化粧品のＣＭに抜擢するというチームプランの進行は暗礁に乗り上げていた。まぁ予想していたことなので驚きや落胆はない。<br />
　この国の企業経営者の多くは、政治家や官僚たちと同じく文化に関心がない。それは美意識や計画性の欠けらもない街並を見ればわかる。日本橋の上に高速道路を造ってしまうような人たちなのだ。この国を愛しているとは到底思えない。この国の不幸はこの国を愛している人たちが国造りをできなかったことだ。利権の草刈り場としか考えてないのだろう。相次ぐ渡来者が略奪支配没落を繰り返してきた国だ。それは歴史をちゃんと自分の頭で勉強すればわかる。<br />
　だから、彼らに言わせれば、綺麗な女の子のタレントがたくさんいるのに何で女に化けてる男をわざわざ使うの？　ということになるのだろう。わざわざ使うことに文化があるということが理解できない。新しい価値を創り出すなんて口では言ってるが、それに儲けが加わらないとてんで動きはしないのだ。<br />
　２０００年代はマイノリティの市民権が向上するというシンクタンクの予想だか予告がある。社会がマイノリティを理解し尊重する積極的な理由が見当たらないので、やはり何らかの意図と利権が絡んでいるのだろう。利権が絡むとしたら、ある程度のマーケットがなければならない。・・・ということは、今後、マイノリティの数が増えていくということだろうか？　それはどういうこと？　ＬＧＢＴがこれから更に増えていく？<br />
　だいたい、そもそも、何でＬＧＢＴになるの？　その原因は？　胎児期のストレスによるホルモン異常とかよく言われる説だけれど、いまもって原因は不明とされている。本当か？<br />
　この世の中には原因不明のものがいっぱいある。代表的なものは難病だ。ただ、昔はそれらの病気は見当たらず、近年になって爆発的に増えていることから、自分たちが生きているこの現代社会に原因があるのではないかと言われている。まぁ普通だったら、そう考えるよな。・・・となると、環境汚染、化学物質、ワクチン、電波、日々口にしている食べもの・・・などが疑わしい。何でみんな、こんな当たり前のことを考えないのだろう？<br />
　わたしはもし訴訟に勝ち目があるのなら、上告したいと思っている。でも、被告はきっと山ほどいるだろう。彼らが全員有罪になる日なんて、わたしが生きてるうちはやってこないだろう。<br />
　楽井未来はビルのエントランスを抜けて、外に出た。地下鉄の駅に急ぐ。<br />
　今日はこれからイベント会場の下見だ。わたしは転んでもただでは起きない。作戦変更。先ずはイベントを仕掛けて、受け入れやすい土壌を造る。１dayにするか２daysにするかはまだ決めてない。というか、昨日の夜、思いついたこと。<br />
　開催日は４月４日を予定している。もうあと５か月しかない。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　２３<br />
<br />
<br />
　年末にバンビさんと京都へ行くことになった。<br />
　大阪のニューハーフクラブにも連れていってくれるという。<br />
　来年の４月４日に六本木のディスコを借りきって、ニューハーフの祭典を開催するらしい。そのイベントのショーのトリを飾ってほしいと依頼を受けたのだ。<br />
　それで前々から行きたいと言っていた大阪の店の視察も兼ねて、京都へ行こうという話になった。そこは映像や装置や照明を駆使したショータイムで有名な店らしい。<br />
　「それでね、花魁をやってくれないかと言われたのよ」<br />
　バンビさんはドレッサーの前で化粧しながら言った。<br />
　今日も同伴出勤だ。旅費を稼がなくちゃ。大阪の店もすごく料金が高いらしい。<br />
　「オイラン？」<br />
　「そう、知ってるでありんすか？」<br />
　「豪華な着物の娼婦の方ですよね」<br />
　「そう、娼婦の女王」<br />
　バンビさんは肩を和っぽくしならせてみせた。<br />
　「でね、わたし、着物なんて成人式の晴れ着以来、着てないのよ。どうしようかなって思って」<br />
　「・・・バンビさん、成人式に晴れ着で出席したんですか？」<br />
　「・・・なわけないでしょ、うそよ。着て出席してやろうかと思ったけど、会いたい友達もいないからやめたの。だから、わたし一度も着物を着たことがない」<br />
　「バンビさんは和のイメージじゃないですよね」<br />
　「だから、考えとくと言って別れたんだけど・・・外国人のお客さんもいっぱい招待する予定みたいで、和っぽいものをやってほしいって要望なの」<br />
　「ウケがいいのかな」<br />
　「・・・でしょうね。加奈子、何かアイデアある？」<br />
　わたしはさっきからバンビさんを上から下まで舐めるように見て、頭に思い浮かんでいる花魁のイメージと重ね合わせている。脳ミソに詰まっているバンビさんデータを呼び起こし、齟齬を見つけては細かい修正を加えていく。<br />
　「・・・バンビさんの着物姿、意外に面白いんじゃないかと思います。ほら、よく外国人の女性が日本の着物を着た絵とか、演劇があるじゃないですか？　バタ臭い感じの」<br />
　「オリエンタリズムみたいなの？」<br />
　「そう・・・逆な感じでエキゾチックになって、似合うような気がします。具体的なアイデアはちょっと思いつきませんけど」<br />
　「じゃ、考えといて」<br />
　「・・・わたしがですか？」<br />
　「もしやるとしたら、基本的なラインは振付のミエコ先生に頼むと思うの。でも、新しい試みをしたいから、わたしもいろいろ意見を言うつもりだし、加奈子にも参加してほしいの」<br />
　「・・・ありがとうございます。考えてみます」<br />
　「よろしくね」<br />
<br />
　バンビさんがまた６時出勤なので、今夜も一人でご飯だ。一人で食べるとなると簡単なものでいいってことになる。今夜は作るのをやめて、外にラーメンでも食べに行こうかな。そうしよう。帰りにレンタルビデオ屋に寄って、花魁が出ている映画を探して借りてこよう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　２４<br />
<br />
<br />
　わたしはいつから大人になったんだろう。<br />
　さっきまであんなに乱れて、彼を好き好きって泣き叫んでいたのに、いまはすっかり狂おしい波も引いて、穏やかな気怠い朝の中にいる。出したら終わりみたいな男の性質が残っているのだろうか。でも、快楽の残り香はそこかしこに残っている。愛しさみたいなものも。<br />
　彼はこれから仕事。シャワーを浴びて、いまはシャツを着ている。ラグビーをやってたらしく体格が良い。男っぽく武骨だけれど、顔は童顔。そのギャップがまた可愛い。モテるだろうなと思う。何でわざわざニューハーフに手を出すのだろう。<br />
　「どうする？　ルームサービスを呼んで、ここで一緒に朝食にする？」<br />
　彼は優しい。わたしのことを本当に好きみたいだ。<br />
　「いい。お腹、空いてないし。もうすこし横になってから帰る。それでいい？」<br />
　ベッドの中から答える。<br />
　「ＯＫ。キーだけ、フロントに返しといて」<br />
　彼は独身だ。そう言っている。たぶん本当だと思う。ベンチャー系の会社の社長だ。何歳だっけ？　３つ上？　２８歳？　ホテルのこの部屋を年間契約している。ここに来たのは３度目だ。泊まったのは２度目だ。夜中、店がはねた後、ここに直行。彼は店の指名客だが、接待で寝てるのではない。普通の男女のように自然にそういう関係になっただけだ。<br />
　付き合ってるのかはわからない。わたしにとってはどうでもいいこと。確かめようもないこと。ゴールがあるわけでもない。ただ、彼に惹かれるものがあったから、部屋に来ただけのこと。彼がわたしにキスをして、それ以上を求めてきて、わたしに断る理由は何もない。好きで受けとめてるんだから、駆け引きする必要もない。ただ、昔みたいにお盛んにしてるわけじゃないから、ちゃんと機能してくれるかどうかが不安だった。でも、そのことを彼に言うと、彼は優しく扱ってくれた。それが前回。今日は、本当に気持ちが良かった。<br />
　彼は髪をセットして、ネクタイも締めて、すっかり仕事モードに戻って、ベッドサイドにやってきた。あとはジャケットを着て、部屋を出て、会社に行くだけだ。そしてわたしは「行ってらっしゃい」と言うだろう。<br />
　なんか自分が妻になったようでおかしい。もう朝になろうというのに激しく愛されて自堕落になってまだベッドから出られない妻。彼はキスをしてきた。化粧を直しとけばよかったと思ったけど、そんな気力はどこにもない。もういいや。彼が舌を絡めてきたので応えてると、手が毛布の中に入ってきた。その手を胸の前で押しとどめて「仕事でしょ？」とわたしは笑う。<br />
　「また、近いうちに会える？」<br />
　彼は名残惜しそうに言った。<br />
　「店がはねてからなら・・・時間が取れるかも」<br />
　「いつ？」<br />
　「会いたいときは店に迎えに来て。あ、でも、電話してからね」<br />
　「一緒に旅行に行きたいな」<br />
　「いいね、楽しそう」<br />
　「じゃ、今度、休日とかスケジュールを教えてよ」<br />
　「うん」<br />
　「クリスマスは？　友達がプリンスでパーティーやるんだけど、よかったら・・・ああ、でも、忙しそうだね」<br />
　「時間が取れたら考えてみる」<br />
　彼はベッドから身を起こすと、クローゼットへ行き、ジャケットを選んだ。鏡の前で身繕いをすると、手を振って、部屋を出て行った。<br />
　わたしはどうしよう？　このままベッドに入ってたら、夕方ぐらいまで寝てしまいそうだ。ここでシャワーを浴びるのは落ち着かない。化粧をし直すのも面倒臭い。<br />
　サングラスとマスク姿で帰ろう。彼に迷惑がかかるのもいやだから、フロントではサングラスは外そう。目の周りだけちゃんと直せばいいや。<br />
<br />
　タクシーでマンションに戻ると、加奈子は学校へ行った後で、誰もいなかった。朝の９時半。テーブルにラップをかけたサンドイッチが用意してあった。<br />
　バンビはドレッサーに座ると、崩れかけてる化粧を落とした。バスルームへ行き、お風呂を沸かす。沸きあがるまでの間、洗い場で人工膣のケアをする。奥の方に残っている精子を指で搔き出し、シャワーできれいに洗浄する。消毒する。すこし痛い。<br />
　バンビはバスタブにつかりながら、また彼に会いたくなるかなぁと考えた。今日は彼が１２時ごろに店に来て、店がはねた後、部屋へ行くわと約束したけど。急用ができたと電話して、断ることもできた。でも、わたしは行った。愛されたいのかなぁと思う。クリスマスシーズンだから寂しいのかなぁ。<br />
　このところ、色恋の主導権は相手側にある。わたしから電話をするとか会いたいとかはない。相手から連絡が来なくなったら、飽きられたのかな、遊びだったのかなと思うだけだ。それはそれでいい。こちらも追いかけようとまでは思わないもの。<br />
　バンビはものぐさになって、バスタブに入ったまま、髪を洗った。洗い場でシャワーを浴びて、きれいに石鹸や泡を洗い流すと、バスタオルを巻いたまま、温かくしといたＬＤＫに戻った。<br />
　顔やからだの保湿ケアをして、人工膣にも薬用クリームを塗る。<br />
　いつかまた、居ても立ってもいられず部屋を飛び出していくような恋ができるのかなと思う。<br />
好きになって、夢中になって、ぶつかって、傷ついて、傷つけて、泣いて、悲しくなって、抱きしめてほしくて、失いたくなくて・・・<br />
　いまは部屋を飛び出す前に、相手の事情だの、過去の経験則だの、未来だの、一般常識だのを考えて、ブレーキをすぐ踏める状態にしている自分がいる。駆け引きも覚えた。嘘も必要なことを知った。いろいろ経験して、いろいろ知ってしまった大人の自分がいる。<br />
　あのころみたいな恋がしたいなぁと思う。すぐにしちゃうからダメなのかな。いろいろ不安になって、傷つくのが怖くて、自信もなくて、嫌われたくなくて・・・すぐに関係を結べなかったあのころ。いまは今日の彼みたいに安易に関係を結んでしまう。<br />
　性欲もだんだんなくなってきたような気がする。すぐに疲れる。でも、たまに愛されたい気持ちがどうにも強くなって、自分でも自分が手に負えなくなる。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　２5<br />
<br />
<br />
　照明が落とされ、ショーが始まった。<br />
　スクリーンにニューハーフたちが映像で次から次へ紹介されていく。１人１人が大きなアルファベットや数字が書かれたボードを持っている。フェイドアウトし、日本の戦後の世の中の流れみたいなニュース＆トピックスが流れはじめる。ニューハーフたちはそのときどきの風俗やファッションを身に着けて、ダイブするようにその映像の中に飛びこんでくる。原色のワンピのミニでゴーゴーダンスを踊ったり、ダッコちゃんを腕につけてたり、扇子を持ったボディコンだったり、ルーズソックスを履いたガングロだったり・・・<br />
　最後に時系列のピースが集まるようにみんなが大阪の夜景の前に整列し、ボードに書かれた　Good-bye １９９９　というメッセージが浮かびあがる。<br />
　そして、このオープニングの後、映像に出てきたそれぞれが趣向に富んだショーを繰り広げていくという全体の構成だった。<br />
　照明システムが最先端という感じで凄かった。矢継ぎ早に光の色や方向や明度が変わり、混ざり、交錯し、模様を描き、ニューハーフたちに陰影をつけていく。目がチカチカし、絶え間なく残像が網膜に貼りつく感じ。幻想的な演出。明と暗のコントラスト。臨場感。<br />
　音響はボディソニックというものなのか、重低音の振動が店内を揺るがしていた。すこしうるさいかなと思うけど、非日常の空間にいざなわれた。<br />
　舞台装置は、回り舞台、昇降舞台、天井に付けたレールバーによる登場、幾重にも連なる緞帳・・・場面転換が鮮やかで、変化に富んで、意表を突く演出が際立っていた。物語性が強く、寸劇や小芝居を観ている感じ。小物や装置による演出も手を抜いてない。<br />
　路上に座っているガングロたちがアフリカの未開部族の世界にワープして、小悪魔ふうな奇怪なエロスを魅せるショー。扇子を持って踊り狂う半裸のワンレン娘の背後で、スクリーンに映し出されたゴジラによって薙ぎ倒されてゆく東京のビル街。風刺やユーモアがあって、面白かった。最後のママとイケメン男子の煽情的なエロチックなダンスも、出逢い、嫉妬、悦楽、昇天などが趣向に富んだ演出で表現されていて、芸術的だった。<br />
　フィナーレの挨拶のとき、バンビさんにチップを持っていくよう命じられた。ドレスの胸のあたりに挿しこむのと教えてくれた。最後のママだけ３枚で、ほかの子は１枚ね。テーブルの上に二つ折りにした１万円札が１１枚。ほかのお客さんがしているのを見ながら、真似するようにどうにか配り終えた。ニューハーフの皆さんが度アップで嬉しそうに微笑んでくれたのが嬉しかった。<br />
　ショーが終わると、ママと数名のニューハーフがわたしたちのテーブルに来た。<br />
　わたしたちが店に入ったのはショーが始まる直前だったので、店内にはウエイターさんしかいなかった。<br />
　「いらっしゃいませー！　どうもありがとうございます」<br />
　わたしの顔を見たから、さっきのチップのことを言ってるんだろう。わたしは顔の前で手を振り、隣のバンビさんを指差した。<br />
　「どうぞ、お好きなものをお飲みになって」<br />
　バンビさんはママたちに促した。<br />
　「ありがとうございます」とママたちはバンビさんを見て改めてお礼を言うと「いただきまーす」と言って、ウエイターを呼んで、ドリンクを注文した。<br />
　バンビさんはヘネシーをロックで飲んでいた。わたしは薄い水割り。お代わりを作ってもらった。目の前にはフルーツの盛り合わせとクリスマスデコのお菓子。<br />
　「うちの店ははじめてですか？」<br />
　「はい、東京から参りました」<br />
　「東京から！　観光ですか？」<br />
　「観光も兼ねて。前々からショーが素晴らしいとお噂に聞いてまして、一度、自分の目で見てみたいと思って参りました。・・・同業の者です」<br />
　「・・・ああ、テレビで観たことがあるなぁ、綺麗な人やなぁって思ってたんですけど、もし聞いて違ってたらえらい失礼なことになるし、どうしようかと思って聞けませんでした」<br />
　「はい、・・・伝わっておりました」<br />
　「バンビさんですよね？　『人工の森』の」<br />
　「はい、バンビです。恐縮です。『プレミア』のママに知っていただけてるなんて、光栄です」<br />
　「お隣の可愛い女の子さんは？」<br />
　『プレミア』のママはわたしに視線を移した。<br />
　「加奈子といいます。この子は正真正銘の女の子です。美大に通ってまして、ショーの構成や演出に興味があるというので、今日は付き人として連れてきました」<br />
　「あら、そうなの。どうでした？　わたしたちのショーは」<br />
　「素敵でした。圧倒されました」<br />
　そんなことより、今日はちゃんとわたしのことを女の子と紹介してくれた。何か理由があるのかもしれないが、嬉しい。<br />
　ママたちは一度着替えてから戻ってくる旨をバンビさんに話したが、バンビさんはごめんなさいこれから京都へ行かなくちゃならないからそろそろお暇させていただきますと断っていた。テーブルでカードで会計を済まして、わたしたちはクロークでコートを受け取り、店を出た。スーツケースや旅行バッグは新大阪駅のコインロッカーに入れてある。<br />
　舗道に出たところでママたちが追いかけてきて見送ってくれた。ママがバンビさんに駆け寄り、何か話している。バンビさんもにこやかに応対している。<br />
<br />
　タクシーで新大阪駅に戻り、荷物を引き出し、わたしたちは新幹線で京都へ向かった。<br />
　車中でバンビさんといろいろ話す。<br />
　「最後、何を話してたんですか？」<br />
　わたしはほろ酔いかげんで聞いた。いまは酔い冷ましに烏龍茶を飲んでいる。<br />
　「もしこっちに来ることがあったなら、わたしの店に来ないって誘いを受けてたの。・・・だから、そのときはお願いしますって」<br />
　「・・・その予定はあるんですか？」<br />
　「わからない。でも、行きたい気持ちはある」<br />
　「バンビさんがあの店でショーをやったら、すごく素敵だと思います」<br />
　でも、そしたら、わたしの居候生活も終わりか・・・なんか急に酔いが冷めてきた。<br />
　「でもまぁ、当面はないかな。来年の４月にイベントあるしね」<br />
　バンビさんもショーを間近で実際に観て、いろいろ刺激を受けて、思うところがあったのだろう。ショーの間、すごく真剣な顔で観ていた。<br />
　「・・・それで加奈子、どうだった？　面白かった？」<br />
　「面白かったです。すごく楽しかった。リアルで観たの、はじめてですし」<br />
　「ショーは？」<br />
　「ショーも良かったです。異空間に迷いこんでるみたいでクラクラしちゃいました。ただ、一つ生意気なことを言わせてもらえれば・・・個の力が弱いかなと思いました。舞台装置やハデな演出に目を奪われがちで、ニューハーフの人たち１人１人の存在感が消えちゃってるかなって」<br />
　「まぁ、プロのダンサーやショーガールじゃないからね。どうしてもそこのレベルは落ちるわよね。本当に上手な子って一握りだし」<br />
　「あとは表現力です。最後のママさんの踊りも、バンビさんならもっと多くのものを表現できると思って観てました」<br />
　「ありがとう、酔っぱらいさん」<br />
　バンビさんはわたしの鼻を指でつついた。<br />
　「え～、酔っぱらっていませんよぉ」と言いながら、台の上の烏龍茶を倒した。<br />
　「ほらほら、お茶をこぼした」<br />
　バンビさんはポケットティッシュを取り出し、わたしのスカートについた水滴を拭いた。「世話が焼ける子ね」<br />
　わたしがいま着てる服は３日前、原宿のヴィンテージショップでバンビさんに買ってもらったものだ。１０年ぐらい前のシャネルのセットアップスーツ。黒っぽいグリーンでノーカラーでツイード。トラッドな落ち着いた雰囲気で広範囲な用途をこなせるそうだ。これに合わせて、タートルネックセーターもコートも靴も買ってもらった。それらの総額２５万！<br />
　いったい今回の旅行で散材する額はどのくらいに上るんだろう？　さっきのお店の料金もちらっと覗いたら１０万。１時間いただけで１０万。チップも含めると２１万。花屋で時給￥900でバイトしてる自分が哀しくなる。<br />
　買いものをしてたとき「こんな高価なものじゃなくていいです」とわたしが言うと、<br />
　バンビさんは「『人工の森』の看板をしょっていくんだから、ハンパなことはできないの。ママに恥をかかせるようなことはできないわ。しみったれたことしたら、ママに怒られちゃう。だから、いいの。これは必要経費」<br />
　さっきの高額なチップもそういうことなんだろう。見栄やプライドを大事にする世界なのだ。<br />
　わたしもバンビさんと一緒に歩くことにだんだん慣れてきている。気取ってお高くとまる必要はないと思うけど、おどおどしてバンビさんに恥をかかせるのだけはやめようと思う。<br />
　バンビさんに座席で化粧を直してもらう。そろそろ自分でできるようにしなくては。<br />
　京都駅に着くと、タクシーに乗って嵐山へ向かった。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　２6<br />
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<br />
　旅館は川のほとりにあった。<br />
　すごく高そうなところだった。<br />
　店のお客さんに旅行会社の人がいて、急遽、探してもらったそうだ。普通ならすでに予約でいっぱいだけれど、キャンセルが出たらしい。<br />
　窓の外には大きな川が流れている。仲居さんがあそこにぼんやりと見えるのが渡月橋ですと教えてくれたけど、よく見えない。もうすこしで日付が変わる。あたりはほぼ真っ暗だ。<br />
　京都へ来たのは中学の修学旅行以来。あまり記憶に残ってない。寺や仏像に興味がある中学生はそう多くはないだろう。<br />
　部屋には露天風呂があった。温泉かけ流し。大浴場もあるらしい。<br />
　奥の部屋には布団が並べて敷いてあった。バンビさんと同じ部屋で寝るのは初めてだ。<br />
　仲居さんが出ていくと、バンビさんは服を脱ぎはじめた。バニティケースを持って洗面所へ行き、「化粧を落とすわよ」とわたしに言った。わたしも服を脱ぎ、旅行鞄からスウェットを引っ張り出し大急ぎで着て、洗面所へ向かった。<br />
　バンビさんの横に並んで、バンビさんの持ちものを借りて、後を追うように見様見真似で落としていく。しばらくすると、見慣れた顔が現われた。頬がほんのり赤い。<br />
　バンビさんは部屋に戻り、インナーを脱ぐと、露天風呂に直行した。しばらくすると、わたしを呼ぶ声がした。<br />
　「部屋を片付けてから入ります」とわたしは答えた。<br />
　バンビさんが脱ぎ散らかした服をクローゼットに収納していく。スーツケースを開けて、新しい下着を取り出す。寝間着はどうするのだろう？　備え付けの浴衣を着るのかな。<br />
　バンビさんはバスタオルを巻いて出てくると、<br />
　「大浴場は何時までだっけ？」と聞いた。<br />
　「１時までって言ってました」<br />
　掛け時計を見ると、１２時１０分。<br />
　「じゃ、まだ間に合うわ。加奈子、行くわよ」<br />
　バンビさんはバスタオルを外し、下着を履くと、浴衣を着て、羽織をはおった。洗面所へ行く。身だしなみをチェックしてるみたいだ。<br />
　「わたしは今日はいいです」洗面所のバンビさんに言った。<br />
　「なに言ってるの？　こんな真夜中にこんな湯上りほんのり美人を１人でお風呂に行かせるの？　襲われたらどうするのよ」<br />
　バンビさんは部屋に戻ってきた。髪をひっ詰めている。<br />
　「じゃ、お風呂まで一緒に行きます。出るまで外で待ってます」<br />
　「どうしたの？　恥ずかしいの？」<br />
　「はい・・・恥ずかしいです」正直に答えた。<br />
　「なんで？」<br />
　「だってスタイルが全然違うし・・・気後れします」<br />
　「ゆっとくけど、これ、作りものよ」<br />
　バンビさんは浴衣の上から自分の胸を触ってみせた。「でも、あなたのは本物なのよ、すごく小っちゃいけど。なに贅沢なことを言ってるの。本物ってだけでどのくらい価値があるか、あなた、わかってるの？　オッパイ以外も全部よ」<br />
　「・・・すみません。そんな深い意味で言ったんじゃないんです」<br />
　「じゃ、一緒に入りましょう」<br />
　「・・・わかりました」<br />
　「背中も流してね」<br />
<br />
　翌日は、９時に遅い朝食をとった後は、部屋でゴロゴロして過ごした。<br />
　テレビを観たり、ガイドブックを見たり。<br />
　午後はせっかく来たのだからと嵐山散策に出かけた。といっても、近くをぶらぶらと歩いてきただけだったけど。年の瀬も押し迫った３０日とあって、閉まってる店も多かった。<br />
　バンビさんは一緒に出かけると、基本、甘えん坊さんになる。わたしのほうが背が高いという理由もあるのだろうが、しなだれかかるように腕を絡めて歩く。いつも、これは傍目にはどう映るのだろうかと思う。仲のいい女友達？<br />
　今日はヒールではなくパンプスで、着てる服もシックなベージュのコートで、化粧もナチュラルで薄いから、いつもの夜の女っぽい、もしくはモデル系みたいな印象はなく、ましてニューハーフにも見えず、普通のちょっと華やかな女性のように見える。その人がすこし背が高いショートヘアのスッピンに近いわたしに甘えるようにして腕を絡めて歩くのだ。これって、レズビアンさんに見えない？<br />
　でも、もう慣れた。人にジロジロ見られるのは。<br />
　ガイドブックを片手に、御土産屋さんや料亭が並ぶメインストリートを左に折れて、『竹林の小道』というところに入った。高く生い茂る竹林の中に風情のある散策路が造られている。けっこう混んでいた。<br />
　すこし歩くと『野宮神社』が見えた。ガイドブックには源氏物語ゆかりの神社と紹介されている。<br />
　「どうします、寄っていきます？」<br />
　「何の御利益があるの？」<br />
　「良縁、子宝、学問と書いてあります」<br />
　「じゃ、わたしはあまり関係ない。加奈子、行ってくれば？」<br />
　「わたしもいいです」<br />
　「なんで？」<br />
　「神頼みはしないんです」<br />
　「あら、カッコいい。潔いわ。好きよ、そういう子」<br />
　バンビさんは更に強く半身を摺り寄せてきた。竹林に遮られて陽の光が途絶えて、寒いということもあるのだろう。<br />
　「そこを左に曲がると『天龍寺』で、泊ってる旅館のほう。まっすぐに行くと『嵯峨野』と呼ばれてる散策コース。どうします？」<br />
　「寒いから、もう帰る」<br />
　予想した通りの答えが返ってきた。バンビさんは寒さに弱く、歩くのが嫌いだ。<br />
　「『天龍寺』はどうします、寄っていきます？」<br />
　「どんなお寺？」<br />
　「禅宗のお寺で、庭が有名みたいです」<br />
　「じゃ、座禅でも組んで、煩悩を取り払ってもらおうかな」<br />
　「そういうことはいまはやってないみたいです」<br />
　「じゃ、帰る。寄らない」<br />
　お腹が空いたので、『渡月橋』まで歩き、店を探した。午後３時。いっぱい食べてしまうと、せっかくの旅館の懐石夕食が食べられなくなるので、お団子を買って、渡月橋から川を眺めながら食べることにした。<br />
　<br />
　<br />
<br />
　　　　　　２7<br />
<br />
<br />
　究極の選択だった。<br />
　沖田総司。<br />
　舞妓。<br />
　花魁。<br />
　旅行３日目の最終日、わたしたちは祇園へ行った。<br />
　東京で計画を立てていたとき、ガイドブックで『京都で舞妓体験』を見つけた。詳しく読むと、『花魁コース』もあると載っている。バンビさんに話したところ、「やるやるー！」と言ったので、予約を入れてたのだ。もちろん、バンビさんの分だけ。わたしは見学してようと思っていた。<br />
　受付でバンビさんはそのことを知ると「なんで？」とわたしを見た。「え？・・・わたしはいいです」とさも聞かれたのが意外みたいな反応で終わるはずだった。記事には「予約要」と書いてあったからだ。<br />
　「予約入れてないとダメなの？　東京からはるばるこれが楽しみでやってきたのに・・・どうにかならない？」<br />
　バンビさんは受付の人に食い下がった。<br />
　「・・・ちょっと待っててください。聞いてきます」<br />
　女性は圧に押されるように奥へ消えた。<br />
　しばらくすると戻ってきて、「いいそうです。では、お連れの方はどのコースにしますか？」と言って、わたしを見た。<br />
　ガーン！　祇園精舎の鐘の声　諸行無常の響きあり。<br />
　「じゃ、これにすれば？」<br />
　バンビさんはパンフレットの『カップルコース』を指差した。説明写真を見ると、花魁の隣で男子が刀を持って新撰組みたいな袴を着てこれから死を賭してどっかに討ち入りに行くような決死の表情でポーズをとっている。<br />
　「やです」とわたしは即答した。<br />
　なんでわたしが男に変身しなくちゃならないの？　レズビアンの男役じゃないんだから。<br />
　「そう・・・」バンビさんは残念そうな顔をした。「これで『京都の町を散策プラン』をオプションで追加したら、面白くなりそうなのに」<br />
　やです。なんでその上、見世物にならなきゃいけないんですか。<br />
　「じゃ、わたしと同じ、花魁にする？」<br />
　それもいやです。来る前にさんざ「花魁の哀しい一生」みたいな映画や文献を目にしてきたので、花魁のコスプレをして浮かれるのにはなんだか抵抗があります。彼女たちはきっと好きでからだを売ってたのではありません。でも、そんなことを言った日には思いきり水を差すので、<br />
　「じゃ、舞妓にします」としぶしぶ言った。<br />
　本当はすこしだけ、やりたかったのだ。<br />
　わたしとバンビさんはロッカーがある更衣室で赤い肌着に着替えて、ヘアメイクルームに行った。コースが違うので、席がだいぶ離れている。花魁コーナーにはバンビさん１人、舞妓コーナーにはわたしと同年齢ぐらいの２人組の女の子たちがいた。彼女たちはすでに舞妓っぽい顔になっている。２人とも同じ顔なので、フォーマットが決まっていて、ただここに座って為されるがままにしていればいいのだろう。<br />
　髪をネットで束ねられ、油みたいなものが首の周りや首や顔に伸ばされ、その上を板刷毛で白粉がべったり塗られていく。<br />
　バンビさんはあれこれと好きなものを選んでいるようだった。声が聞こえてくる。いろいろ質問もしている。店の人にとっては面倒臭いタイプかな。でも、愉しそうな笑い声も聞こえる。<br />
　隣にいた女の子たちはメイクとヘアセットを終えて、部屋を出ていった。手が空いたヘア担当のスタッフがやってきて、わたしの頭にカツラを被せる。わたしはショートヘアなので、自髪は使わないようだ。ほつれ毛の白塗りのオバケみたいだった自分が、カツラを付けたことで、だんだん舞妓っぽくなってきた。見るも鮮やかな紅が唇に小さく引かれ、メイクは完了した。<br />
　バンビさんを横目で見ると、髪をゴージャスに盛っていた。カツラは使わないみたいだ。ヘア担当とメイク担当が２人がかりでテキパキと顔や髪を飾り立てている。<br />
　わたしはカツラもきれいに付け終えて、席を立った。衣裳部屋へ行く前にバンビさんのところに立ち寄った。<br />
　「あら、キレイでありんすなぁ。どこぞのベッピンさんかと思ったでやんす」<br />
　バンビさんは鏡に映りこんだわたしを見て言った。「顔に起伏がないから、白塗りが良く似合いまんなぁ。やっとその顔の落ち着き場所を見つけたでありんすなぁ」<br />
　褒めてるんだか、貶してるんだか、よくわからない。花魁のキャラが乗っかり、いよいよ調子づいている。<br />
　バンビさんは花魁というより、アバズレのキャバ嬢みたいになっていた。わたしがイメージしていた花魁とは違う。付け睫毛、それに蝶みたいな羽睫毛？　顔や髪もシールやヘアカラーでキラキラしている。安っぽくて、品がない。やり過ぎです。<br />
　「じゃ、先に着物を選びに行ってきます」<br />
　わたしは言って、部屋をあとにした。<br />
　衣裳部屋に着くと、さっきの女の子たちがすっかり舞妓さんになって、髪飾りや小物を楽しそうに選んでいた。<br />
　わたしはスタッフと相談し、黄色に花の図柄の着物を選んだ。帯は亀甲模様の金色。背が高くすらりとして品がある顔立ちだから、青や赤より、大人っぽい黄色に挑戦しても映えると思いますよと勧められ、すっかりその気になったのだ。いつも貶されてばかりいるので、誉め言葉にはからきし弱い。着付けをしてもらって、髪飾りもセットして、舞妓に変身完了です。<br />
　おたのもうします。<br />
　そのまま撮影スタジオに入り、いろんなシチュエーションやポーズで写真を撮った。終わると、控室でバンビさんの撮影が終わるのを待った。衣裳部屋から撮影スタジオまで、舞妓コースとは場所が違うようだ。<br />
　しばらくすると、スタッフが来て、バンビさんがいるスタジオに案内された。中に入ると、華やかな極彩色のすこしおどろおどろしいセットの中で、バンビ花魁が肩や太腿を露わに露出して、キセルを口にくわえていた。<br />
　「待ってたでありんす」<br />
　豪華な色打掛を孔雀の羽根のように扇形に広がらせている。熟れて爛れたフルーツのように横になっている。俗っぽさの中にも、妙な凄味があるのはさすがバンビさんだ。<br />
　わたしもそのセットの中に入って何枚か写真を撮った。・・・でも、これってどういうシチュエーション？　舞妓がこんな場所に来て、花魁と絡むことはないでしょうに。でもまぁ、いいか。ファンタジーの世界だし。もともと絵空事なんだから。<br />
　「どうする？　街へ繰り出す？」<br />
　バンビ花魁は舞妓に言った。<br />
　「・・・やめましょう。この組み合わせ、おかしいどす」<br />
　舞妓は冷静に、スタッフの意見も代表して言った。<br />
　「だから、沖田総司にすればよかったのよ」<br />
　「・・・すみません」<br />
　「じゃ、やめときますか」<br />
　バンビ花魁は珍しくあっさり引き下がった。「じゃ、加奈子だけでも行ってらっしゃい。京都の皆さんにその可憐な舞妓姿をお披露目してらっしゃい」<br />
　「・・・いいです。写真を撮ってもらっただけでじゅうぶんです」<br />
　わたしは畳に三つ指を着いて、丁重に辞退した。<br />
　堪忍どすえ、１人で行くのはいやどす。おおきに。<br />
　「そう・・・じゃ、あと３０分ぐらい、これを着たままここにいていい？　延長料金が必要なら払いますので」<br />
　バンビさんはスタッフに聞いた。<br />
　「いいですよ、次の予約が一時間後なので」<br />
　「ほかのスタジオも、もう一度、覗かせてもらってもいいですか？」<br />
　「どうぞ。でも、カメラ撮影は禁止になっています」<br />
　スタッフが退室した後、花魁と舞妓のミーティングが始まった。<br />
　「どう？　率直に言って」<br />
　バンビさんが自身を上から下まで見て、聞いてきた。<br />
　「ちょっと俗っぽいかなと思いますけど、これもアリなのかなとも思います」<br />
　「よくわからないよね」<br />
　バンビさんは立ち上がって、鏡に自分を映して見た。色っぽくシナを作ってみたり、後ろを向いて振り返ってみたり・・・<br />
　「着物が思ってたより重く、動きにくいのだけはわかった。さっき着付けの人に聞いたけど、本物もこんなものだって。色打掛を重ね着することもあって、そしたらもっと重いって。裾もおそろしく長いし」<br />
　「激しい動きは無理ですよね」<br />
　「うん、絶対に無理」<br />
　「ショーでよく目にするのは『花魁道中』ですよね」<br />
　「高下駄を履いて、そろーりそろーりと歩くやつね。・・・でもあれ、誰がやっても同じように見える。つまらないわ」<br />
　「じゃ、やはり着物を軽量化しないとダメですね。それで尚且つ、下品にならないようにしないと・・・本物っぽさが出せるかなぁ」<br />
　「でも、雰囲気を味わえただけでもよかったわ、ここに来て。・・・どう、似合う？」<br />
　「・・・いい感じです。雰囲気も出てます」<br />
　「小物を使うのもいいかもしれないわね」<br />
　バンビさんはスタジオ内にある赤い番傘や大きな扇子やお面などを見回しながら言った。「簪を外したら、髪がほどけて、何かに変身するとか」<br />
　「歌舞伎を参考にしてもいいかもしれませんね」<br />
　「うん、見えを切るようなポーズとか、ケレンとか・・・でも、テーマは決めといたほうがよさそう。やっぱ、妖艶な世界とかになるのかな？」<br />
　「そのあたりが王道でしょうね」<br />
<br />
<br />
　　<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
    <link>https://chao213.blog.shinobi.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90/%EF%BC%A8%EF%BC%B02000%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%92%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%93%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%94</link>
    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 23:20:49 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）１８　～　２１</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
<br />
　　　　　１８<br />
<br />
<br />
　立川駅１番線ホーム中央の階段下でゆかりと待ち合わせている。<br />
　こっちに来るのは２か月ぶりだ。八王子のアパートを出て以来だ。<br />
　ゆかりはすでに来て、待っていた。ＭＡＸみたいな恰好をしている。大人っぽくなったなぁと思う。まわりの変化の速さについてゆけない。<br />
　そのまま、ホームに停車していた五日市線直通の電車に乗った。<br />
　「加奈子、元気にしてたー？」<br />
　ゆかりは抱き着くように近寄ってきた。言葉と体温に違いがないのがゆかりの愛すべきところだ。<br />
　電車は空いていた。昔のように端っこの席に座った。<br />
　「・・・ゴメンね、ホント、追い出しちゃったみたいで」<br />
　もういいよって言ってるのに、また謝ってきた。ずっと気にしてるんだろう。<br />
　「いいのいいの、遅かれ早かれ今かれよ」<br />
　「・・・なに、それ？　新しいカレー？」<br />
　「ううん」わたしは首を振った。やっぱ、わからなかったか。「遅かれ早かれこうなってたってこと。最後の『今かれ』はわたしがいま咄嗟に思いついたオチ。・・・それでいまは彼氏がいるってこと」<br />
　「・・・なるへそ」<br />
　「ゆかりは女と暮らして幸せになれるようなタイプじゃない。男の人を必要としてるんだと思う。昔からそうだったもん」<br />
　ゆかりに付き合わされて、よく花火大会や他校の文化祭に行った。そこにはいつも男たちがいた。甘えるのが上手だなぁっていつも見ていた。男の子たちの中にすーっと入っていく。門限１１時に遅れないように駅から長い道のりをよく走ったっけ。いま、その駅に向かっている。<br />
　「それでどうなの、うまくいってる？」<br />
　いまは完全に一緒に暮らしてるらしい。電話で言ってた。<br />
　「うん。家賃も半分出してくれてる」<br />
　「良かった。心配してたんだ」<br />
　「テレビや冷蔵庫もそのうち半分切って返すから」<br />
　「いいのいいの、必要ないから」<br />
　「加奈子はどーなってるの？　ちょっとわたし、驚いてるけど」<br />
　「何を？」<br />
　「だって、メイクしてるじゃん」<br />
　「ああ、これ」わたしは笑った。「でも、ベースだけだよ」<br />
　「彼・・・できたの？」<br />
　化粧すると、男と直結。ゆかりらしい。<br />
　「・・・できないよ。お姉さんと汚れなき２人暮らし」<br />
　「ニューハーフさんとの生活ってどんな感じなの？　ヤバくないの？」<br />
　「根は優しい魔女のところで働いてる住込みの家政婦って感じ」<br />
　「夜の世界に引き摺りこまれたりしないの？」<br />
　「・・・ないよ。だってわたし、女だもん」<br />
　「ドラマで見るような危ない人たちとつながってるとか？」<br />
　「ないない、ないと思う。心配してくれてありがとう」<br />
　「ふーん・・・でも、ビックリ。加奈子がそんな生活をしてるなんて」<br />
　地味だったものね。自分でもビックリしてます。<br />
　「今度、タカシと遊びに行ってもいい？」<br />
　「・・・いまはまだダメなの。わたし一人でも迷惑をかけてる状態だから」<br />
　「バイトも続けてるの？」<br />
　「うん、そこは継続」<br />
　近況報告をしあってるうちに電車は『あきるの駅』に着いた。『小百合園』はここから２０分ほど歩いた山の中腹にある。<br />
　「どうする、歩いてく？」わたしは聞いた。<br />
　「かったるいから、リッチにバスで行こうよ。・・・ちょうど来てるし」<br />
　バスターミナルに小百合園方面行きのバスが停まっていた。わたしたちは急いだ。<br />
　居たころは節約してよく歩いた。本数もすくなかったし。<br />
　バスには卒園生らしき人たちが何人か乗っていた。知っている上級生の顔もある。目が合ったので、軽く会釈をした。向こうも会釈を返す。卒園するとみんな急に大人びる。団体生活から一人の生活へ急に背中を押され、大きな空を渡っていかなければならない緊張感からだろう。<br />
　『小百合園』へ行くのは卒園後はじめてだ。帰りたいような、帰りたくないような・・・自分の気持ちがよくわからない。でも、今日は行くという選択肢しかない。サユリ園長先生の誕生日パーティーだからだ。今年で７５歳になるらしい。<br />
　職員さんにはみんなそれぞれ癖があったが、園長先生はいつも泰然自若としていた。見てるものが違うんだなと子供心ながらにいつも思っていた。川の水面の揺らぎやざわめきや煌めきに目を配りながら、心はその下の深いところを見ている。大きな流れを見ている。<br />
　園長先生はいつも「書きなさい」と言った。話も聞いてくれたけど、聞き終わった後、いま先生に言ったことを原稿用紙に清書して持ってらっしゃいと言った。作文が嫌いで面倒臭がる子も多かったけど、辛抱強く相手をした。行数が増えていくと先生は喜んだ。でも、点数をつけたり、批評はしない。ただ、問題を掘り下げさせた。例えば、授業参観で親が来なくて「寂しかった」と書くと、「どうして君の心はそれを寂しいと感じたのかな？」「寂しいというのはどういう感情なんだろう？」「その寂しさが埋められるとして、埋めるにはどうしたらいいんだろう？」・・・もちろん、答えをすぐに書けるものではない。でも、それでも一生懸命に考えて原稿用紙のマス目を埋めていると、すこしずつだけど、漠然としていたものの姿が見えてくるようになるのだ。自分で自分の傷口を広げてるようで痛みは増すけど、自分を嫌な気持ちにさせているものの正体もじわじわと見えてくる。正体がわかれば、あとはそれにどう対処するかだけだ。とても勝てない強すぎると思ったら、一旦退却するか休戦すればいい。無理に戦う必要はない。すこしでも勝機があると思えたなら、作戦を考えて、失地回復に挑む。要は自分を楽にする戦いなのだ、自分を苦しめてるように見えるけれど。<br />
　先生はそれを『バクゼンオバケ』とか『ヤミクモ』と呼んでいた。オバケやクモの化けの皮を剥がすのよ。正体がわかれば、怖くはあるけど、不安はなくなる。姿が見えるものは克服できる。姿が見えないから不安で圧し潰されてしまうんです。感情に流されてはダメです。感情について勉強しなさい。でないと、あなたの人生は水面に浮かぶ木の葉みたいに、感情という濁流に翻弄される儚いものになる。<br />
　先生が言いたかったのは「考えなさい」ということだ。考えて、物事をクリアにするのだ。自分がその物事に対してどう思っているか、どう考えているか、はっきりすれば、解決法は自ずと生まれる。たとえ解決できないという解決法であっても。<br />
　バスは市街を抜けて、起伏のある山間部に入っていた。<br />
　窓の外を１７年間見続けてきた景色が通り過ぎていく。特別な感情は湧き起こらない。<br />
　「ヤバい、もうアパートに帰りたくなってきた」<br />
　バスに乗って口数が減ったゆかりが、見てた雑誌を閉じながら言った。<br />
　ゆかりにとっては監獄みたいなものだったものね。いつも早く出所したいと言ってた。<br />
　施設への思いは人それぞれだ。出会う職員さんや同時期に一緒に暮らす園生によっても違ってくる。中３まで性格に難がある上級生がいて、毎日が憂鬱だった。わたしは園長先生が好きだった。<br />
　園長先生は「考え続けなさい」と言った。思考は自分の地下へ降りていく階段で、一段降りると、また次の一段がある。楽しいわよ。地下深く降りていくと見たこともない景色が広がっていて、わくわくする。そして物事を見る目が深く養われてゆくと、この世界には本当にたくさんの素晴らしいものがあることがわかる。素敵じゃない？　<br />
　わたしは小さなときから絵を描くのが好きだった。でも、先生はわたしに「文を書きなさい」と言った。あなたは文を書くことが先。絵は後からでも遅くない。<br />
　バスが『小百合園』前の停留場に着いた。<br />
　「ゆかりは何を書いてきたの？」<br />
　園への道を歩きながら、わたしは聞いた。<br />
　園長先生は誕生日プレゼントを受け取らない。その代わり『作文』を受け取るのだ。原稿用紙２枚以上が条件だ。卒園生は白紙で出しても、絵を描いても、よいことになっている。名前は書かなくていい。その後、発表されたり、表彰されて壁に貼られたりもない。<br />
　「・・・タカシと誓った愛の十か条」ゆかりは笑いながら答えた。<br />
　「なに、それ。ちょっと見せてよ」<br />
　「浮気は絶対にしないとか、そういうこと。見せない。・・・加奈子は？」<br />
　「わたしは『オズの魔法使い』で、なぜ西の魔女が傍若無人となるのか、その深層心理を分析したものを絵にして描いてきた」<br />
　「・・・さすが芸術家は違うね。なに言ってるのかさっぱりわかりません」<br />
　ゆかりは門のところで迎えてくれてる職員さんに「おひさでーす」と手を振った。<br />
　講堂へ行くと、誕生日会の準備が在園生によって整えられていた。<br />
　先生は今年はスピーチで何を話してくれるのだろう。昨年のスピーチで前振りしてたノストラダムスの大予言についてかな？<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　　１９<br />
<br />
<br />
　晁生はホテルの近くのカフェで客を待っていた。<br />
　終わったら、ここに来ることになっている。心配だから待っててくれないか。その後、一緒に食事をしよう。<br />
　晁生は料金を計算し、このぐらいになるがＯＫか？　と聞いた。食事代もあなた持ちになる。客はＯＫだ、楽しい食事になることを祈ってると応えた。<br />
　５人に１人ぐらい「日本の男の子としたい」と相談してくる客がいる。幸いこの街にはそういうサービスを提供する店があるので、事前に外国人ＯＫと了解が取れたところ何軒かに連れていく。今日の客は２軒目で、一重で凛々しい顔立ちの背が高いボーイを指名した。話したところ、性格も良さそうで、店のマネージャーも慣れてる子だからだいじょうぶと言った。ショート２時間だから、あと３０分もすれば、ホテルから出てくるはずだ。<br />
　晁生の仕事は『通訳案内業』だが、通訳にさほど骨が折れるわけでもない。話す内容は簡単なものだし、多くの店は狭く、人声や音響でうるさく、客もだんだん大声を出して話す気がなくなるからだ。<br />
　晁生が案内してるのは新宿２丁目だ。ほかの街でも行きたい店があると聞けば、事前に調べて、連れていく。新宿西口の高層ホテルでも、外国人宿泊客のために『ナイトツアー』を催行している。バスに乗り、歌舞伎町のニューハーフショーパブやホストクラブに連れていくものだ。しかし、中には通り一遍の観光ツアーでは飽き足らない客もいる。もっとディープな体験を求める人たちだ。<br />
　晁生が案内してるのはその種の客だ。１人や仲間で来日している、アカデミック系やエンタメ関係の人たちが多い。開業して３年、いまでは紹介も増えた。ニューヨークやサンフランシスコなどのゲイショップにも案内パンフを置かせてもらっている。<br />
　『通訳案内業』を生業としている人はかなりいるが、そのほとんどはデイタイムの観光だ。夜の観光となると、案内する場所が主に歓楽街となり、酒は入るし、トラブルもあるしで、敬遠する人が多い。それがゲイやレズビアンの街となると更に激減する・・・というか、いない。需要はそこそこあるのに供給がまるでない。つまり、そこに商機があるのだ。<br />
　外国人に直に依頼される場合もあれば、日本人関係者を介しての場合もある。案内するところは客の要望に応えてさまざまだ。ふんどしや侍などの和もの系、ニューハーフショーパブなどのトランスジェンダー系、ＳＭ系、性的サービス系・・・案内時間が長くなればなるほど料金は加算される。もちろん、店の飲食代や交通費は客持ちだ。自分もそれなりに楽しめて、通訳もさほど要らず、実入りの良い仕事で気にいっている。月に平均３０万はいく。時間もほとんどの客は日付が変わる前には投宿しているホテルに戻るので、しんどくはなく、自分の店の出勤にも差し支えない。注意してるのはトラブルを避けること。でも、客の多くは有産階級で、社会的地位も高い人たちなので心配はない。<br />
　客がカフェの入口に姿を現わした。ボーイはいない。きっと店に帰ったのだろう。<br />
　どうでした？　と席に座った客に聞く。ドイツ系アメリカ人で、４０代の経営者だ。顔を紅潮させて目をパチクリした。笑顔だったので、良かったのだろう。良かった。<br />
　彼は家族と一緒に日本に来ていた。夫は仕事で、妻やこどもは観光を楽しむというパターンだ。彼は匂いを気にしていた。焼肉を食べに行きますかと提案した。美味しいですよ、男の子の甘い香りも消えてしまうのが残念ですが。<br />
　焼肉屋で彼の話をいろいろ聞く。ホテルの部屋に戻って、家族に話せる内容じゃない。これも仕事だ。異国でエキサイティングな体験をしたら、誰だって人に話したいだろう。同好の士だから、心も許せるだろう。それにゲイは自分が知ってる限り、万国共通おしゃべりだ。恥じらいのない人が多い。たまに口説かれることもある。タイプだったら考える。もちろん、そこにビジネスはーー加算料金は発生しない。<br />
　日本のゲイ事情などについても聞かれれば話す。情報交換もする。ゲイの世界親善交流にも寄与してるのではないかと思う。話が大きくなった。<br />
　客から代金を受け取り、タクシーに乗せて運転手に行き先を伝えて、別れた。<br />
<br />
　『２０２０』に行くと、終電の時間が近づいてることもあり、客が１人、２人と帰っていくところだった。早番のハセとアンニョンもここで帰る。<br />
　日付が変わるここからは晁生とジョージの２人でやるか、どちらか片方の場合もある。客がいなくなれば、早仕舞いするときもある。気楽にやっている。<br />
　オープン当初は若い子の溜まり場みたいだった店も、最近はすこし客層が変わってきた。新進の文化人や起業家を呼んでセミナーを開いたり、この街ゆかりの作家やアーティストたちの作品を店内にディスプレイし、展示販売しているからだろう。この街のブランドを創るのも面白いといま話し合っている。散らばっている個の才能を集めて、しっかりとした流通販路をつくる。作品を街のショップやコンビニで宣伝して売る。いずれはネットも活用して全国区に広げてゆく。ビジネスとして成功させることが夢だ。<br />
　来週はカウンターの後ろにスクリーンを設置し、キースへリングのドキュメンタリーフィルムを毎日上映することになっている。若い子たちに多くの刺激と興奮を与えてくれるだろう。<br />
　「この子の作品、いいよね」<br />
　ジョージがシルバーの指環を手に取って言った。<br />
　よくあるワイルド系ではなく、シェルのような曲線をもったエレガントなデザインだ。小さなカラーストーンが意表を突いたところにあしらわれている。<br />
　「隠しイニシャルも入れられるんだね。アメリカでエンゲージでも流行るかも。一個一個デザインが微妙に違うのも自分感があっていい」<br />
　ジョージの父はアメリカで多角的に事業を展開している。晁生が働いてたのは旗艦の日本料理店だったが、よくあるアメリカナイズされたものではなく、本格的な和食の店だった。下手な考え休むに似たり、本物は絶対に受け入れられるという信条らしい。ほかにも、雑貨や生活便利品を扱う店、アパレル系・・・いろんな事業を意欲的に営んでいる。長男がゲイなので、いまはその方向にも食指を動かしているみたいだ。<br />
　「あとは量産がきくかどうかだね。それにブレスレットとかほかのアクセサリーのラインナップも充実させていきたいね・・・この子、これでいま生活できてるのかな？」<br />
　「無理でしょう、たぶん」晁生はグラスや皿を洗いながら答えた。<br />
　ジョージは仕事の話をしていると、目尻のあたりがキリリと雄々しく上がる。いつもこの顔をしてれば、カッコいいのにと思う。<br />
　「ほらほら、起きないと終電に間に合わなくなっちゃうよ」<br />
　晁生はカウンターで突っ伏している若い子の肩を叩いた。飲み過ぎたのか、眠いのか、来たときから、この状態だ。<br />
　「・・・は～い、おいくらですか？」男の子はすこし動いた。<br />
　「３０万円です」ジョージが伝票を見ながら言う。<br />
　「・・・うそ！？」若い子が跳ね起きる。<br />
　もちろん、嘘だよ。ぼったくりバーじゃないんだから。ジョージはいつ覚えたのか、このオフザケが最近気にいっている。ラテン系の顔で言われたら、真実味があって冗談とは思えない。<br />
　「あ、間違えた・・・３千円です」<br />
　しかし、客の目を覚ますには一定の効果はあるみたいだ。男の子はバッグから財布を出し、代金を払った。そのまま立ち上がり、店の出入口に向かおうとしたが、よろめき、またカウンターに戻ってきた。<br />
　「・・・すみません、朝まで、いていいですか？」<br />
　「家はどこなの？」<br />
　「川口です。終電、間に合いそうもありません」<br />
　・・・じゃ、しょうがないか。<br />
　「じゃ、端っこに移動してくれる？　始発になったら、起こすから」<br />
　男の子は礼を言うと、よろよろとカウンターの端まで移動し、また腕を組んで突っ伏した。<br />
　「あの子、さっきまでずっと泣いてたんだよ。１年半付き合ってた彼と今日別れてきたんだって・・・電話がかかってくるかもって待ってるのかもね」<br />
　ジョージが男の子の心情を代弁するように言った。<br />
　「何歳？」<br />
　「大学１年だって」<br />
　「じゃ、１８か１９か。高校のときから付き合ってた彼氏か」<br />
　「はじめての男だって言ってたよ」<br />
　何でもしゃべるんだな。ゲイの子はホントおしゃべりだ。まぁ、人のことは言えないか。<br />
　「若いころは恋に免疫がないから、失恋は辛いよな」<br />
　「話を聞いてて、もらい泣きしそうになっちゃいました。まだ、いろいろとピュアなんだなって・・・ってことでマスター、今日は早引けさせていただきます。家に帰って、僕もシンミリ一杯やりたいんで」<br />
　ジョージ、お前はいつから演歌の歌手になった？　すごい勢いで日本ナイズされている。<br />
　「じゃ、ここでもいいじゃん。グラスに酒をついでやるよ」<br />
　「１人になりたいんです。１人になりたい夜が僕にもあるんだよ」<br />
　まだ、続けてる。<br />
　「１つになりたいんじゃないの？　また、誰かと約束してんだろ」<br />
　「ご名答！　じゃ、お疲れさまでしたーー」<br />
　ジョージは足取り軽やかに店を出て行った。あいかわらず、腰が軽いやつだ。あいつにピュアなころなんてあったのか？　ないやつもいそうだ。<br />
　奥のテーブルにいた客たちも清算して出て行った。<br />
　店内には男の子と晁生だけが残された。<br />
　ああ、無理にでもこの子を帰らせればよかったかな・・・そしたら店を早仕舞いできたなんて考えたけど、まぁ今夜はこの子に付き合ってやる運命だったのかもなと思い直した。<br />
　晁生はカウンターの中に置いてある椅子に一息つくように座った。<br />
　昔、いまとまったく逆の立場で『B-JET』にいたことがあったな・・・<br />
　亮と別れた夜で、自分も冷たいカウンターにキスするようにくたばっていた。<br />
　本当に好きだったんだなぁと思う。いまじゃ、失恋しても、あんな全身で悲しみと渡り合ったりしない。<br />
　男の子に彼から電話があればいいな。些細な行き違いならいくらだってやり直しがきくし、オレも店を閉めて帰れる。<br />
　<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　２０<br />
<br />
<br />
　「なんだかわたし、ダメな女になりそうだわ」<br />
　バンビさんが昼の食卓でため息をついた。<br />
　独り言か、わたしに話しかけてるのか、わからなかったので、次の言葉を待つ。<br />
　そのまま、ご飯を食べはじめたので、<br />
　「どうしたんですか？」と加奈子は聞いた。<br />
　「だって、あなたが全部やってくれるんだもの。ご飯の用意も、掃除も、洗濯も」<br />
　駄々をこねるように言う。「妹なのに、まるでお母さんみたい。わたし、何十年かぶりにお母さんの愛に包まれてる気分よ」<br />
　だんだん芝居調になってきた。ここからはお涙頂戴にいくか、わたしに逆ギレ芝居するかのどちらかだ。だんだんニューハーフ界の三段活用みたいなものがわかってきた。<br />
　バンビさんは手の甲でわざとらしく涙をぬぐった。スッピンなので、いくらぬぐっても問題ない。鼻を啜りあげる音。<br />
　ここで「よし、よし」となだめる演技で共演してはダメだ。逆ギレする機会を与えることになる。まだ、傍観だ。わたしは学習したのだ。<br />
　「ほらほら、お味噌汁が冷めますよ」<br />
　照れ隠しみたいな、バカな子ねってノリで、さりげなく言ってみた。<br />
　バンビさんは顔を上げて、わたしを見た。<br />
　「あしらい方が上手くなったわね」と言って、ニッと笑った。<br />
　「えへっ」とブリッコみたいに首をかしげて笑って返した。<br />
　「どうしよう？　これからマジすこしは自分でやろうかな。加奈子が来る前は一人でやってたんだし」<br />
　ここは受け流す。自問自答してるから。<br />
　「・・・でも、加奈子、料理うまくなったわね」<br />
　「ありがとうございます」<br />
　「わたし、太った？」<br />
　注意信号発令、逆ギレパターン復活。ここで、そうですね、すこしふくよかになったかな、なんて言った日には、あなたのせいよと怒鳴られるに決まってる。<br />
　「そんなことないです」わたしはバンビさんを上から下まで見て断言した。<br />
　「そう・・・まぁ運動もしてるしね。加奈子は栄養バランスいろいろ考えてくれるしね」<br />
　はい、そうしてます。炭水化物、糖質を減らした食事を心掛けています。<br />
　「どうしようかな。これから自分の部屋だけでも自分で掃除して、食事も休みの日ぐらいは自分で作ろうかな」<br />
　ここは独り言続行中。ヘタに口をはさむと面倒臭くなるので、聞き流す。バンビさんは基本的に自分で答えを出す人です。<br />
　「加奈子はどう思う？」<br />
　わぁ、フッてきた。<br />
　「気が向いたらやる、でいいんじゃないですか」<br />
　バンビさんの本心を透視して答える。<br />
　「そうね・・・そうしましょう」<br />
　バンビさんは止めていた箸をまた動かし、食事を再開した。<br />
　一件落着。内容に生産性はなかったけど。<br />
　「でも、加奈子はホント甲斐甲斐しく働くよね。痒いところにも手が届くし。いいお嫁さんになるわよ」<br />
　「ありがとうございます」<br />
　「それで、どっぷり楽な生活をしてるわたしはどんどん婚期が遅れるんだわ。お嫁に行けなくなるんだわ」<br />
　一件落着と思ってたのに、また逆ギレパターン復活。<br />
　「加奈子、わたし、お嫁に行けると思う？」<br />
　「行けますよ、綺麗ですから」<br />
　「昔、そういう芸能人いたわね。君は何もしなくていい、そばにいるだけで、美しいから。それで本当に何もしなかったら、離婚したっていう」<br />
　バンビさんはご飯をきれいに平らげて、ほうじ茶に手を伸ばした。<br />
　「ご馳走さまでした。本日も誠に良いお味でした。やっぱ朝は和食ね・・・さ、今日はどうしようかな？」<br />
　「おじさまとデートじゃなかったですか？」<br />
　「・・・そうだった、いやだ、すっかり忘れてた。何時からだっけ？」<br />
　「ええと」加奈子はホワイトボードを確認しに行った。「４時からです。銀座でショッピングして麻布で食事です」<br />
　「加奈子、そんなことまでボードに書いてるの？」<br />
　「・・・いや、詳細はわたしの頭の中の記憶です」<br />
　「ホント、何から何まで有能なマネージャーね。そしてわたしはどんどん忘れっぽくなって、バカになっていく。・・・じゃ、そろそろ支度しないと」<br />
　「帰ってくるの、遅くなりそうですか？」<br />
　「・・・そうね、誘われたら、どうしよう？　マネージャー、どうしたらいいでしょうか？」<br />
　「帰ってらっしゃい」<br />
　「わかりました！　あなたってホントわたしの貞操帯だわ。すぐヤキモチ焼くからホント可愛い。わたしを本当に愛してるのね」<br />
　「だから毎日、愛してるって言ってるでしょう」<br />
　「ああ・・・君が男だったらどんなに良かったのに。それとももしかして・・・」<br />
　今度はメロディもついて宝塚調になってきた。ベルサイユのばらですか。<br />
　「・・・もしかしなくても女ですけど、もしわたしが男だったら、バンビさんに結婚を申しこんでます」<br />
　「・・・やだ、はっきり言われると、相手が女でも嬉しいわね。いまちょっと、グッときちゃったわ。・・・もう一回、今度は低い声で言ってみて」<br />
　「バンビさん、結婚してください」<br />
　「ごめんなさい！　それは無理、叶わぬ恋よ。だってわたしたち、女同士ですもの」<br />
　バンビさんは舞台から消えるように踊りながら部屋を出ていった。<br />
<br />
<br />
　「バンビさん、一つお願いがあるんですけど」<br />
　ドレッサーの前でバンビさんは化粧をしている。<br />
　食事の後片付けも終わり、テーブルでほうじ茶を飲みながら、いつものように鏡に映るバンビさんを見ている。<br />
　「なあに？」<br />
　「庭に花を植えてもいいですか？」<br />
　加奈子は窓のほうに視線を移した。<br />
　「・・・庭？」<br />
　「はい」<br />
　「ああ、外？」<br />
　「はい」<br />
　バンビさんは、何を急に言い出したのかみたいな顔をしている。庭と言われても、その存在すら忘れてたんだろう。<br />
　「・・・いいけど、加奈子、花が好きなの？」<br />
　「花も好きですけど、庭も好きなんです」<br />
　「そう・・・いいわよ、どうぞ」<br />
　バンビさんは化粧をする手を止めて、何か思い出したような顔をしている。また、化粧に戻りながら言った。<br />
　「・・・最初ね、ここに来たとき、犬を飼おうと思ったの。それで１階で広い庭があるここに決めたの。ドッグランになるし。でも、いろいろ考えてるうちにやめちゃった。ママのところには犬が３匹もいるのよ。みんな、ゲイボーイの飼育放棄。隣人から文句がきたり、男と住むようになったからとか、面倒を見切れないとか・・・もうこれ以上、ママのところの犬を増やす訳にもいかないからね。それに婚期が遅れるともいうし」<br />
　「犬が好きなんですか？」<br />
　「フツーに好きって感じ？　だって、１人だとたまにすごく寂しいときがあるじゃない」<br />
　「犬は可愛いですよね」<br />
　「うん、帰ってくれば、ものすごく喜んでくれるしね」<br />
　「もうこの先、犬を飼う予定はないんですか？」<br />
　「だってほら、いまはもう大きな犬がいるし」と言って、鏡に映りこむわたしを見たので、<br />
　「ワン」とサービスで応えた。<br />
　「・・・だからいいわよ、好きにして。わたしも花は好きだから大歓迎」<br />
　「じゃ、ぼちぼちゆっくりやらせていただきます」<br />
　「かかったお金も申請してちょうだい。必要経費で落とすから」<br />
　「はい、ありがとうございます」<br />
　バンビさんが自室に引っこんだので、加奈子は立ち上がって、庭を見に行った。<br />
　ＬＤＫの掃き出し窓を開けると、２畳ぐらいのウッドデッキがある。ここもすこし苔むしてるから、水洗いしないと。その前方に横長の６畳ぐらいの庭が広がっている。周囲は木立が植栽され、通路や隣家からの目隠しとなっている。右角に大きなモミジの木がある。うっすらと紅葉している。左角にも５メートルはある、大きな木があるが、名前はわからない。常緑樹みたいだ。ウッドデッキのステップから庭に下りてみる。<br />
　下りるのはこれで３度目だ。サンダルも買って置いてある。庭のコンディションはだいたいつかめている。前の住人が植えたのか、ところどころに芝生の跡がある。花壇を造ったような形跡はないので、芝を敷き詰めたアメリカンな庭だったのだろう。草がそれほど生い茂ってないのは、芝が雑草の種をブロックしていたからだ。ドクダミやカタバミの姿が見当たらないのでホッとした。それらが生えてると、除草作業が大変だ。<br />
　陽当たりはさほど悪くないように見える。季節が一周しないとよくわからない。庭は南向きだが、周囲をそこそこ高い建造物や樹木が覆っているため、午前十時ぐらいにならないと陽は射しこまないかもしれない。東も同様だ。<br />
　ウッドデッキに戻って、縁に座って、どんなふうにしようかなと庭を見ていたら、バンビさんが窓を開けて、やってきた。<br />
　「・・・ここに出てきたの、久しぶりだわ」<br />
　ウッドデッキの端に簡易物干しが置いてある。たまにジーンズか何か干していたのかもしれない。いずれ、洗濯物も干せるようにしてもいいだろう。きっとお日様の香りがして、気持ちいいに違いない。<br />
　「何か好きな花はありますか？」バンビさんに聞いた。<br />
　「・・・あんまり知らないけど、月並みに薔薇かしら」<br />
　「薔薇かぁ・・・」<br />
　「なに、薔薇はダメなの？」<br />
　「薔薇は分類上、樹木なんです。樹木を植えるとあとあと大変なので、植えないつもりです」<br />
　「大きくなるから？」<br />
　「はい、ずっと面倒を見られるかわからないし・・・それに薔薇ってお世話が大変なんですよ。虫はつくし、病気にかかりやすいし、肥料は食うし、トゲはあるし。薔薇の手入れだけで一日が終わっちゃいます。ちょっと無理です」<br />
　「なんだかそれ、わたしみたいね。この家に薔薇はわたし１人でいいってことね・・・でも、ずいぶん詳しいね。園芸部でも入ってたの？」<br />
　「園長先生の庭をずっと手伝ってたんです」<br />
　「施設の？」<br />
　「はい。こどものときからずっと」<br />
　「だから、庭が好きなんだ？」<br />
　「はい」<br />
　先生の庭はいまごろ、どうなってるだろう？　この前、誕生日パーティーで行ったとき、見に行きたかったけど、時間がなかった。先生の家は施設のいちばん端にあって遠い。後輩がちゃんと手伝ってると思うけど、すこし気になる。いまはもう秋だから、来年の早春に行ってみよう。<br />
　「加奈子はどんな花が好きなの？」<br />
　「花はみんな好きですけど、しいてあげるなら、野草みたいな花かな」<br />
　「野草？・・・ヒメジョオンとか？」<br />
　「・・・嫌いじゃないですけど、あれは本当に野草です。もうちょっと見た目が華やかで、観賞価値があるものかな・・・ちょっとやらしい言い方ですけど」<br />
　「例えば？」<br />
　「有名なところだと、コスモスとかスミレとか」<br />
　「ああ・・・よくある普通な感じ？」<br />
　「はい、よくある感じです」<br />
　「じゃ、楽しみにしてる。いつごろ、お披露目予定？」<br />
　「本格的にやるのは来年の早春です、霜が降りなくなったころ。年内は草取りと庭のデザインを考えます。すこしは何か植えるかもしれないけど」<br />
　「・・・そうなの。ああ、もう寒くなるからか」<br />
　「はい。冬は植物も休眠期です」<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　　２１<br />
<br />
<br />
　近所を歩きながら庭を覗くと、このあたりは冬でも暖かいんだなと思う。<br />
　ランタナやジニアがまだ咲いている。気温もあきる野に比べて、かなり高い気がする。そういえば、都市のヒートアイランド現象という問題を聞いたことがある。<br />
　花屋の軒先にはパンジーやシクラメンが売られている。シクラメンを見ると師走だなぁと思う。ポインセチアを見るとクリスマスだなぁと思う。<br />
　今日は午後の予定がなくなったので、加奈子は早くマンションに帰ってきた。バンビさんは行き違いでダンスと歌のレッスンに行っているはずだ。<br />
　軽く食事をとり後片付けをして、作業着に着替えて、庭に出て、草取りを始めた。<br />
　地面にしゃがみこんで根気よく雑草を駆除していく。むしるのではなく、抜けるものは抜いて、強く地面にへばりついてるものは剪定ハサミで根の付け根を切っていく。付け根を切って完全にやっつけないと、生き残った根からまた新しい芽が生えてくる。<br />
　雑草は大きく分けて、春と夏に生えてくる。ポイントは花が咲き種ができる前に退治することだ。しかし、いま駆除している夏草はもう種ができ飛んでしまった後だった。来年の夏にはまたわんさかと草が生えてくることだろう。<br />
　園長先生の庭でも草取りは恒例行事だった。特に春と夏の草取りが大変だった。春は草じゃないものを間違えて抜かないように注意しなくてはならない。夏は暑いし、蚊やハチがいて、うっとおしい。でも、楽しみもあった。しゃがむと目線が下がるので、立っていたときには見えないミニマムな庭の世界が見えるのだ。それは春を告げる草花の芽であったり、落ち葉の合間から顔を覗かせている小さなスミレの花だったりした。夏は蝉の幼虫の抜け殻や野イチゴの実。トカゲやカエルもいて大騒ぎだった。庭には虫もたくさんいた。ハチ、蝶、トンボ、蝉、バッタ、秋の虫・・・草取りをしている上を紋白蝶やアゲハがひらひらと舞っては飛んでいく。目の前の花にとまる。風に抗いながら蜜を吸う。飽いたらまた次の花へ。ハチがいたら気をつけなければならない。特に夏は巣を作って子育てをしてるので攻撃的だ。ブッシュや垣根のそばで作業するときは要注意だ。草を抜き取った跡には鳥もやってくる。土がほじられたときに出てくるミミズや小さな虫を狙っているのだ。木の上から見ているのか、引っくり返された土の匂いがして飛んでくるのか・・・鳥が近くにいる生活って楽しい。<br />
　幸い、いま作業しているこの庭には、蟻や動きの鈍いコオロギぐらいしか見当たらない。虫たちも冬支度の最中だろう。<br />
　芝はこのまま残そうと決めた。残っている芝生を生かした散歩道を造ろう。<br />
　冬の太陽はぽかぽかと温かい。西日がかなり射しこむが、あとすこしで木立に遮られるだろう。土に触れるのは久しぶりだった。大地にしっかり足を着けて立って生きているようで、吸う空気が違うような気がする。草を抜いた後の微生物が蠢くようなこの匂いも懐かしい。<br />
　加奈子は駆除した草を集めて、庭の片隅にまとめた。来春までにはカサカサになって処分しやすくなるだろう。ウッドデッキに隠れて見えなかったが、建物の外壁に水道栓が設置されているのも発見した。蜘蛛の巣が張った蛇口を捻ってみる。水は出る。手袋を外し、さっと手を洗う。すこし生温かい。ウッドデッキの縁に座り、雑草を駆除した庭を眺めた。<br />
<br />
　部屋に戻ると、バンビさんがすでに帰ってきていて、鏡の前で踊っていた。<br />
　「いつ、帰ってらしたんですか？」<br />
　「さっき・・・２０分ぐらい前かな」<br />
　「すみません、気づきませんでした」<br />
　「いいのよ・・・終わったの？」<br />
　バンビさんは鏡から目を逸らさず、真剣な顔で踊りをチェックしている。今日のレッスンで習ってきたことの復習だろうか。<br />
　「はい、だいたい」<br />
　わたしが庭にいたことは知っていたようだ。<br />
　「お疲れさま」<br />
　加奈子は台所へ行き、お茶の支度をした。一応、お茶菓子も用意して、テーブルに並べた。踊っているバンビさんを見ながら、終わるのを待つ。<br />
　「加奈子、いつもあんなブツブツ言いながら、草むしりしてるの？」<br />
　バンビさんがプ―アール茶を飲みながら、思い出したように笑った。お菓子にはやっぱり手をつけない。現在、ダイエット中だ。<br />
　「え・・・聞こえてました？」<br />
　「何をしゃべってるのかはわからなかったけど、帰ってきて外を見たら、地べたに這い蹲ってるし、わたし、ノイローゼになった犬が庭にいるのかと思ったわよ」<br />
　「・・・いろいろです。独り言です」<br />
　わたしは独り言を言う癖がある。自分では小さな声でしゃべってるつもりだが、意外に大きな声を出してるときもあるらしい。部屋に入ってきた人に誰かと話してるのかと思ったと気味悪がれたことも多い。<br />
　「例えば？」<br />
　そう聞かれても、すぐには思い出せない。考えてることと口に出してることがごっちゃになってて境界線がはっきりしない。<br />
　「草さん、抜いてゴメンね。でも、来年にはあなたのこどもがわんさか生まれてくるからいいわよね・・・といった感じです」<br />
　「ああ、不平不満みたいなものじゃないんだ。それって・・・罪悪感？」<br />
　「それほど大袈裟なものじゃなく、単なる気休めです」<br />
　あとは、ここに来年なにを植えるつもりですか？　そうですねー、ジギタリスかな。瑠璃玉アザミもいいですねーといった具合。自問自答形式が多い。単調な作業を楽しく効率よく進める方法だ。気を逸らしながらやってると仕事はオートになるし、時間が早く過ぎていく。<br />
　「優しい性格だから、いちいち謝るのかもね。それとも、病む一歩手前か」<br />
　「優しくはないです。抜くときは情け容赦なく抜きますもん。・・・ただまぁ、言い訳は探してますね」<br />
　「でもまぁ、さっぱりした。すがすがしいわ」<br />
　バンビさんはカップを手に窓から庭を見ながら言った。「クリスマスツリーでも飾ろうかな、ライトアップして。いいかも」<br />
　「バンビさん、そういうの好きなんですか？」<br />
　「・・・そうでもない。思いつきで言ってみただけ・・・加奈子は？」<br />
　「ツリーはなくてもいいけれど、クリスマスはいろんなものがもらえて好きでした」<br />
　「・・・加奈子の施設って、キリスト教じゃなかったよね？」<br />
　「はい、違います。でも、クリスマスになるといろんな人からーー主に会社ですが、プレゼントが届くんですよ。お菓子とか玩具とかゲームとか。それが楽しみでした」<br />
　「ああ、なんとなく想像がつく。家族がいないこどもたちにサンタからプレゼントって感じよね。・・・クリスマスパーティーは？」<br />
　「それが・・・園長先生が宗教嫌いで、あ、バンビさん、どこかの宗教に属しています？」<br />
　「なんで？」<br />
　「昔、この話をペチャクチャしゃべって失敗したことがあるんです。基本、宗教への悪口なので・・・それから先に聞くようにしています」<br />
　「ないわよ。どこかのお寺にお墓はあると思うけど」<br />
　「じゃ、だいじょうぶですね。・・・クリスマスパーティーはこどもたちが楽しみにしてるのでやるんですけど、おざなりで、園長先生は参加しません。園長先生は自分で物事をよーく考えて自分で答えを出しなさいが信条の方なので、神様が代わりに何でも考えてくれて生きる道も教えてくれる宗教が嫌いなんです。ですから、当然、その行事も嫌いです」<br />
　「へぇー、慈善家には珍しいタイプの人なのね。でも、言ってることはよくわかるわ。宗教やってる人はわたしも苦手」<br />
　「バンビさんはクリスマスは？」<br />
　「わたしも同じ。この時期はプレゼントがもらえるから好き。業界では稼ぎどきです」<br />
　バンビさんは今日も同伴出勤だ。１２月に入って３度目。粉をかけてるのだそうだ。いつもより、２時間早く家を出る。晩御飯は用意しなくていい。<br />
　「わたし、イブもクリスマスも今年は仕事だわ」<br />
　バンビさんは壁に掛かったカレンダーを見ながら言った。今年の日の並びは金土だ。「加奈子、何かやりたい？」<br />
　「やらなくていいです。基本、興味ありません」<br />
　「イブの夜は彼氏と過ごしたいとかないの？」<br />
　「だって、いませんもの」<br />
　「いまから大急ぎでつくるとか？」<br />
　「だから、いらないです」<br />
　「でも、はじめて１人で迎えるクリスマスになるんじゃないの？」<br />
　「そうです。いままではずっとみんなと一緒でしたから」<br />
　「じゃ、がんばってなるべく早く帰ってくるね」<br />
　「はい、お願いします」<br />
　「何かプレゼント欲しい？」<br />
　「いらないです。いやな予感しかしません」<br />
　「聖なる日に罰当たりなことはしないわよ。何か言ってみ」<br />
　「バンビさんがちゃんと帰ってきてくれるだけで充分です。バンビさんがサンタクロースです」<br />
　「そんな歌があったわね。わたし、男じゃないけれど」<br />
　バンビさんは「わたしはね・・・」と言って、夢見る乙女のように両の掌を合わせて宙を見た。「愛が欲しいわ。宝石や洋服やお金じゃなく、愛が。本当はそれだけあれば幸せなのに、人はなぜ愚かに道を誤るのかしら？　強欲なのかしら？　神様、教えてください」<br />
　「そろそろ本当に罰が当たりますよ」<br />
　わたしは時計を見た。「そろそろ用意しないと、同伴にも遅れます」<br />
　「そうそう、加奈子は年末年始はどうするの？」<br />
　「どうもしないです。別に何の予定もありません」<br />
　「いつごろから冬休みだっけ？」<br />
　「１９日から・・・来年の６日ぐらいまでです」<br />
　カレンダーに書いておかないと。バンビさんの休みは３０日から５日までとすでに書いてある。<br />
　「友達とどっか出かけたりしないの？」<br />
　「・・・しません。どっか出かけてたほうがいいですか？」<br />
　「そんなことは一言も言ってません」<br />
　「バンビさんは年末年始どういうご予定なんですか？」<br />
　「まだ、何も決めてません」<br />
　「毎年、どう過ごしてるんですか？」<br />
　「ここ数年はここでぐたぐたしてることが多いわ。誘いがあって気持ちが乗れば出て行くこともあるけれど。でも、やっぱ面倒くさくて、テレビ観ながら、ぐたーっとしてることが多いかな」<br />
　「わたしもここにいて、だいじょうぶですか？」<br />
　「というより、家政婦に休みはありません」<br />
　「・・・ありがとうございます。一生懸命働かしていただきます」<br />
　「でも、今年は加奈子がいるから、どっか旅行でも行こうかな。・・・どっか行きたいところある？」<br />
　バンビさんと一緒なら行きたいところはいっぱいあります。ヨーロッパとか。<br />
　「・・・そんな。家でいいです」<br />
　「でも、ハワイとか、いまから予約は遅いか・・・来年は２０００年だものね。海外で新年を迎えるの、大盛り上がりみたいだし。何だっけ、それ？」<br />
　「ミレニアム？」<br />
　「そうそう、ミレニアム。じゃ、逆に国内はまだ空きがあるかもね。しっぽり温泉に入って懐石料理とかもいいかもね」<br />
　ハワイなら、温泉と懐石料理のほうがいいです。<br />
　「じゃ、どこか行きたいところがあったら考えといて」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　<br />
　<br />
<br />
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
    <link>https://chao213.blog.shinobi.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90/%EF%BC%A8%EF%BC%B02000%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%98%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%99</link>
    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 23:17:40 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">chao213.blog.shinobi.jp://entry/156</guid>
  </item>
    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）１３　～　１７</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
　　　　　１３<br />
<br />
<br />
　バンビさんは昨日から元気がない。<br />
　物憂げで、ダルそうにしている。<br />
　たまに穴ぼこに落ちると言う。時間がたてば、穴は埋まるし、些細なことで浮上することもあるから、ほっといてと言われた。何かしてもらいたいときは呼ぶから。<br />
　いまはリビングでテレビをつけて化粧をしている。<br />
　でも、今日は夕食をすこし食べた。まだ食べるかもしれないので、そのままにしてある。<br />
　わたしは自分の部屋に引っこんで、古いスクリーン誌をぱらぱら捲っている。声が聞こえるようにドアは開けてある。<br />
　自分もたまにドツボにハマりそうになるときがある。足音が聴こえてくると、オーケストラを総動員して掻き消すようにしている。たまに余裕があるとき、どんな感じなのかなと覗きこむこともある。見るのを怖がっていたら、いつまでたっても『闇雲』であり続けるからだ。でも、ちょっとでも覗きこむと、戻るのが大変になることも知っている。だから、ドツボがどのくらい深いのか、わたしは知らない。たぶん、一生、知ることはないだろう。降りようとすると、心やからだが悲鳴を上げてわたしを止めるからだ。「壊れる、自分が壊れる」と。<br />
　・・・ああ、ちょっとヤバい。バンビさんのことを考えてたら、自分までおかしくなってきた。こういうときは自分がしっかりしないと。<br />
　バンビさんは隣の衣裳部屋に移動した。ドレスを選んでるような物音が伝わってくる。今夜は何を着ていくのかな？　どんなメイクをしているのかな？<br />
　リビングに戻った。ドレッサーの前で、ポージングや表情を作って、最終チェックをしているのだろう。見たいなぁ。<br />
　しばらくたつと、電話をしている声。それから玄関へ向かう足音が聴こえた。玄関でハンガーに一旦ハンドバッグをかけて、ハイヒールを選んでいる気配。<br />
　「じゃ、行ってくる」という声が聞こえて、わたしは大急ぎで玄関へ向かった。<br />
　「どう？」バンビさんが言う。<br />
　わたしはバンビさんを衛星のように回り、ドレスや後ろ髪をチェックする。<br />
　「今日もお綺麗です。パーフェクトです」わたしは召使いのように報告する。ふざけ半分で演ってたことが最近はすっかり板に付いてしまった。<br />
　「じゃ、稼いでくるわ」<br />
　「行ってらっしゃい」わたしは頭を下げて、見送る。<br />
　玄関の扉がゆっくり閉まる。カツ、カツ、カツ・・・とハイヒールが遠ざかっていく音。すこし寂しくなる。もう二度と帰ってこないんじゃないかと思う。<br />
　わたしは扉のロックをかけて、乱れた玄関の靴を整理整頓する。バンビさんの芳香が立ちこめている玄関を後にして、リビングに向かう。<br />
　食卓に座り、テレビはつけたまま、一人、遅い晩御飯を食べる。バンビさんが残したものまで食べたら、お腹がいっぱいになってしまった。<br />
　洗いものをして、掃除機をかけて、お風呂に入る。ついでに洗濯機を回す。洗濯物をお風呂場に干して、出る。黙々とルーティンをこなす。<br />
　バンビさんはいまごろ、お店でお酒を飲んだり、客をもてなしたり、歌ったり、踊ったりしてるんだろう。生で見てみたいな。お客でいきなり行ったら驚くだろうな。<br />
　さあ、わたしも自分で決めた課題に一生懸命に取り組むことにしよう。明け方ぐらいまでかかるかもしれない。そしたら、帰ってくるバンビさんを出迎えられるかも。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　１４<br />
<br />
<br />
　バンビさんは今日は機嫌が悪い。<br />
　ツケのお客さんの入金が遅れてるようだ。５０万近くになるという。会社の経営も思わしくないという噂を聞く。不払いの場合、自分の借金になるそうだ。<br />
　店の順位も落ちる。ただでさえ、やる気薄で下がっているのに、これ以上陥落したら、さすがに沽券にかかわる。<br />
　バンビさんの収入がどのくらいに上るのかは知らない。チップの整理はするけど、給料の管理までは任されてない。だけど、チップだけで月収５０万近くになる。毎日、万札や紙幣の皺を伸ばしクリップでまとめてると、人のお金ながらも金銭感覚が壊れていきそうで怖くなる。いまは坦々とやってるけど。<br />
　しかし、支出も多そうだ。美容院、エステは頻繁に行く。ダンスや歌のレッスン。タクシー代。家賃。クリーニング代もバカにならない。家での食費はわたしが担当してるので唯一リーズナブルだ。<br />
　外出したときも高価な洋服やアクセサリーをがんがん買う。以前はお客さんを店に連れて行って買ってもらうことが多かったそうだ。でも、いつもタダでって訳にはいかないでしょ？　食事に行ったり、旅行に行ったり、ホテルに行ったりもするわけよ。好きなタイプなら一挙両得でいいけどね。だけど、だんだん煩わしくなってきたの。もうこういうことはしないでいいんじゃないかって。自分を安売りしてるとか売春してるとかじゃないの。そういうプライドはわたしにはない。なんだかいやになったの。<br />
　だから、最近は自腹で買うことが多い。それでも宝石やバッグはしょっちゅうプレゼントしてもらってるけど。もう、ここ３年ぐらいはお客さんとは寝てないかなぁ。<br />
　わたしは話を聞いてて、水商売はいろいろあって大変なんだなぁと思う。でも、バンビさんがそんなことしてるところを見たくはない。<br />
　わたしは人の愚痴や悩みを聞くことは苦にならない。施設で年少の子たちの話をいつも聞いてあげてたからだ。お姉さんなんだから有益なアドバイスをしなくちゃと気負う必要もない。目を見てじっと話に耳を傾けてあげればいいのだ。喋り終えて、数日後には、その子はたいてい元気になっている。自分もそうだった。園長先生は黙ってわたしの話を聞いてくれた。そして最後に優しく抱いてくれた。いまもあの無言と体温がわたしを支えている。<br />
　こんなことを急に思い出したのは、さっきバンビさんが出勤するとき、不意にわたしに寄り掛かってきたからだ。出る間際、一段低い玄関ホールに立っていたので、わたしの顎の下あたりに頭がつく形になった。<br />
　しばらくそうしていた。<br />
　わたしは急なことに当惑していたが、何も言わなかった。こういうとき、相手が何か言うのを待つ、という癖が染みついてるからだ。ただ、手は自然に動き、バンビさんのヘアスプレーできれいにセットされた後頭部のあたりを崩さぬように「いい子、いい子」と撫でていた。<br />
　バンビさんはしばらくじっとしていた。<br />
　やがてわたしの胸でふーっと深く一息吐くと、<br />
　「じゃ、行ってくる」と言って、顔を上げた。<br />
　化粧は乱れてない。<br />
　わたしは泣きそうになった。でも、泣かない癖もついている。<br />
　「行ってらっしゃい」と言って、見送った。<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　１５<br />
<br />
<br />
　「加奈子は男に興味はないの？」<br />
　バンビさんはドレッサーの前で、雑誌に目を落としながら、メイクをあれこれ試している。<br />
　「ありますよ」<br />
　わたしは昼食の後片付けをしながら答える。<br />
　「好きな子はいないの？　学校とかに」<br />
　「・・・ステキだなぁと思う人はいますよ」<br />
　「付き合いたいとか思わないの？」<br />
　「いまはいいです。バンビさんに一途ですから」<br />
　台所でバンビさんにウインクしながら答える。もちろん、見えてない。<br />
　「自信がないの？　傷つくのが怖いの？」<br />
　「自信はありません。でも、傷つくのは怖くないです」<br />
　「ちょっとこっちに来て」<br />
　また、髪の後ろを押さえててとか雑用だろう。<br />
　「はーい」と言って、手をタオルで拭いた。<br />
　行くと、「ここに座って」と言われた。<br />
　バンビさんは立ち上がって、ドレッサーの椅子を指差している。<br />
　座ると、「化粧してあげる」と言われた。<br />
　「いいです」とわたしは言って、立ち上がろうとした。<br />
　「アレルギーはない？」<br />
　バンビさんは手で制し、わたしを無視して勝手に進める。<br />
　「ないと思いますけど、よくわかりません」<br />
　「じゃ、痒くなったりしたら、言ってね」<br />
　わたしの髪を後ろからブラッシングし、数か所をヘアクリップで束ねて、顔の輪郭を露出させた。されるがままに事の成り行きを見守るしかなかった。<br />
　バンビさんは美容院の人みたいに鏡に映るわたしの顔をしばらくじーっと見ていた。<br />
　恥ずかしいです、そんなにじーっと見つめられたら。<br />
　ダイニングへ行き、椅子を持ってくると、わたしを横向きにし、目の前に座った。<br />
　また、じーっとわたしを見ている。見つめるバンビさんの顔はバタフライマスクのようなメイクが施されている。雑誌に載ってたものだ。中世ゴシックふうですこし怖い。<br />
　ドレッサーに整然と並んだ化粧品を手に取り、魔術がーー化粧が始まった。目の前に度アップでバンビさんの顔があり、視線をどこに合わせたらいいかわからない。目を合わせるのも照れるので、左下を見ることにした。何やら液体や半固体が指の先や腹や複数の指を器用に使って皮膚に塗りこまれていく。化粧品の甘い香りが鼻をくすぐる。一手順終わると、ちょっと離れて見る。スポンジやパフや筆や刷毛などいろいろな道具が使われる。なんだかボーっとしてきた。<br />
　高２のとき、園の『職業体験』で行った老人ホームを思い出した。おばあちゃんたちが日当たりの良い一室で並んでお化粧をしてもらっていた。前向きに生きる意欲を呼び覚ますケアの一つだと言ってた。「ほら、鏡を見てご覧なさい。あなたは本当はまだこんなに綺麗な人なのよ」<br />
　自分の顔がどうなっていくのかわからないけど、不本意な気持ちとは裏腹に胸は高鳴っていく。いまは冷たい鉄の器具を睫毛に当てられている。鼓動の質が変わってきている。バンビさんを間近に感じる緊張は解けてきて、鏡に映る自分と対面する不安が勝ってきている。こんなに丁寧にお化粧してもらって、それでも代わり映えしなかったら、どうしよう？　前向きに生きてゆけない。　　<br />
　冷たい感触が唇を走る。目を開くと、口紅が塗られていた。コットンで輪郭を丁寧に整えている。バンビさんはまた、すこし離れて、わたしを見た。今度は角度を変えて見る。手直しをする。また、離れて見る。もう一度、眉毛を引き直す。そういうことを何回か繰り返した後、やっと満足したのか、うなずくと、<br />
　「できたわ」と言って、手に持っていたマスカラを置いた。<br />
　「見たい？」わたしを見て、もったいぶるように言った。<br />
　「見るの、怖いです」と正直に言った。<br />
　「じゃ、やめとく？・・・このまま落としちゃう？」<br />
　バンビさんはホント意地悪だ。でも、性格が悪いというより、こどもっぽいのだ。<br />
　わたしの後ろに回り、回転椅子をドレッサーの鏡に向けた。<br />
　「ごたいめーん！」<br />
　わたしは咄嗟に俯いてしまい、「変身！」と心の中で叫んでから、意を決し顔を上げた。<br />
　現実はすぐに脳には到達しなくて、目の網膜で戸惑うように泳いでいた。こどものときに描いた塗り絵を思い出した。モノクロだった顔に色が差して、表情豊かになっている。<br />
　「ジーンセバーグふうにしてみました、加奈子さま」<br />
　バンビさんが従者のように恭しく言った。「いかがでしょう？」<br />
　・・・ジーンセバーグ？　咄嗟に顔が浮かばなかった。あとで調べてわかったけど、ゴダールの映画に出ていたボーイッシュな女優だった。わたしはあんなに綺麗じゃないけれど。<br />
　「自分じゃないみたいです」と正直に答えた。<br />
　バンビさんはわたしの前髪を止めていたクリップを外し、ブラシと櫛を使って、横分けふうにヘアスタイルを整えた。ヘアスプレーをシューっとかけて固定した。<br />
　「ちょっと待っててね」<br />
　リビングを出ていった。しばらくたつと、服をいっぱい手に持って、戻ってきた。<br />
　わたしを立たせて、次から次へとあてがう。<br />
　「これがいいわ」と言って、幾何学模様がプリントされたワンピースを選んだ。見るからに昔のものだ。あとから、ジバンシーの高価なビンテージだと知った。<br />
　「着てみて」<br />
　わたしは服を受け取り、部屋を出ていこうとした。<br />
　「・・・どこ行くの？」<br />
　「着替えてきます」<br />
　「ここでいいわよ」<br />
　「・・・恥ずかしいです」<br />
　まだ、バンビさんの前で肌を見せるにはテレがあった。それにバンビさんのグラマラスなプロポーションの前では気後れがする。<br />
　「女同士なのに何を恥ずかしがってるの・・・これ、着るの、ちょっとコツがいるのよ。わたしがここで着させてあげる」<br />
　仕方なくスウェットの上を脱いだ。上だけ脱いで、ワンピースをはおった後、下を脱げばいい。<br />
　バンビさんが上からふわりと服をかぶせてくれた。袖口が狭く、両腕を慎重に通してから、背中の長いジッパーを上げる。シルエットを整える。<br />
　「・・・ブラはギリ見えないわね。今度、これに合う可愛いの買ってあげるね。さ、下も脱いで」<br />
　ワンピースは本来は膝丈のようだった。わたしは背があるので、ミニのようになった。<br />
　「うん・・・これはこれでいいかも。脚が細いから、ちょっとツイッギーっぽいし・・・ちょっと待っててね」<br />
　バンビさんはまた衣裳部屋へ行った。今度は帽子やハンドバッグやアクセサリーを持って、戻ってきた。<br />
　わたしをもう一度、ドレッサーの前に座らせる。ヘアスプレーみたいなのを一つ選んで、カラカラと音を立てて振った。ポンチョのようなクロスを頭からかける。髪の生え際あたりで押さえているように言われた。ヘアスプレーを噴射する音。薬品臭。クロスを外すと、髪がボルドー色になっていた。カラースプレーだった。<br />
　厚手の柄物のストッキングスを腿まで通す。チョイスした６０年代ふうの大きなイアリングとカラフルなガラス玉の首飾りと大きめのリングブレスレットを装着。チープに見えるけど高そうなサングラスをかけて、おでこに乗せる。靴はわたしのサイズに合うものがなく、クラシカルなサンダルで代用する。踵がちょっとはみ出てしまった。<br />
　バンビさんはわたしをカーテンの前に立たせて、上から下までゆっくり見る。ハンドバッグを持つように言われる。腕を折り曲げて肘の内側で持ってみて。<br />
　着せ替え人形のようだった。虚像がまだ現実に追いつかない。<br />
　バンビさんはそれから、わたしを部屋のあちこちに立たせて、記念撮影をした。ポージングや表情の指示をあれこれ受ける。してるうちにわたしもだんだん慣れてきた。スターになったようで楽しいってほどではないけれど、一幕の夢の世界に迷いこんだみたいだ。<br />
<br />
　「どう、自分にすこしは自信がついた？」<br />
　ソファで虚脱気味になって休んでると、バンビカメラマンがシャンパンが入ったグラスを片手にやってきて、ナンパ男のように笑った。<br />
　「その服、すごく似合ってるよ。加奈子は細いけど、お尻がぷくって出てるからね。コケティッシュで、まるで別人みたい」<br />
　「ありがとうございます。・・・楽しかったです」<br />
　わたしは『職業体験』を終えた田舎の高校生みたいにお礼を述べた。「もう、この服、脱いだほうがよくないですか？」<br />
　ずっと着てると皺になりそうだ。<br />
　「あら、まだ本番はこれからよ。いまから外に行って、街の皆さんにも、可愛く変身したあなたを見せてくるのよ・・・はい、これ、地図」<br />
　は？・・・何を言ってるんだ、このカメラマン。<br />
　「青山２丁目に６０年代ヴィンテージの専門店があるの。そこで、その服に合う靴を買ってらっしゃい。店の人にはもう電話しといた。代金は後払い。いますぐ行ってらっしゃい。ここから歩いて１５分ぐらいかな」<br />
　「・・・これ、着たまま、一人で行くんですか？」<br />
　「そうよ。・・・一本道だから、道に迷うことはないと思うわ」<br />
　「・・・いやです」<br />
　「何で？」<br />
　「・・・だって、恥ずかしいです」<br />
　「だから、すごく似合ってて可愛いって言ってるでしょう。恥ずかしがる理由なんてどこにもないわ。・・・もしかしたら男の人にナンパされて、恋が芽生えちゃうかもよ」<br />
　「・・・いやです、そういう軽薄なのもいやです」<br />
　「行ってらっしゃい」<br />
　・・・泣きそうになった。引っ越してきたとき、ここでは絶対に泣かないって決めたのに。こんなつまらないことで泣きそうになるなんて思いもしなかった。<br />
　「靴がないと外は歩けないのよ」<br />
　「わたし、靴は要りません。外は歩かなくていいです」<br />
　「行ってらっしゃい。・・・これは命令です」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　１６<br />
<br />
<br />
<br />
　バンビさんはたまに悪乗りし過ぎる。<br />
　なんであのまま愉しい気分でお開きにできないのだろう？<br />
　わたしをイジメて何が愉しいのだろう。<br />
　わたし、何か怒らせるようなこと、した？<br />
　根に暗いものがあるのかもしれない。<br />
　こどもっぽい。<br />
　これじゃ、罰ゲームだ。<br />
　加奈子は表参道を青山通りへ向けて、てくてくと歩いていた。サンダルが小さいので歩きにくい。大きく開いた胸もとから風が入ってきて、そわそわ落ち着かない。歩くと、装身具がジャラジャラと音を立てる。ハンドバッグを持つ姿がきっと決まってない。背筋をしっかり伸ばして胸を張って歩きなさいとバンビさんから指導を受けた。そうすれば、だいたいの服装は似合うし、さまになる。<br />
　言われるまでもなく、加奈子は気を張って歩いていた。往復３０分の道のりだ。何か考え事をしながら歩いていれば、あっという間に着く。景色も目に入ってるようで全然入らない。いま、してることをいやだないやだなと思いながらしてると、時間がたつのが非常に長く感じる。<br />
　道行く人や商店にいる人がじっとわたしを見る。でも、しつこく追ったりはしない。このぐらいの格好は見慣れた街の一部なんだろう。<br />
　ミニスカートを履いてることも、個性的なお化粧をしてることも、次第に意識から遠のいていった。加奈子はバンビにどう仕返しをしてやろうかと考えていた。もちろん、考えるだけで、実際にはしません。考えるだけでいいのだ。考えるのは楽しいし、結論が出たときにはすっきりする。自分が何をどう思ってるかクリアになるし、これからどうすればよいかの指標にもなる。<br />
　でも、仕返しの気の利いた方法はなかなか思い浮かばなかった。お茶にワサビを入れる、下着に蜘蛛を入れる・・・なんてことは次々と浮かぶ。しかし、こどもっぽい。バンビさんと同じ土俵で勝負してどうする？<br />
　・・・そんなことをつらつら考えて道を進んでたら、店の看板が遠くに見えてきた。もう、開き直ろう。映画スターのように颯爽とドアを開けて、店の中に入ってやろう。<br />
<br />
　靴も店の人と相談して選んだし、履いてきたサンダルも袋に入れてもらったし、ミッション完了、もう一頑張り、帰ろうと思ってたら、<br />
　イジメっ子バンビが突然、店のドアを開けて、現われた。<br />
　え・・・どういうこと？<br />
　わたしと同じようなテイストの服に着替えている。とてもハデでカラフルなペイズリー柄のワンピース。メイクもバタフライから、大人のベティちゃんみたいな目もとを濃く強調したものに変えている。目がとても大きい。<br />
　「バンビさん、いらっしゃいませ」<br />
　店員の声が１オクターブは撥ね上がった。きっと上客なんでしょう。<br />
　わたしを見ると「どうしたの？　そのおでこの絆創膏」と聞いた。<br />
　「ごめんなさい。入口の段差で躓いて、顔をドアにぶつけちゃったんです」<br />
　店の人が謝った。<br />
　「わたしの不注意です」訂正した。<br />
　「珍しいわね、加奈子が転ぶなんて」<br />
　颯爽と入ろうなんて慣れないことをしたからだと思う。でも、それは口が裂けても言わない。<br />
　「で、靴は決まった？」<br />
　わたしは試足用のソファに座ったまま、両足を前に差し出した。銀のスパンコールのラインが控え目に入った、クリーム色の厚底のキュートなパンプスだ。履き心地もいい。<br />
　「あら、素敵じゃない。サイズはピッタシ？」<br />
　「はい、ジャストです」<br />
　店員さんが代わりに答えた。外した値札を手にバンビさんに確認をとる。店でいちばん高いのを選んでやった。<br />
　バンビさんはそれから店内を歩き、わたしの服に合うコートを選んで買ってくれた。チューリップの蕾のようなラインを描くオレンジ色のコート。これはとても可憐で気に入りました。<br />
　「この子、店の新人さんですか？」<br />
　店のお姉さんがバンビさんに聞いた。<br />
　新人？　わたし、女なんですけど。<br />
　「そうよ、前途有望、期待のニューフェイスなの。あどけないエロスがそそるでしょ？」<br />
　何で否定しない？　やっぱり性格が悪い。<br />
　「じゃ、ご飯でも食べに行く？　それとも、ナンパされに街を歩く？」<br />
　「・・・疲れました。ゆっくりお茶でも飲みたいです」<br />
　「じゃ、原宿のパレフラに行きましょう」<br />
　パレフラ？　どこですか、それ？　<br />
　わたし、この店の数軒前にあった喫茶店でいいんですけど。<br />
<br />
　原宿は日曜とあって混んでいた。<br />
　タクシーを使った。バンビさんが100メートル以上歩くところを見たことがない。<br />
　『パレフランス』は竹下通りの終点にあった。舗道に面したオープンカフェの空いてる席を見つけて、座った。１９年間生きてきて、過去最大の視線を浴びていた。いまも記録を更新中だ。バンビさんが隣にいるからだと思う。<br />
　「いつもこんなですか？」<br />
　わたしはやっと一息つけたのか、つけてないのかわからない、落ち着かなさの中で聞いた。<br />
　「明るいときはまぁこんな感じ」<br />
　バンビさんは事もなげに答えた。<br />
　オシャレなモデルの女性のように見られてるのか、ニューハーフとバレてるのか・・・よくわからない。半々ぐらいだろうか？<br />
　「今日はモノホンの女の子の加奈子が隣にいるから、８対２ぐらいじゃない？」<br />
　一応、わたしを持ち上げる。<br />
　「わたし、さっき、男と間違われたんですけど」<br />
　「あれはわたしとセットでいたからよ」<br />
　しばらくすると、潮が引くように視線は減った。<br />
　都会は素晴らしいなぁと思う。許容範囲が広い。<br />
　「でも、どうせジロジロ見られるんなら、綺麗なほうがいいと思わない？　中途半端にしてるとオカマって呼ばれるけど、すごく美しくなっちゃえば、どっちなんだろうって言われるわ。性別を超えちゃえばいいのよ」<br />
　一理あるような気がする。バンビさんもいろいろ考えることがあったんだなぁと思う。<br />
　アールグレーをストレートでわたしはしみじみと飲んだ。やっと一息つけた。<br />
　結局、お腹が空いたので、屋内の席に移動して、夕食を食べることにした。陽はもう西に傾きはじめていて、屋外はすこし肌寒い。<br />
　わたしは『オムレツのモンサンミシェル風』を頼んだ。モンサンミシェルがよくわからなかったけど、なんとなくオシャレで美味しそうだ。バンビさんは『エスカルゴのブルゴーニュ風』。ここではいつもそれを食べると言う。サラダもセットで頼んだ。<br />
　「加奈子はどんな男がタイプなの？・・・例えば、この店の中にいる男から選べと言われたら、どの男にする？」<br />
　わたしは目だけぐるっと動かした。射程内に見つからなかったので、灯りが瞬きはじめた外の景色を見る振りをして、左横から左後ろのエリアをチェックした。<br />
　「・・・あそこで一人静かに本を読んでる人かな」<br />
　わたしはバンビさんの目を左後方に促した。体格の良い、頭も良さげな、ビジネスマンふうの黒人が寡黙に読書をしている。<br />
　「うそ？」<br />
　「・・・うそです」<br />
　「真面目に答えなさい」<br />
　意地悪な魔女に対抗するには、ユーモアとウィットが必要です。<br />
　「・・・いません。バンビさんはどの人ですか？」<br />
　「・・・わたし？　わたしはそう、加奈子かな？」<br />
　「何度も言いますが、わたしは女です」<br />
　「あそこにいる、チェックのジャケットを着た若い子、あの子はちょっといい感じかな」<br />
　わたしはまた外の景色を見る振りをして、バンビさんの視線の先を追う。・・・うん、そこそこいい。<br />
　「どう？」<br />
　「いいと思います」<br />
　「やっぱり、あの手か・・・加奈子、ああいう男が好きなんじゃないかって思ったんだ」<br />
　誘導尋問だったか。<br />
　「容姿に恵まれない女は美形が好きだものね」<br />
　また、要らないことを言う。<br />
　「でもなんだか楽しいわね、こういう話。６０ｓファッションには恋の話がよく合うわ」<br />
　まるで映画のワンシーンがどこからか撮られてるかのように、バンビさんは表情を作る。<br />
　「バンビさんは彼氏はいないんですか？」<br />
　「絶賛募集中」<br />
　「たまに複数の素性もわからない男の人たちから電話がかかってきますけど」<br />
　最近はわたしが家電を取っている。居留守も使えるし、親戚の女の子と同居してると嘘もつけるし、いろいろ都合がいいからだ。<br />
　「あれはみんなお客さん。・・・もう３年ぐらい、いないかな」<br />
　「意外です。とってもモテそうに見えますけど」<br />
　性格は悪いですけど、と心の中で付け足した。<br />
　「なんかねー、昔のように一途になれないのよね」<br />
　バンビさんは遠くを見るような目になった。まだ映画の撮影は続いているようだ。「・・・心の奥が醒めちゃってる。恋してるのに頭がよく働くのよ。手慣れてしまってる。・・・加奈子にはまだわからないだろうな」<br />
　ええ、わかりませんとも。まだ航海を始めたばかりだし。<br />
　「運命の人がまだ現われてないのかもしれませんね」<br />
　でも、とりあえず、撮影には協力します。こうなったら、助演女優賞を目指します。<br />
　「運命の人？　そんなの、本当にいるって信じてるの？」<br />
　わかりません。ありそうな話にも思えるし、なさそうな話にも思える。思いつきで言ってみただけです。<br />
　「・・・でも、いたりしてね。いま、この店のどこかに隠れてるかも」<br />
　バンビさんは遠くを見ていた目をまた近くに戻した。<br />
　揺れ動いてますね。恋をする女の心はいつも揺れ動いている。映画はそろそろ佳境に入るのでしょうか？<br />
　<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　１７<br />
<br />
<br />
　ご飯も食べ終わったし、これでやっと家に帰れると思ったら、甘かった。<br />
　『ラフォーレ』にお買い物に行くと言う。向かいにも新しい商業ビルがオープンしたらしい。<br />
　それとも、ナンパされに行く？　湾岸のディスコに行く？<br />
　このバイタリティはどこから出てくるんだろう。わたしはとてもついてゆけない。バンビさんには申し訳ないけど、あまり楽しくない。美術館に行きたい。家で絵を描いていたい。ディスコはいやです。チャラチャラした男にナンパされるのはもっといやです。<br />
　・・・とは言えなかったので、ショッピングがいいですと言った。この格好でまた明るいところを人目を引いて歩くのかと思ったら、気が重くなったけど、またすぐに慣れるだろう。また何か関係のないことを考えながら歩こう。<br />
　とりあえず、一緒に女子トイレへ行き、化粧を直してもらった。口紅を引き直してもらう。鏡を見ると、相変わらず、知らない人がいた。早く本当の自分に戻りたい。<br />
　こんばんは、お元気ですか？・・・と鏡の人に聞いてみた。<br />
　『ラフォーレ』は若い子たちでいっぱいだった。自分も若いのに距離を置いて見るのもおかしいけれど、距離を感じる。疎外されてるように感じる。同じ場所にいるのに、違うところを歩いているようだ。急に淋しくなる。目を閉じて再び開けたら、みんな消えていなくなってそうだ。でも、きっとすべてが消え失せた世界でも、バンビさんはいるような気がする。だって、美の化身だもの。魔女だもの。意地の悪い弱虫だもの。いつか、大きなバンビさんの絵を描くのが最近のわたしの夢だ。もし家を建てたら、壁一面を覆うようにその絵を飾ろう。毎日、その絵を見て過ごすのだ。毎日、バンビさんを見るのだ。現にいまも隣にいて、わたしの下着を選んでくれている。別に人に見せるわけじゃないからそんな装飾は要りませんと言うのだけれど、聞いてくれない。これからこの罰ゲームだか、変身トリップが恒例にならなければいいんだけど、そうなったら本当に自分がどこかに行っちゃいそうでいやだ。店を回り、バンビさんは気にいったものがあると手に取り、持ちきれなくなるとわたしに渡す。レジへ行って精算する。結局、わたしは付き人のようになっている。紙袋をいっぱい持たされて、バンビさんの後を追う。<br />
　向かい側の商業ビルに移動する。オープンしたばかりで、バーゲンやいろいろな催し物をやっている。人でごった返している。お目当ての店が３階にあるらしく、混雑したエレベーターに乗りこむ。また、疎外感がやってきた。でも、自分で作り出してるのかと思う。わたしは基本この世界を認めてないのだ。もしかしたら、この世界がなくなっちゃえばいいと思ってるのかもしれない。<br />
　お目当ての店の入場制限を見て、バンビさんもさすがに気がそがれたようだ。行列に並ぶタイプじゃない。「疲れたわ、帰りましょう」と言った。下りる階段を探してたら、後ろから声をかけられた。振り向くと、若いオシャレな男が２人立っていて「街のファッションリーダーみたいな企画なんですけど、写真を撮らせていただけませんか」と言われた。エスカレーター前の特設ブースを目で指した。読んだことがある有名な女性ファッション誌の広告が大きく躍っていた。わたしたちは簡易な背景が青の特設スペースに行き、写真を撮られた。バンビさんの指示に従い、ポーズをとった、一生懸命に笑顔を作った。そのときの写真はーー雑誌に掲載された写真の切り抜きは、いまもわたしの部屋の引き出しの奥に大切に保管されている。６０ｓの女の子が２人、夢を抱えきれないようなハッピーな顔でキュートなポーズをとって微笑んでいる。<br />
<br />
　やっとマンションに戻れて、たくさんの荷物を置き、ソファで一休みしたのも束の間、<br />
　「加奈子、行くわよ」という声が玄関から聞こえた。<br />
　「・・・どこへですか？」<br />
　「六本木。ディスコに行きましょう」<br />
　だからディスコはいやだって、さっき言ったじゃないですか・・・と言おうとして、心の中で言ったのだと思い出した。<br />
　「お腹が痛い・・・」とわたしは思わず仮病を使った。こどものときによく使った手だ。施設はなんやかや責任問題を避けたがるので、古典的な手段でも有効なのだ。<br />
　「じゃ、途中で本格的に痛くなったら、そのまま病院に連れてってあげる」<br />
　魔女は本当に容赦がない。<br />
　いやだぁーと心の中で叫んだ。声に出して本当に叫べばよかった。本当に叫んだら、どうにかなったかもしれない。<br />
　引き立てられるようにタクシーに押しこまれ、夜の街を六本木へ向かった。<br />
　そこから先の事はよく憶えてない。<br />
　ラウンジでお酒を飲んだあたりから、記憶が飛んでいる。<br />
　ビルのような建物だった。長い階段を昇った。大音響、めくるめくライト、フラッシュ、人いきれ・・・踊ったのも憶えている。どんなふうに踊ってたのかは、思い出すと恥ずかしくなりそうで、思い出したくない。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
    <link>https://chao213.blog.shinobi.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90/%EF%BC%A8%EF%BC%B02000%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%93%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%94</link>
    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 22:58:27 GMT</pubDate>
    <guid isPermaLink="false">chao213.blog.shinobi.jp://entry/154</guid>
  </item>
    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）　８　～　１２</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
　　　　　　８<br />
<br />
<br />
　バンビが待ち合わせの店に着くと、広告代理店の女性はすでに来ていて、テーブルの上に広げた書類をクリップでまとめていた。<br />
　バンビは「こんばんは」と挨拶し、席に向かい合って座った。<br />
　ウエイトレスに食事は要らないと言って、コーヒーを頼んだ。<br />
　楽井という女性はどうでもいい話をした後、仕事の説明に入った。<br />
　現在、某大手化粧品メーカーのＣＭ事案が進行中で、わたしたち黒田チームはニューハーフを抜擢したいと考えています。単独出演になるか複数になるかは未定ですが、バンビさんにも是非この企画にエントリーしていただけたらと考えています。<br />
　「声をかけた何人かから最終的に誰かを選ぶってことね？」<br />
　「そうです。残念ながら、選ぶのはわたしたちではありませんが」<br />
　「誰？」<br />
　「制作トップ、その後に会社の上層部、最後にクライアントです」<br />
　「・・・山あり谷ありなのね。もちろん喜んでエントリーさせていただきます」<br />
　「ありがとうございます」<br />
　期待はしていない。だいたいこの手の話は立ち消えになる。社会通念の壁は厚く高いのだ。<br />
　「でも、実現すれば、わたしたちにとって夢のようなお話ね。色めきだってるニューハーフがいっぱいいそうだわ」<br />
　彼女の発案と健闘に敬意を表し、リップサービス。<br />
　「はい、夢にならないようにがんばります」<br />
　彼女もそのあたりは重々承知してるんだろう。意気込みを語りながらも、その目や声は浮わついたところがなく、沈着冷静だった。<br />
<br />
　「これからお仕事ですか？」<br />
　彼女は書類をバッグにしまいながら聞いた。<br />
　話は１５分で終わった。過不足のないテキパキとした仕事ぶりだった。<br />
　バンビは企画書が入った封筒を受け取った。<br />
　時間が大幅に余ってしまった。出勤するまでの時間をどうしよう？<br />
　「もしよろしければ、ここからはオフの女子トークをしませんか？　食事も頼んで。ここ、オーナーが広島出身で、隠れメニューの生ガキ料理がとっても美味しいんですよ」<br />
　彼女が急にくだけた口振りになった。いつから友達になった？・・・さっきまでのオフィシャルな顔もどこへやら、急に馴れ馴れしくなった。<br />
　バンビが呆気に取られ見ていると、<br />
　「では、ここでカルトＱ 問題です。バンビさんはわたしのことを知っています。わたしは誰でしょう？」と愉しそうに言った。<br />
　「え？・・・」<br />
　いったい何を言い出したんだ、この女は？<br />
　「ヒントは８年前」<br />
　「だから、お店に来たんですよね？」<br />
　「・・・ってゆーより、一緒に働いてた？」<br />
　「・・・働いてた？」<br />
　「わたしは愛の伝道師、真実の愛を届けまーす！」<br />
　彼女は声のトーンを低く変えた。両の掌を合わせて敬虔な祈りみたいなポーズをとった。<br />
　え？　え？　え？<br />
　そのポーズとセリフ、どっかで見て聞いた憶えがある。<br />
　「・・・テレジア？」<br />
　「あったりーー！」<br />
　「うそ・・・」<br />
　「良かったぁ、憶えててくれて・・・忘れられてたら悲しいわって思ってたんだ。忘れ去られるのって、この世でいちばん悲しいじゃない」<br />
　彼女は破顔一笑でバンビを見た。「どう、わたし、変わったでしょう？　いつバレるかわくわくしてたけど、全然気がついてくれないんだもの。これはもう、こっちから言うしかないなって」<br />
　「・・・だって、うそ・・・昔と全然違うじゃない？　整形した？」<br />
　「すこしね」<br />
　「じゃ、あとはメイク？」<br />
　「う～ん、もうちょっとしたかな」<br />
　言われて見てみれば、確かに目と鼻のあたりに小憎たらしいテレジアの面影がある。でも、もともとノッペリとしたお公家さん顔だったので、気がつかなかったのだ。化粧も昔と違って、とても洗練されている。髪形もよく似合うショートにしている。<br />
　「でも、あなた、絶対に顔とからだはいじくらないって言ってたじゃない？」<br />
　バンビは昔、テレジアが言ってたことを思い出した。<br />
　「いろいろあって、心変わりしたの」<br />
　バンビは今度はそのまま視線をからだに落とした。グレーのビジネススーツの胸元が大きくはないが、ぷっくり膨らんでいる。パッドだろうか？<br />
　「シリコンは入れてません。女性ホルモンです」<br />
　テレジアが先回りして言った。<br />
　・・・じゃ、からだはいじくってないのね。<br />
　「しかし、下はありません。業界用語で言えば、全オペ完了してます」<br />
　「・・・うそ？」<br />
　「取っちゃったし、女に造り替えました」<br />
　「・・・うそでしょう？」<br />
　「服の上からだったら、さわって確かめてもいいよ」<br />
　バンビはテーブルの下で手を伸ばした。でも、テーブルが大きくて、全然届かない。するとテレジアが席を立って、バンビの横に座った。メニューを一緒に見る振りをして、バンビの手を股間にいざなう。<br />
　ない。隠しこんでる感触もない。<br />
　「・・・うそぉーー！　だって、そういうことはしないって」<br />
　「だから、考え方が変わったの」<br />
　<br />
　テレジアが『人工の森』にいたのは、結局、半年ぐらいだった。お店を辞めてその後どこへ行ったかは知らなかったし、興味もなかった。ただ、まったく消息を聞かなかったので、この業界からは足を洗ったのだと思っていた。ニューハーフとしては全然パッとしなかったし、夜の世界にも馴染めなかったようだ。<br />
　「じゃ、あれからどうしてたのよ？」<br />
　バンビは落ち着きをやっと取り戻し、テレジアにその後のいきさつを聞いた。<br />
　「わたし、あれからアメリカ、ベルギー、スイス、タイへ行ったの。自分のことを本気で知りたいと思って。合計３年ぐらいいたかな。向こうで一生懸命勉強したんだ。いろんなツテを頼って・・・そのあたりの詳細は口外したら組織に殺される情報もあるから、適当にはしょらせていただくけど」<br />
　「何、それ？」<br />
　「ちょっとヤバい話もあるの。そのあたりはどうか察して」<br />
　「・・・なんかそういうところは相変わらずね」<br />
　大風呂敷を広げたような弁舌はあのころと変わってない。<br />
　「人間の本性は大きくは変わりません」<br />
　ただ、すこしまるくなったかな。物腰に落ち着きと余裕が感じられる。<br />
　バンビは懐かしくなった。ラララも交えて、何度も嫌味と冗談を織り交ぜて、らちが明かない言い合いをしたものだっけ。<br />
　「で、３年かかって出した結論はこうです」<br />
　テレジアはワインで喉を潤して、話を続けた。<br />
　「わたしは間違って男に生まれてきた。わたしが道を間違えたわけではない。でも、創造主はその間違いを永遠に正してくれない。なら、自分の手でその間違いを正すしかない」<br />
　「ごめん、もう一度言って」<br />
　格言調の響きが耳に馴染まず、内容がよく入ってこなかった。<br />
　テレジアはもう一度、繰り返した。<br />
　「・・・で、自分の手で性転換して、神様の間違いを正したってわけね」<br />
　「そう。・・・神様じゃなく、創造主だけどね。わたし、この世に神様なんていないと思ってるから」<br />
　「からだをいじくったら、本当の愛が手に入らなくなる、どうたらこうたらってよく言ってなかったっけ？」<br />
　「ありがとう。いろいろ憶えていてくれてるんだ」<br />
　「忘れろったって、あの小憎たらしい顔と声は忘れられません」<br />
　「だから、考え方が変わったの」<br />
　「じゃ、性転換して、もうどのくらいたつの？」<br />
　「５年？」<br />
　「それで、いまの会社に就職したの？」<br />
　「そう。もう５年になるか」<br />
　「女として？」<br />
　「もちろん。戸籍上はまだ男で厄介だけどね。パスポートとかも。でも、それもいずれ変えてみせる」<br />
　「職場のみんなは知ってるの？　カミングアウトしたの？」<br />
　「ＣＯはしてない。あえて自分から告白する必要も義務もないしね。ただ、知ってる人は知ってる。でも、問題にはしない。広告関係は実力主義で、比較的、自由な気風なんだ。面白いものを楽しめる土壌でもあるしね」<br />
　バンビはいきなりテレジアの変身を見せつけられて、当惑し、面食らっていた。<br />
　一般社会で通常の女性のように生きて活躍している。<br />
　「バンビもオペは全部終わってるんだよね？」<br />
　「うん。テレジアと・・・えーと、これから何て呼べばいい？」<br />
　「ミキって呼んで。未来と書いてミキ。ラクイさんでもいいけど」<br />
　バンビはバッグの中からこの前、店に来たときにもらった名刺を取り出した。<br />
　『楽井 未来』と印刷されている。<br />
　「ミキって本名？」<br />
　「改名したの。姓は本名。上から続けて読むと意味がつながる」<br />
　「ラクイミキ？」<br />
　「ううん、楽しいミライ」<br />
　ミキが語るには、今後、ゲイやレズやトランスジェンダーなどのマイノリティーを取り巻く状況は飛躍的に変わるらしい。権利や保障が整備され、遠くない未来に社会のフロントに押し出されるときがくる。結婚もできるようになるし、こどもを持つ障壁も低くなる。自分はいま、そのミッションのもと、広告代理店に勤めて布石を打っているところだ。これ以上、詳しく語ると組織に殺されるらしい。<br />
　いったいどこまで本当で、どこまで妄想かわからない話だったけど、聞いてて退屈はしなかった。あてがわれた運命に腐ることなく、前向きに打開しようとがんばっている姿が伝わってくるからだろう。<br />
　広島の生ガキ料理も美味しかった。ワインを飲みながら、昔話に笑い転げて盛り上がり、時計を見ると、もはや遅刻確実だった。<br />
<br />
　「・・・で、しつこいようだけど、一つ聞いていい？」<br />
　バンビはテーブルで会計を済ませた後、コンパクトで口もとの化粧を直しながら、聞いた。<br />
　「どうぞ」<br />
　「それで、昔、言ってた本当の愛は手に入ったの？」<br />
　テレジアは昔、からだをいじくると本当の愛は手に入らなくなるって言ってた。人工の女は所詮まがいもので、自然の女にはかなわないと。そして本当の愛は自然の中にこそ湧き出てくるものだと・・・<br />
　テレジアは残っていたワインをグラスに注いだ。けれど、飲まずに、すこし考えるようにした後、口を開いた。<br />
　「・・・わたしは５年前、自分が本当の自分であることが、先ず何よりも大事だと思ったの。わたしは間違って男に生まれてきた。それは本当の自分じゃない。だから本当の自分に治した。３年もかけて考えたことだから、いやそれ以前もずっと頭にあったことだから、あのとき出した結論には、そして手術を受けて女になるという決断にはいまも微塵の後悔もない。・・・人が自分のことをどう思うかより、先ず自分が自分を愛することができるかが大切だと思ったの。生きていく上でそれがいちばん重要な土台になる。・・・あとは野となれ山となれ。でも、野や山じゃなく、絶対に花園へ行ってみせると宣言します。本当の愛も、わたしそのものをありのままに認めてくれる愛も、昔に考えてたものとは違うものになるかもしれないけど、絶対に手に入れてみせます。・・・以上、お答えになってるでしょうか？」<br />
　テレジアは話し終えると、プレゼンを終えた新入社員のように一礼した。<br />
　バンビはパチパチパチと手を叩き、<br />
　「よくわかりました。心から、応援してます」とエールを送った。<br />
　「ありがとうございます」<br />
　テレジアはグラスをもう一度、手に取って、高く上げた。「では、同志として、お互いの行く末が幸多きことを願って」<br />
　残ってたワインを飲み干した。<br />
　「・・・で、テレジアは彼氏いるの？」<br />
　外に出る階段を昇りながら聞いた。完全に遅刻だ。<br />
　「なんでテレジアよ、恍惚の亡霊が出てきそうだからやめてよ。・・・いるわよ、もうすぐ３年になるかな」<br />
　「すごーい。・・・で、知ってるの？」<br />
　「知ってるよ。病院の先生だから」<br />
　通りに出ると、タクシーが目の前に滑りこんできた。<br />
　「また、近いうちに続きを話せる？」<br />
　「いつでも」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　９<br />
<br />
<br />
　『２０２０』という店をオープンして２か月になる。<br />
　とりあえず、拠点を作ろうと思った。<br />
　かまびすしい店はいっぱいあるので、静かな落ち着いた空間にしよう。<br />
　アップライトピアノを置き、壁の棚にはゲイ関係の文学書や旅行記や写真集をさりげなく並べる。その間にやはりセンスのいいゲイテイストの雑貨やオブジェを配置する。壁にはポップなもの、アブストラクト、クラシックなもの、毛色の違う絵画を、場の多様性を演出するようにバランスよく飾ろう。カウンターの端にはレトロなガラスの花瓶に豪華なドライフラワーを。カウンター内には３人の若い男たちがいる。一人はすこし暗めな翳のあるタイプ、一人はマッチョだがそのからだを白いシャツの下に隠し誇示しないタイプ、もう一人は知的で広範囲な会話ができるインテリなタイプ。もちろん、三人ともイケメンであるのに越したことはない。カウンターの中でお酒やオードブルや簡単だけど美味しい料理を作ってもらおう。基本、席についての接客はしない。その手の店ではなく、文化の薫りが漂うラウンジバーだからだ。<br />
　そしてマスターであるオレは９時ごろ、ふらっと店に入る。店は18：00から 5：00までの営業だ。オレは好きなときに帰る。たまに街を切なく彷徨する。<br />
　・・・となるはずだったのに。<br />
　現実はどうだ？　店はいまでは若い子たちの溜まり場と化している。発展場とはあえて言うまい。毎日、がやがやとうるさい。<br />
　料金を低設定にしたのがアダとなったのはわかっている。ボトルの催促もしなければ、余計なチャージも取らない。ワンドリンク￥500からの明朗会計だ。そりゃ、お金のない若い子たちが集まるよな。しかし、それはウエルカムだ。あてが違ったのは、イメージしていたターゲット層がまるで来ないことだ。一人で静かに本を読むような子、アート関係の尖った子、社会問題意識が高い子・・・<br />
　でもまぁ、いまさら、ぐだぐだ言うのはやめよう。もう慣れた。店に集まる子たちもオレのことを慕ってくれている。いろいろと相談も受ける。頼りにもされている。<br />
　店名の『２０２０』は「２０年後の２０２０年、君はどう生きている？」という、オレからのささやかな問いだ。もちろん、その問いは自分にも向けられている。自暴自棄に陥ったり、袋小路に迷いこんでいた自分の体験をもとに、視線を近視眼的ではなく、すこしは遠い未来に振り向けてみようという提案だ。想像するのはひどく難しく、またその必要もないように感じるが、必要がないように思えることを敢えてする、そんな時間がときにはあってもいいと思う。<br />
　「マスター、ケンジにまた浮気された。今度、連れてくるから、心が入れ替わるようなこと、ガツンと言ってくださいよ」<br />
　店に着いてカウンターに立つなり、いきなりカウンターでへべれけになっている常連のヨシアキにからまれたーーもとい、相談を受けた。だからそれは浮気されたんじゃなく、そもそもお前が遊ばれてる中の一人だって、この前、言ったろ？　何で復習してこない？　それに心が入れ替わるような魔法の言葉なんて本当にあると思うか？　何度も言うが、相手を取っ換え引っ換えするインランな子は、アウトコントロールになったエヴァ初号機のようなもので、その暴走は誰にも止められない。蹂躙されるしかない。性の闇は深いのだ。傷つきたくなければ、離れるしかない。「しか」ないのだ。なんで現実を直視しない？　いちばん認めたくないところに答えがあるとなんで認めない？　なんで、すこしは未来に目を向けようとしないのか？　・・・もちろん『恋は思案の外』だってこともわかってる。自分もそうだったから。でも、こんなとこでオヤジみたいに酒で誤魔化してたら、きっと２０年後も同じ姿だぞ。若くてまだ脳が軟らかいうちに、壁の棚にある本の一冊でも静かに一人になって読んでみろ。ためになることがたくさん書かれてるぞ。すこしは危機感を持て。<br />
　・・・ということを優しく噛み砕いてアドバイスしてやった。　<br />
　でもまぁ、酔っぱらってるやつに何を言っても空しい。<br />
　「マスター、ありがとう。かんぱーい！」<br />
　乾杯じゃねーだろ。<br />
　カウンターの端に『Ｂ－ＪＥＴ』のマスターの姿が見えたので、急いで挨拶に行く。<br />
　「いらっしゃい、お久しぶりです」<br />
　「店を開いたと聞いて、とんできたわよ。これ、開店お祝い」<br />
　「ありがとうございます。何ですか、これ？」<br />
　「ドンペリ」<br />
　「わお！　じゃ、今度これでゆっくり祝杯をあげましょう。・・・マスター、宮崎に帰ってたんですか？」<br />
　オープン前に『Ｂ－ＪＥＴ』に開店の挨拶に行ったとき、マスターは不在だった。留守を預かっている店の子が、二か月ばかり故郷に帰っていると言った。<br />
　「法事で帰ってたんだよ。長男だから、いろいろ手続きしなきゃいけないことがあって。でも、もうあらかた片がついた。財産はみんな弟夫婦に譲ってきた。わたしは故郷に戻る気はさらさらないしね。天涯孤独で東京砂漠でがんばってゆくわ」<br />
　「・・・それはご愁傷さま、お疲れさまでした」<br />
　「晁生は？　通訳の仕事はどうしたの？」<br />
　「並行してやってます。あっちのほうが実入りがいいんで。あっちやめたら、この店やっていけません」<br />
　「・・・だよね。何でこんな安くしてるの？　ここ、そこそこ広いから、家賃もそこそこするでしょ」<br />
　マスターはメニューボードと店内を見回しながら言った。<br />
　「これで食っていこうって気はないんですよ。赤字にならなければいいやって経営方針でやってます。あんまり高くしたくないんですよ。若い子が来れなくなるから」<br />
　「・・・若い子を集めて何するつもり？」<br />
　「秘密の会員制売春クラブとか。それもピンハネしまくりで」<br />
　とりあえず、話にのっかった。「・・・そういうことではなく、拠点をこの街につくりたいと思って」<br />
　「拠点？」<br />
　「まだ、具体的には何も決めてないんですが、何か始めたいんです」<br />
　「社会的な運動とか？」<br />
　「・・・というより、カルチャー寄りかな。差別や人権はもうほかにやってる方々がいっぱいいるので・・・まぁ協力体制は取っていきますけど。例えば、セミナーを開いて、若い子たちの起業を後押しするとか、共同会社のようなものを作って、ネットワークを拡げていくとか。できたら、治外法権の小国家みたいなのも作りたいですね」<br />
　「小国家？　いいわね、それ。乗るわ」<br />
　「じゃ、重要ポストを用意しておきます」<br />
　「青少年風紀担当大臣とかいいわね」<br />
　「残念、それはもう自分に決まってます」<br />
　「・・・だけど、晁生も大人になったね・・・いま、何歳だっけ？」<br />
　「来月で２８です」<br />
　「初めてわたしの店に来たときはまだ１０代だったものね。１８ぐらいだったっけ？　じゃ、あれからもう１０年もたったんだ。そりゃわたしも齢を取るわな」<br />
　「・・・そうですね、懐かしいですね」<br />
　「いま、あのころのメンツで残ってるのはレンぐらいかな。・・・ああ、ハルキもいるわね」<br />
　「あいつら元気ですか？」<br />
　「うん。そんなにちょくちょく顔は出さないけど、大人になったよ。普通に社会人やってる」<br />
　マスターは昔を懐かしむような顔になった。この街も人の出入りは激しい。<br />
　「・・・亮とは連絡を取ってるの？」<br />
　「取ってないです」<br />
　「あれ以来？」<br />
　「はい」<br />
　「近況は？」<br />
　「・・・知ってます。この前、テレビで観ました」<br />
　二か月ぐらい前に『ニューハーフ特番』という特別番組が放映されていた。この街にも取材に来たらしい。「普通のゲイはニューハーフをどう思ってるか？」みたいな視点だ。そのコーナーに知ってる人間が出るというので、観ていたのだ。<br />
　「綺麗になったよね。本当に女みたいになった」<br />
　最初、それが亮だとはわからなかった。テロップで『人工の森　バンビさん』と出たので、わかったのだ。驚いて画面に顔を寄せて観ると、厚い化粧の向こうに確かに昔の面影があった。ショータイムの映像だった。<br />
　晁生がそれ以上、話を膨らませようとしないので、マスターは話題を変えた。<br />
　「で、晁生はあの後、大立ち回りをやらかして、アメリカに行ったんだよね」<br />
　「あの節はいろいろご迷惑をおかけしました」<br />
　「向こうの子はだいじょうぶだったの？」<br />
　「幸いなことに後遺症は残りませんでした。半年ぐらいたったころかな、担当弁護士さんから連絡がありました」<br />
　「このあたりじゃ知る人ぞ知る武勇伝だもんね。新聞にも載ったし」<br />
　本当に些細なことが原因だった。チーマーっぽい一団が通りすがりに「キモてえな、死ね」と言ったのだ。晁生の友人が仲通りの路上で恋人と抱き合っていた。お別れパーティーか何かが終わった後だった。１０人ぐらいの一群に晁生は１人で突っこんでいった。もちろん、喧嘩しに行ったわけではない。謝れと怒鳴っただけだ。揉み合ってるうちに晁生の肘が相手の胸に入ったらしい。そこから大立ち回りの喧嘩になった。向こうの１人が倒れた際に縁石の角に頭をぶつけた。<br />
　「晁生、あのころ、荒れてたもんね」<br />
　マスターはしみじみした口調で言った。<br />
　「でも、あれは荒れてなくても行きますよ、あの場にいたら。この街は特に気の強いオネエさん方が多いし。それにここ、うちらのホームですよ」<br />
　「そうね、あのとき、喧嘩の理由がわかってたら、きっと見てたみんなが行ったわね」<br />
　「・・・と思います」<br />
　「いまでも、あのことを知ってる人とか来る？」<br />
　「たまに。それもあって、あの男がやってる店ってことで、若い子たちが来てくれてるってところもあります」<br />
　「役に立ったわね」<br />
　「はい、頼もしい兄貴ってことで」<br />
　晁生は苦笑いした。<br />
　「で、アメリカには結局何年ぐらい行ってたの？」<br />
　「５年ちょいです」<br />
　「ずいぶん、長い間、行ってたわね」<br />
　「・・・ほとぼりがなかなか冷めなかったんで。永住カードを獲ろうかなとも思いました」<br />
　「そんなに外人が良かったんだ？」<br />
　マスターはちょいちょい『ご戯れ』を入れてくる。<br />
　「ええ、やっぱサイズの魔力ってありますよね」<br />
　とりあえず、一回は話にのる。コミュニケーションは大事にしないと。<br />
　「じゃ、何で帰ってきたの？　ずっとあっちでよかったじゃないの？」<br />
　「・・・なんだか逃げたように思えてきていやだったんです。簡単にケリがつくことではないですが、もう一度戻ろうかなって」<br />
　「向こうでの色恋沙汰は？　恋人とかできなかったの？」<br />
　「いましたよ、普通に。いまでも、連絡を取ってる子、いますよ」<br />
　「写真はある？」<br />
　「ありますよ。・・・見せましょうか？」<br />
　郵便物や名刺が入れてあるチェストの引き出しから、写真を探し出し渡した。<br />
　「わわわ、美形じゃない？　トム・クルーズにそっくり！」<br />
　マスターは良い男を前にすると、１００％オネエ口調になる。<br />
　「・・・てゆーか、これ、トム・クルーズじゃない！」<br />
　「ああ、間違えた間違えた、こっちです」<br />
　隠していたもう一枚を取り出した。<br />
　「あら、可愛い。この子、何歳？」<br />
　「４つ下だから、いまは２４ぐらいか」<br />
　「あなた、ホントに年下の可愛い坊やが好きね」<br />
　「兄貴の魅力っていうんですか？　慕われるんですよ」<br />
　「で、この子を夜の国際親善でカモンカモン言わせてたんだ？」<br />
　「お下品な話にはノーコメントです」<br />
　今回はのるのをやめた。<br />
　「今度、誰かお友達を紹介してよって言っといてよ」<br />
　「来年、日本に遊びに行くかもって言ってました。そのとき、年配の人と一緒に来るらしいから、言っときますよ」<br />
　「年配の人って何歳ぐらい？」<br />
　「お父さんだから、５０歳ぐらいでしょ」<br />
　「いやだぁ、わたしと同い齢じゃない。わたし、若い子がいい」<br />
　「はい、伝えておきます」<br />
　「昔の話ですか？」<br />
　従業員のジョージが、マスターの甲高い声で内容が聞こえたのか、話の輪に入ってきた。<br />
　「そう。あと国際親善の話。・・・この子は？」<br />
　「向こうでお世話になった社長の息子でジョージといいます。日系アメリカ人ってことになるのかな。父が日本人で、母がイタリア系のダブルです。日本で店をやると言ったら、来てくれて。いま、手伝ってもらってます」<br />
　「へえ、彫りが深くてイイ男じゃない。何歳なの？」<br />
　「２６です」ジョージが答えた。<br />
　ジョージはゴツイ系のいい男だが、筋肉はタンクトップで誇示している。<br />
　「あんたたち、できてるの？」<br />
　「まぁ、ぶっちゃけ、そういう時期もありましたけど、いろいろすったもんだあって、いまは友達です」<br />
　ジョージが隣でうんうんと噛みしめるようにうなずいている。そのしたり顔に腹が立ったので、「こいつ、腰は軽いし、手は早いし、頭はいいわで手に負えないんです」と付け足してやった。<br />
　「タチが悪いんだ？」<br />
　「はい。狡猾で、バレないようにやるんです・・・でもまぁ結局バレて、こんななってますけど」<br />
　「でも、はるばる手伝いに来てくれるなんて、良い友達じゃない？」<br />
　「表向きは手伝いとか、父さんの母国を知りたいとか、いろいろほざいてますけど、本心はどこにあるのやら。店の客にはあまり手を出すなよと言ってあります。手を出しても、もめごとにはするなよ。もめごとになっても、オレにはバレないようにしろよって」<br />
　「結局、公認じゃない？」<br />
　「ラテンの血は止められないんですよ」<br />
　「ジョージ、氷ちょうだい！」<br />
　客からお呼びがかかった。オレ以上にモテモテだ。<br />
　「でも、こいつ、さっきも言いましたけど、頭がすごくいいんです。向こうでは親父の片腕となって働いてたし、先を見る目もあるし。こっちでいろいろ協力してもらえたら心強いなって思ってます。なので、すこしは見逃そうかなと」<br />
　<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　１０<br />
<br />
<br />
　１０月の穏やかな秋の日、加奈子が荷物をまとめてバンビのマンションに引っ越してきた。<br />
　室内にはヨハンシュトラウスのワルツが流れている。<br />
　テーブルには行きつけのフレンチからケータリングした御馳走が並んでいる。<br />
　壁にはディズニーアニメのシンデレラが着てたような召使い衣裳が掛かっている。<br />
　すべてバンビが用意した。<br />
　人生は短い。生きてるうちは楽しまなくちゃ。<br />
　加奈子はビックリしていた。でも、感激して泣いたりはしなかった。バンビが『オズの魔法使い』に出てくる悪い魔女みたいなコスプレをしていたからだ。<br />
　顔を薄緑に塗っている。先端が二つに分かれて折れ曲がったトンガリ帽子をかぶっている。右手には革の鞭を持っている。衣裳は黒を基調としたミニの魔女ドレスだ。<br />
　メイクがとてつもなく邪悪で意地悪そうで怖かった。口紅は真っ赤を通り越して血のよう。嗅いだことがない変な香りが漂っていた。<br />
　「さぁ、パーティーの始まりよ」<br />
　バンビ魔女は高らかに宣言した。<br />
　部屋のあちこちに大勢の小人が隠れてて、出てきそうな気がした。<br />
　「シンデレラ、この衣裳に着替えてらっしゃい」<br />
　そうか、わたしはシンデレラなのか・・・今日からバンビさんがわたしのご主人で、わたしは召使いだ。そのイニシエーションをいま、やってるのだ。<br />
　加奈子は壁に掛かった衣裳を手に取ると、部屋を出て、廊下で大急ぎで着替えた。部屋に戻ると、バンビさんはベルサイユ調の猫足椅子に座って待っていた。<br />
　「よくお似合いよ、その服」<br />
　そのまま変な間が空いたので、わたしのセリフの番かと察し、<br />
　「ありがとうございます、ご主人様」と膝を折って、恭しく頭を下げた。<br />
　「よろしい。では、そこに座りなさい」<br />
　向かいのミシン椅子を顎で指した。<br />
　「はい。ありがとうございます」わたしは腰を下ろした。<br />
　そのままバンビさんは恐ろしい魔女メイクのまま、わたしを凝視していた。どこまで本気か、どこから冗談かがわからず、反応に困った。<br />
　ゆっくり相好を崩すと「・・・疲れたわ」と笑った。鞭を脇に置いた。<br />
　「ありがとうございます。こんなもてなしをしてくださって、とても嬉しいです」<br />
　わたしは本心から頭を下げた。<br />
　「バンビのニューハーフ王国はそなたを歓迎するぞ。今日から一生懸命に身を粉にしてこの館で働くのじゃ。わかったな」<br />
　まだ、寸劇は終わってないようだった。<br />
　「ははぁー」とわたしはもう一度、頭を垂れた。<br />
　「じゃ、とりあえず乾杯しますか。お酒は飲める？」<br />
　「すこしなら」<br />
　「じゃ、そこのシャンパンを開けてきて」<br />
　アイスペールに入ったシャンパンとコルクスクリューを顎で指した。<br />
　「はい、ご主人様」<br />
　二つ返事で答えたものの、シャンパンのコルクなど、いままで開けたことはない。悪戦苦闘してると、魔女バンビが見かねてやってきて「こうやるのよ」と言って、抜き方を教えてくれた。<br />
　「料理は得意？」<br />
　美味しいフレンチの御惣菜をいただきながら、懇談会は続いた。<br />
　「あまりしたことありません」正直に答えた。<br />
　「自分で何でもやれって環境にいたように思えるけど」<br />
　「逆なんです。手伝いとかもあまりしなくていいんです」<br />
　暮らしていた養護施設の内情をすこし話した。法律か何かで決まっているらしい。<br />
　「これから一生懸命おぼえます」<br />
　「期待してます」<br />
　「何か規則みたいなものがあったら、教えてください」<br />
　「規則？　ＮＧなこと？・・・そうね、友達や男を呼ぶのはＮＧ。・・・そのぐらいかな？　何しろこっちも人と暮らすなんて１６のとき家を飛び出て以来だから、まだ勝手がよくわかりません。一緒に毎日を過ごしながら考えていきましょう」<br />
　「わかりました。・・・どうもすみません、いろいろご迷惑をかけてしまって」<br />
　バンビさんはわたしのボヘミアンな生活の窮状を見かねて、声をかけてくれたように思える。家の仕事をする代わりに、生活の面倒は見ると言ってくれた。ちゃんと家の仕事をして、恩に報いなくては。<br />
　でも、それと同時に、バンビさんと暮らせるなんて本当に夢のようだと胸の高まりも隠しようがなかった。どんな生活なのかは、実際に暮らしてみないとわからないけど、すごく楽しみで、すこし不安だ。<br />
　「バイトとかも無理にしなくていいからね。学生なんだから、いまは学業に勤しみなさい。何か必要なものや欲しいものがあったら、遠慮なく言いなさい」<br />
　「はい。ありがとうございます」<br />
　「・・・なんかわたし、母親みたいね。保護者みたいだわ」<br />
　自分で言ってておかしくなったのか、バンビさんは笑った。「大学だから授業参観とかはないわよね。ＰＴＡとか、そういうのは何かあるの？」<br />
　「・・・ないと思います」<br />
　「学費とかはどーなってんの？」<br />
　「・・・いまは父親が半分出してくれてます。あと半分は奨学金で賄っています」<br />
　「・・・父親とは会ってるの？」<br />
　「会ってません。幼いころに何回か会ったきりです。向こうにも新しい家庭があるので・・・いまは生活も安定してるらしく、学費を半分出してくれる約束をしてくれました」<br />
　「・・・お母さんは？」<br />
　「死んだと聞いています」<br />
　「写真とかは？」<br />
　「ありません。記憶もないです」<br />
　「・・・茨の道ね。お察しします」<br />
　「バンビさんは、おうちはどんな感じなんですか？」<br />
　「うちは幼いころ離婚して、母親がわたしを育ててくれてたんだけど、中学生のとき新しいお父さんが来て、わたしがうまくやれなくて、１６のとき家出。そして現在に到る・・・って感じです」<br />
　「お母さんと連絡は取れてるんですか？」<br />
　「取れてません。いまは取ろうともしてません」<br />
　「・・・バンビさんもいろいろあったんですね」<br />
　「はい・・・いろいろありました」<br />
　「お察しします」<br />
　「じゃ、これからは２人で幸せな家族をやっていきましょう」<br />
　バンビさんは玄関を入ってすぐ左の、納戸で使っていた６畳の角部屋をわたしにあてがってくれた。廊下に沿って隣室は同じく６畳の衣裳部屋で、その隣はバンビさんの寝室兼個室だ。その先にいま一緒にいる２０畳ぐらいのＬＤＫがある。お風呂やトイレは廊下を挟んでわたしの部屋の向かい側にある。３ＬＤＫの間取りだ。<br />
　持ってきた荷物を自分の部屋に運びこんだ。大きなスーツケースと大きな肩掛けバッグ。持ちきれなかった残りのものは明日宅配便で届くことになっている。<br />
　テレビやトースターや食器などの生活用具はすべて同居していたゆかりにあげた。ゆかりには本当のことを話した。親友だし、定期的に連絡が入る施設の人も心配するからだ。落ち着いたら電話するねと約束した。<br />
　部屋には何もなかった。カーテンもないし、家具もない。天井に蛍光灯はついていた。ずっと雨戸を閉めっぱなしだったそうだ。<br />
　これからバンビさんと家具や生活必需品などを買いに行くことになっている。<br />
　さ、ＬＤＫに戻り、食べ散らかした食卓や部屋の掃除をしなくては。<br />
　今日から新しい生活が始まる。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　１１<br />
<br />
　<br />
　バンビさんの１日はだいたいこんな感じだ。<br />
<br />
　◎お昼ごろ　　　　起床＆昼食<br />
　◎デイタイム　　　ダンスや歌のレッスン<br />
　◎夜７時　　　　　夕食<br />
　◎夜７時半　　　　出勤準備<br />
　◎夜８時半　　　　出勤<br />
　　（夜９時 ～ 翌２時『人工の森』勤務）<br />
　◎３時過ぎ　　　　帰宅<br />
　◎６時ごろ　　　　就寝　　<br />
<br />
　同伴出勤の日はいつもより早く出る。<br />
　出勤前に美容院やネイルサロンに行く日も多い。<br />
　からだのケアに病院やエステも定期的に行く。<br />
<br />
　わたしは基本８時半から夕方４時半まで大学に通っている。<br />
　大学から帰ってくると、バンビさんが出勤する８時半まで一緒に過ごす。夕食の支度をして、食べながら一緒にテレビを見たり、話したりする。<br />
　バンビさんが出勤すると、わたしは洗い物や掃除や洗濯や、家事をする。一通り終わると、自分の時間となり、お風呂に入って１２時ごろに寝る。<br />
　バンビさんが仕事から帰宅するとき、わたしは眠っている。学業に響くから寝てていいと言われている。わたしが６時に起きるとき、バンビさんはもう眠っているか、寝ようとしてるときだ。わたしはバンビさんのお昼ご飯の用意をして、学校へ行く。サンドイッチや調理パンを作るときもあるし、ご飯を炊いて鮭や卵を焼いてお味噌汁を用意しておくこともある。<br />
　バンビさんの休日は、日曜月曜祭日だ。わたしの休校日は日曜祭日だ。<br />
　休みの日はゆっくり過ごしたり、買い物のお付き合いをしたり、一緒に外食したりする。<br />
<br />
　バンビさんとの生活もだんだん慣れてきた。<br />
<br />
　今日は日曜お休みの日。<br />
　わたしはいつもより１時間早い５時に起きると、パジャマのままトイレへ行った。異常なし。玄関へ行くと、バンビさんの白いハイヒールが転がっていたので、手に取り、ウェットティッシュで汚れを拭き、きちんと並べた。１時間早く目覚めてしまったのは、何やら騒がしかったからだ。だいぶ酔っ払って帰ってきたようだ。リビングに行くと、ドレスやコートが脱ぎ散らかしてあった。本体はいない。<br />
　この前はソファでうずくまるように寝ていた。まださほど寒くないのに暖房を入れてるから風邪は引かないと思ったけど、ソファだとからだが休まらないだろう。抱えて寝室まで連れて行った。バンビさんはヒールを脱ぐと、１６０ちょいで、意外に小さく軽い。ベッドに横向きに寝かせて、布団をかけた。化粧を落としてなかったけど、わたしは落とし方をよく知らない。今度、教えてもらおう。シリコンのせいで寒がるので暖房を入れて、部屋を出た。<br />
　今日はちゃんとベッドで寝てるのかなと思い、リビングを出て、バンビさんの寝室を覗いた。明かりがついている。ベッドにもぐりこむように寝ている。後ろ髪のスパンコールが光っている。ドレッサーの様子から化粧は落としてないと思うけど、この体勢ではなすすべもない。近くに行き、呼吸しているのを確認し、明かりはそのままにして部屋を出た。空気が乾燥してるので、暖房はつけなかった。<br />
　リビングに戻り、床のドレスを拾い、汚れやダメージをチェックした。問題なし。ブラッシングして、形を整えて、ハンガーに掛けた。隠しポケットに手を入れると、折り畳まれた１万円札が２枚出てきた。同様にコートを拾い、外観をチェックする。問題なし。ポケットから玄関の鍵と携帯と財布を回収し、テーブルの上に置いた。ソファに放られていたシャネルのバッグを拾う。中のものを丁寧に外に出す。化粧品と香水はきれいに拭いてドレッサーの上に。裸のお金と名刺はそれぞれクリップで挟んで、さっきのお金も足し、チェストの所定の場所に収めた。衣裳、所持品チェック完了。<br />
　掃除機はうるさいからバンビさんが起きてからかけよう。<br />
　さて、どうしようかな？<br />
　バンビさんが起きてくるのは午後だろうから、午前中がまるまる空く。お昼ご飯の用意は１１時ぐらいからで間に合うだろう。家食だろう。納豆でいいかな。ご飯を炊いておこう。<br />
　先週はリビングでバンビさんが映っているビデオを観て過ごした。<br />
　今日は外にでも出てみようかな。<br />
　近所の探検にでも行ってみよう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　１２<br />
<br />
<br />
　楽井未来は巣鴨にある実家に来ていた。<br />
　今日は祖父ちゃんの命日だ。絶対帰宅となっている。<br />
　しかし、わたしは法事には出なくていいと言われている。わたし的には出てもいいのだけれど、出なくていいと言われている。出るなということだ。まだ、親戚公認ではないのだ。<br />
　実家には父と母、祖母が暮らしている。古い趣きのそこそこ大きな家だが、豪邸ではない。弟はコロラドに留学中だが、今日は帰ってきている。絶対帰国なのだ。<br />
　仏壇に位牌が戻され、持ち帰った供物やなんやらが並べられ、何回忌とかの法要がつつがなく終わったこれからが、わたしの供養タイムとなる。わたしは父母に一礼し、お座布に座り、今度は祖父ちゃんの遺影に一礼し、おりんをチーンと鳴らし、お線香をあげて、手を合わせる。写真の祖父ちゃんは今年も笑っている。いつのまにか女になった孫が来て、喜んでるんだか、悲しんでるんだか、わからない。<br />
　さて、用事も済んだし、さっさとおいとましてもいいのだけれど、今年も居間に席が用意してあるみたいだ。家族５人が年に一回水入らずで顔を合わせる。わたしは『未来会議』と呼んでいる。<br />
　２４歳になった弟は、会議の間、ほとんどわたしを見ない。話もしない。どう接していいかいまだにわからないようだ。５年前に急にお姉ちゃんができたのだ。無理もない。もともと、よく話したり一緒に遊ぶという兄弟ではなかった。たぶん死ぬまでこんな関係が続くのだろう。だんだん父にクリソツになってきた。守るものばかり増やし壁を築いていく人生だ。<br />
　昨年に喜寿を迎えた祖母は自分の意思で生きているのかよくわからない。ずっと死んだ祖父ちゃんの影だと思っていた。いつも後ろにいた。<br />
　母も似たり寄ったりだ。わたしのせいで余計に肩身が狭くなったようだ。<br />
　・・・ということで、父とわたしが話さなければ、この席には会話がない。ただ、黙々と用意された食べものとお酒を口に運ぶだけだ。実際、１年目はお通夜のようだった。いなくなった長男を偲び、忽然と現われた長女を畏怖する。<br />
　でも、いまはだいぶ、明るくなってきている。第一に、わたしの豹変は家族の間で認められている。それどころか、表向きは応援されてもいる。<br />
　父にどんな変化があったのか、詳細はわからない。ただ、ボストンにいたときだったが、父から突然電話があり、お前が真剣に問題に向き合ってるのなら、とある大学の教授に会えばいいと言われた。思い返せば、それが最初の『つて』だった。正直な話、自分は留学生という立場で図書館や研究機関を訪ね回っていたが、これといって成果はあがっていなかった。会った大学教授は同性愛研究のオーソリティーで、そこから医学者、マスコミ関係者、活動家などと『つて』がゆっくり拡がっていき、わたしは最終的に最先端の知識や情報を得ることができた。もちろん、独自に動いたことも多い。東洋人好きや変質者に襲われそうになったことも数知れない。<br />
　性転換手術をタイで受けたときも、家族には相談しなかった。賛成してくれるはずもない。帰国し、しばらくリハビリした後、就職活動を始めた。普通の女性として働きたいが、障壁がバカ高いのはわかっていた。しかし、第一希望の広告代理店で正直に思いの丈を話したところ、すんなり採用となった。自分の熱意が通じたのだと当時は思っていたが、裏から何らかの手が回っていたのかもしれない・・・なんていまは思う。<br />
　父は変わり身の早い人だ。でなければ、有能でも切れ者でもないのに、財務省の事務次官にまで昇りつめられるわけがない。自分の家がいわゆる名家の端くれだと知ったのもそのころだ。祖父ちゃんも官僚だったし、親戚には政治家もいる。<br />
　ただ、父にそこまでの力があるとは思えない。あるとしたら、父の上にいる人たちだ。<br />
　「それで仕事はうまくいってるのか？」<br />
　父が口を開いた。だいぶ、酔っぱらっている。お酒を飲むと明るく楽しくなる人なので、そこは助かる。<br />
　おかげさまで・・・と応えればいいのだろうが、そうとは応えないから、いまの自分がある。でも、面倒臭いから「おかげさまで」と答えた。<br />
　「なにか、ミキは年々綺麗になっていくな」<br />
　女性の息子に慣れたのだろう、今年はわたしをきちんと見ながら言った。ミキと呼んでくれるようにもなった。<br />
　こういう切り替えの早さと配慮が、出世の階段を一段ずつ増やしてきたのだろう。<br />
　「なぁ、母さん」<br />
　振られた母は「ええ」と微笑んだ。その後「ホント、娘ができたみたいですね、お父さん」と付け足せば、母として合格。「わたし、実を言うと本当は娘が欲しかったんですよ。願いがいまになって叶いました」とまで言えば、更に好感度アップなのだが、そうは言わないから、お母さん今日のあなたの立場がある。<br />
　「黒のフォーマルを着てるからじゃない？　喪服の女は綺麗に見えるのよ」<br />
　わたしは適度な謙遜を入れて、礼を返す。<br />
　「そういうものかなぁ」父は言って、今度は弟を見る。<br />
　弟は好物の出汁焼き卵を食べながら「そういうものじゃない」と顔も上げずに答える。<br />
　つまらない時間をだらだらと過ごすのは非生産的で好きじゃないので、ここは自分が芸者にでもなって場を明るく盛り上げようかなんて考えるけど、それが突破口となって様変わりする家族とも思えず、結局疲れて、やらなければよかったと後悔するのが目に見えているので、あと１５分もしたら何か用事があると言って、おいとますることにしよう。今年は別に大した話もなさそうだし。<br />
　さて、この後はどうしようかな？　<br />
　先生に抱いてもらおうかな。今日は午後からオフだって言ってたし。喪服の女は先生の妄想を刺激するかしらん？<br />
　祖父ちゃんの命日だっていうのにそんな罰当たりなことをあれこれ考えながら、台所でフルーツやらお菓子やらのお裾分けを袋に詰めてもらっていたら、家に帰ってきて完全にリラックスし追い酒でデキあがった父がよろけながらやってきて、食卓の椅子にどかっと落ちるように座った。<br />
　「樹生、お前、将来、大臣になるらしいぞ」と言った。<br />
　「だからミキオじゃないって」<br />
　父は飲み過ぎレベルに突入すると、わたしを本名で呼ぶ。<br />
　「え・・・いま、なんて言った？」<br />
　「お前、大臣になるんだってさ。森山さんが言ってた」<br />
　「森山さん？」<br />
　「森山政務次官だよ」<br />
　「大臣って？　政治家の？」<br />
　「そう・・・候補の一人らしい。まだまだ先の話みたいだけどな」<br />
　また、酒の席の話か・・・こういうインサイダー情報は、話半分以下の四分の一ぐらいで聞くのがちょうどいい。計画変更になることもあるだろうし、ギミックのときもあるし、ただのホラ話のときもある。でも、２５％の信憑性はあるということだ。広告業界にもその手の話は山ほど渦巻いている。基本、この世界は利権で動いている。偶然に起きることなんてほとんどない。すべては偶然に見せかけた必然だ。<br />
　父は昔から、こういう話をぽろぽろと口に出す。基本、エリート意識が支えている人なのだ。まぁ内幕情報は優越感をくすぐるから誰でも言いたくなるよな。<br />
　しかし、大臣って何の大臣だ？<br />
　「新設の大臣らしいぞ・・・ほかにも芸能界を中心にいろいろ候補がいるらしい」<br />
　芸能界？　ということは、やはりオネエ、マイノリティの代表みたいなものか？<br />
　いいでしょう。喜んで受けましょう。<br />
<br />
　さ、お土産持って、先生のとこへ行こう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]>
    </description>
    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
    <link>https://chao213.blog.shinobi.jp/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%90/%EF%BC%A8%EF%BC%B02000%EF%BC%88%E4%BB%AE%E9%A1%8C%EF%BC%89%EF%BC%98%E3%80%80%EF%BC%99</link>
    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 22:54:06 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>ＨＰ2000（仮題）　１　～　　７</title>
    <description>
    <![CDATA[<br />
　　　　　　１<br />
<span style="font-size: large;"></span><br />
<br />
　マリアさんが死んだという報せをわたしは疲れ果てたベッドの中で聞いた。<br />
　電話はママからだった。いま、警察に行って確認してきたという。<br />
　首吊りや練炭やリストカットや目に見えての自殺の形跡はなかったらしい。数日前から、飼っていた３匹の犬がうるさくて隣室から苦情が入り管理人がドアを開けたところ、炬燵の天板に顔を突っ伏す姿勢で亡くなっていたという。<br />
　バッグに入っていた店の名刺からママに連絡があったみたいだ。<br />
　「何か思い当たることはあるかい？」ママに聞かれた。<br />
　きっと警察で同じことを聴かれ、もしかしたらわたしが何か知ってるかもと思い、電話してきたのだろう。<br />
　「これといって特に何も・・・」わたしは答えた。<br />
　特に、じゃないことならいっぱいある。それはママもわかっている。<br />
　マリアさんはここ１週間ぐらい無断欠勤していた。珍しいことではない。いつものことだ。そろそろマネージャーのルビさんが様子を見に行くタイミングだった。<br />
　無断欠勤は１万円の罰金だ。マリアさんは月給より罰金が多くなることがしばしばで、ママも手を焼いていた。それでも店に来ればチップとか指名料バックも入るし、マリアさんには特定の上客もついていたから、ママも大目に見ていた。<br />
　マリアさんのホスト狂いは店でも有名だった。金をせしめることが基本のドライな人が多いこの世界で、金を貢ぐタイプはそう多くない。でも、中にはマリアさんのように「情にもっていかれる」ウェットなタイプの人もいる。もちろん、本人だって「バカなことをしてる」とわかっている。でも、どうにもならなかったんだと思う。<br />
　わたしとは以前にショーで１か月間ペアを組んだことがあり、店の中では比較的話す仲だった。マリアさんの答えの出ない相談に辟易することも多かったけど、指名のお客さんの席にはいつも呼んでくれてヘルプ代もちゃんとくれたし、可愛がってくれた。<br />
　ポツンと心ここに在らずみたいにボーッとしているマリアさんの姿が浮かぶ。誰か特定の男の人が現われれば、こんなことにはならなかったんじゃないかと思う。彼氏ができて、この世界をやめていく人はかなりいる。戻ってくるパターンも恒例だけど、古典的な幸福観の人も多いのだ。<br />
　わたしは昨夜、マリアさんの夢を見たことをぼんやり思い出していた。マリアさんは「すぐ返すから、お金を貸して」と言った。わたしは現実世界と同じく、首を振って断った。「ママから従業員同士のお金の貸し借りはダメだって言われてるから」実際にママにもそう言われてるし、ママをダシに使うのもいつものことだ。余計なとばっちりを食いたくない。<br />
　「・・・何かわたし、手伝うことありますか？」わたしはママに聞いた。<br />
　「いま、親に連絡を取ってるみたいだから、その結果待ちだね」<br />
　マリアさんは郷里は福岡だと言っていた。親や親族は引き取りに来てくれるのだろうか？<br />
　「あと・・・店の子にはまだ言っちゃダメだよ。刑事さんにも言われてるし」<br />
　死因がはっきり判るまでは、ということだろう。<br />
　ママが電話を切った音を確認し、わたしも受話器を戻した。<br />
　わたしはレッスン漬けの日々で、くたびれていた。歌のレッスン、踊りのレッスン、最近はタップダンスのレッスンも受けている。寝る時間を削ってでもやるんだと勇ましく言いたいところだけど、睡眠が足りないと顔や脚がむくむので、無理にでも集中して寝るようにしていた。<br />
　うとうとと再び眠りに落ちていく境界で、マリアさんにあのときお金を貸してあげればよかったかなと後悔した。・・・でも、やっぱり貸していなかっただろう。<br />
　目が覚めたら、そのときちゃんとマリアさんのことを考えようと思った。<br />
　遅くはないよね。もう死んじゃったのだから。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　２<br />
<span style="font-size: large;"></span><br />
<br />
　楽井未来（らくい みき）は右奥のテーブルで、チーム主任の黒田と、クラブ『人工の森』のショータイムを観ていた。七色のライトやストロボがまばゆく舞台を照らす。大音響の店内。耳がどうにかなりそうだ。<br />
　黒田は愉しそうだ。チップが経費で下りるなら、持たせてやりたかった。<br />
　未来はあいもかわらずだなと思って観ていたが、誰もわたしに気づく者はいない。メンツも８年前とは半数以上変わった。入れ替わりが激しい業界だ。<br />
　ショーが終わり、落とされていた客席の照明がもとに戻り、指名したニューハーフがやっとテーブルにやってきた。さっきまではヘルプの新人の子が２人付いていた。<br />
　「遅くなって、ごめんなさい」<br />
　ニューハーフは落ち着いた物腰で会釈をした。ショーの衣裳をつけたままだ。<br />
　いまごろ、楽屋は着替えでごったがえしている。着替えは後回し、とりあえず指名客のところへ急ぐ。<br />
　「はじめましてですよね？　どなたかのご紹介ですか？」<br />
　ニューハーフは言いながら、わたしたちのグラスを回収し、レミーのキャップを空けながら「水割りでよろしいですか？」と聞いた。わたしたちがうなずくと、慣れた手つきで水割りを作り、ナプキンでグラスの雫をきれいに拭き取ってから、わたしたちの前に優雅に置いた。<br />
　ボトルは奮発してレミーにした。ニューハーフの対応が違ってくる。<br />
　「今日は彼女に連れられてきたんです」<br />
　黒田は横を向いてわたしを指した。半裸のニューハーフにじっと見つめられて、緊張しているみたいだ。<br />
　ニューハーフは視線をわたしに移し、返事を待っている。ホステスには見えないけど、と考えてるみたい。もしかしたら勘が鋭いから「同業者？」と思ってるのかもしれない。<br />
　「８年ぐらい前に来たことがありまして。そのとき、新人だったバンビさんと意気投合して、まだいるかなと思って指名したんです」<br />
　「あら・・・うそ。うれしーい！」<br />
　ニューハーフはやっと見覚えのある、昔ながらの人懐っこい顔を覗かせた。８年ぶりに会いに来たと言われ、嬉しくない人間はいないだろう。でも、マジ、キレイになった。<br />
　「どう、わたし、イイ女になりました？」<br />
　ニューハーフは立ち上がって、シナを作った。黒田の前で片脚を『くの字』型に上げて、サービス。<br />
　わたしが「うん」とうなずいたら、きっと「ありがとう。おねえさんもすごくイイ女になったわよ。・・・前を全然憶えてないけど」などとオチをつけて笑わせてくれるんだろう。<br />
　実際、近いことを言われて、黒田は楽しそうに笑っていた。<br />
　はい、わたしも笑わせていただきます。<br />
<br />
　未来は広告会社の人間であると名刺を渡し、自己紹介をした。<br />
　ニューハーフを起用するプロジェクトを現在企画中で、もしその案が始動となった暁にはバンビさんにも是非ご協力を仰ぎたい。今日は上司である黒田にバンビさんを見せる目的で来ました。ほかの店も回っています。<br />
　「どんなプロジェクトなんですか？」<br />
　「いいお話だと思います。動き出しましたら、改めて、ご連絡させていただきます。もしよろしければ、お電話番号をいただけますか？」<br />
<br />
<br />
<br />
<span style="font-size: large;"></span><br />
　　　　　　　３<br />
<br />
<br />
　『マリアを送る会』が新宿の『ＶＩＶＡ！』で催された。<br />
　『ＶＩＶＡ！』はマリアさんがいちばん長く勤めていた店だ。<br />
　３匹の犬の引き取り先捜し、部屋の後片付け、宝石や衣装などを換金し借金返済、形見分け・・・『ＶＩＶＡ！』のママが全部やったらしい。<br />
　亡骸は親が上京し、火葬にし、郷里に帰った。<br />
　死因は心不全だったらしい。マリアさんはここ半年、精神科に通院してて、そこで処方された強い薬と、お酒の飲み過ぎが肉体に突発的なダメージを与えたのではないか。強い睡眠薬も常用していたが、自殺ではなかったらしい。<br />
　『送る会』は店の閉店後に行われた。<br />
　バンビがすこし遅れて到着すると、店にはもう２０人ぐらい集まっていた。<br />
　ステージ中央にマリアさん愛用のヴィトンのバニティケースが置かれ、その上に遺影が飾られていた。華やかなショーの衣裳をつけてる写真で、顔はまだふっくらとし表情にも明るさがあった。５年ぐらい前の写真だろうか。<br />
　バニティケースの周りにはたくさんの色とりどりの花がばらまかれ、ケースの前には大きな水鉢が置かれ、マリアさんが好きだったという白い百合の花が活けられていた。ヘネシーのボトルとグラス、マルボロが供えられ、それらを縁取るように使いかけの香水瓶が並べられていた。天井からはバレリーナを照らすような白いスポットが祭壇に落ちていた。<br />
　水鉢にお酒を注いでもいいし、香水をかけてもいい趣向だと、一足早く来ていたラララに教えられた。ママは参列者に簡単な挨拶をした後、思い思いにマリアを偲びましょうと言ったらしい。客席の照明は落とされていて、音楽も静かなピアノ曲が優しく悼むように流れていた。<br />
　バンビはママから預かってきた香典と自分の香典を祭壇の前に置くと、シャネルの５番を選んで手に取り、水鉢にシュッと一噴きした。いろんな香りが低くアラベスクを描くようにたゆたっている。遺影をもう一度見て、掌を合わせ、何か言おうとしたが、いまだにマリアさんが死んだという実感がなくて、慰霊の言葉が出てこなかった。<br />
　亡骸でもあれば、死を信じるしかないだろう。でも、マリアさんの死顔はない。それはどんな死顔だったのだろうか？　ちゃんとお化粧してもらったんだろうか？<br />
　「安らかにお眠りください」バンビは言って、その場を退いた。<br />
　『ＶＩＶＡ！』のママのところに行き、挨拶をした。ラララから聞いていたが、面倒見の良さそうな優しそうな人だった。『人工の森』でのマリアさんの様子を聞かれたから話したけど、その表情を明るくするような話題はなかった。<br />
　バンビはラララが座っている端のテーブルに行った。「水割り？　お茶？」と聞かれたので、お茶をもらった。ラララはこの店にいたことがあるから、自分の家のようだ。<br />
　ラララは６年前に古巣新宿に戻っていた。『人工の森』に在籍してたのは２年弱。でも、いまでも、原宿や青山に来るときは連絡をしてきて会って一緒に買い物とかしている。『人工の森』時代はお互い新人でライバルだったが、いまでは戦友のようなものだ。<br />
　「なんだかなーーって感じよね」<br />
　ラララは言った。「いまにもそこのドアを開けて、おはようございますって入ってきそう」<br />
　「うん、実感ないよね。もともと現実感もない人だったけど」<br />
　「どんな感じだったの？」<br />
　「最近は店にもほとんど出てこなくて。正直、よくわからない」<br />
　「新宿から出ればって勧めたの、わたしなんだよね。ねえさん、また歌舞伎町のホストにいいようにされてたから」<br />
　「それ、聞いた。新宿を離れて、心機一転、一からやり直しますからよろしくお願いしますってママに言ってたみたい。でも、マリアさんの場合、ハワイぐらいまで行かないとダメだったよね」<br />
　その後も参列者は途切れなかった。マリアさんがハマってたホストも来るんだろうか。職場、新宿だし。・・・来るわけないか。<br />
　ラララともう一度、マリアさんのところへ行って、掌を合わせた。バンビはさっき、頭をよぎったことを思い出した。<br />
　「・・・マリアさん、死に化粧はしてもらったのかな？」<br />
　「ママがしてあげたみたい。警察に頼みこんで、上京した親も説得して。警察病院の安置室で、お坊さんが来る前に」<br />
　「・・・よかった」<br />
　「そこは大事だよね。自分でもそうしてほしいもの。できたら、自分でやりたいぐらい」<br />
　「ラララだったら、やりかねないよね」<br />
　バンビはラララを見て、笑った。<br />
　２人はもう一度『ＶＩＶＡ！』のママのところへ戻って、深く一礼した。<br />
<br />
<br />
　「それでどーなの、最近は？」<br />
　ラララはメニューを見ながら、聞く。<br />
　近くの夜間営業している喫茶店に来ていた。<br />
　「お疲れモードＭＡＸ」<br />
　バンビは答えた。<br />
　「聞けば、ナンバー１の座から陥落したって話ですけど」<br />
　メニューをバンビに渡し、タバコを取り出す。<br />
　「もうどうでもいいの、空しいわ」<br />
　「いま、何位ぐらいなの？」<br />
　「５位か６位ぐらいかな・・・同伴日以外は無理してお客さん呼ばなくなったし」<br />
　「すこしお痩せになった？」<br />
　「最近、ハードスケジュールなの。調子に乗って、レッスンを入れ過ぎた」<br />
　「ダンス？」<br />
　「うん。それにタップ、バレエ、ボイトレも続けてる」<br />
　「昔から踊るの、大好きだもんね」<br />
　「うん。・・・ここだけの話、もっと本格的なショーができる店に移りたいなって考えてるんだ。同業でも大阪にあると聞くし、女の子の店でもいいし」<br />
　「『赤坂ブロードウェイ』とか？」<br />
　「うん。あそこのオーディションはかなり難しそうだけど・・・でも、行けたら最高」<br />
　「で、毎日、厳しいレッスンに耐えてるってわけですね」<br />
　「そう。・・・がんばってます」<br />
　バンビもラララと同じクラブサンドイッチを頼むことにした。違う種類を頼んで、いつものようにシェアしよう。<br />
　「ララちゃんはどうなの？」<br />
　「ララちゃんは楽しいがいちばんだから、いまのままで満足。みんな、優しいし、あったかいし、お酒は美味しいし」<br />
　ラララが『人工の森』を辞めたのは、冷たい殺伐とした人間関係に耐えられなくなったからだ。売り上げ高競争、完全指名制、見栄とカネが渦巻く疲弊的な世界。まるで小さな戦場で働いてるみたいだった。<br />
　ラララは２年前に『ＶＩＶＡ！』から、同じ新宿にある『虜』に移った。『ＶＩＶＡ！』も楽しい店なんだけど、ママがちょっと私生活にも干渉し過ぎで、うざいときがあったそうだ。<br />
　「エバさんは元気にしてる？」<br />
　「元気だよ。最近は落ち着いてる」<br />
　「わたし、最初に聞いたとき、マリアさんじゃなく、エバさんだと勘違いしちゃったわ。どっちかとゆーと・・・そうでしょ」<br />
　「うん。・・・でも、エバさんは不安定という名の安定だから。不安定が板に付くと蒲鉾みたいにしっかりしてくるんじゃない？　近ごろ、見てて、そう思う。あの人は意外にしぶといって」<br />
　ラララと話してると楽しい。齢も近いし、裏表がないから本音で話せる。打算的なタイプでもないし、スレてるところもない。<br />
　違うところは、わたしはドライな砂漠でもなんとなく生きていられるけど、ラララは緑豊かなオアシスがないと身も心もすぐに干上がっちゃうってとこかな。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　４<br />
<br />
<br />
　エバさんが珍しく明るいナンバーを歌っている。<br />
　あなたに抱かれてわたしは蝶になる、と指をヒラヒラさせて、サンバのステップを踏みながら楽しそうに歌っている。<br />
　エバさんはこの世の中に新しい歌が次から次へと生まれてることを知らないみたいだ。歌うのは昭和の懐メロか、昔の洋楽。彼女がこどものとき、１０代のときに流れていた歌。まるでそこで世界の歌が終わってしまったかのようだ。<br />
　もちろん、懐メロは年配のお客さんにウケがいい。エバさんもそこはチャンと計算してのことだろう。<br />
　今日は、来月に店で歌う歌の練習だ。<br />
　ショーとショーの合間、生ピアノに合わせて、ニューハーフが歌を披露する。<br />
　練習は、毎月、月末の閉店後に行われる。あらかじめ歌いたいナンバーをピアノの先生に伝えておく。２分程度にピアノアレンジしてくれる。<br />
　エバさんは振りをつけてノリノリで歌っている。<br />
　新しい恋人でもできたのかな？<br />
　・・・と思って聴いてたら「恋は心も命も縛り、死んでゆくのよ、蝶々のままで ♪」とか歌っている。やっぱり、いつもと同じ哀しい恋の歌なのね。ホント、報われない恋の歌が好きだなぁ。<br />
　今日、残っているのはバンビ、美の里さん、ローラさん、そしてエバさんの４人だ。ママも客席から怖い目でみんなの歌をチェックしている。<br />
　同じ歌をずっと歌っている人もいる。好きな歌手の歌をいろいろ歌っている人もいる。最新のヒット曲を好んで歌っている人もいる。<br />
　エバさんはなんで報われない哀しい恋の歌ばかり歌ってるんだろう？<br />
　悲劇のヒロインに酔ってる？・・・ちょっと違う気がする。もうすこし切羽詰まったものがエバさんにはある。エバさんはよくボイトレの先生が教えるような、歌の世界を理解し、それを表現して聴衆に伝える、なんてことはたぶん考えてない。自分の世界に浸りきって歌っている。歌っていくことで、だんだん純度が高まり、無色透明に結晶化していくガラスのようだ。<br />
　伝えようとか表現しようとか、不純な厭らしい思いがないから、不意に心をつかむ。引きこまれる。それはなんていうか、とてもキレイな世界だ。生温かい涙ではなく、涙が凍って光を放っている感じ。<br />
　哀しい恋をたくさん経験すれば、それが自分の糧となり、エバさんのような自然に心を揺り動かす歌を歌えるようになるのだろうか？<br />
　でも、わたしには無理だなぁとバンビは思う。距離感がうまく取れない。歌っているうちに哀しい記憶がいろいろ込み上げてきて歌えなくなりそうだ。泣いてしまいそう。泣いている姿で哀しさを伝えるなんて、こどもにだってできる。<br />
　バンビの番がやってきた。<br />
　終わったらどこかへ行くのか、みんな帰らないで客席で待っている。<br />
　ピアノの先生が静かに『サントワマミー』の前奏を弾きはじめた。<br />
　先月まで越路吹雪はアンナさんの十八番で、ほかの人は歌うのが実質禁止だった。でも、アンナさんが２か月前に店を辞めたので、解禁となっていたのだ。<br />
　バンビはふぅーっと大きく深呼吸をした。家で練習してきた通り、力を抜いて歌おう。<br />
　歌い出すとすぐさま「わぁ、ずるーい。バンビ、それ歌うの」とエバさんが客席で叫んだ。バンビは目で「早い者勝ちよ」と会釈を送り、越路吹雪のようにおしゃれに一幕のドラマのように歌えたらと思った。<br />
　『サントワマミー』は何人かの歌手が歌っているが、やっぱり越路吹雪が断トツでいい。別れの哀しい歌なのに、演歌にならないのは、主人公に「情に崩れ落ちていく寸前でとどまる」プライドと品位があるからだ。情けない自分の姿を人前に晒したりしない。どんなに辛くても、エレガントに振舞うのだ。<br />
<br />
　「じゃ、『キノコ狩り』に行こうか？」とママ。<br />
　「行く、行く！」とエバさん。<br />
　「・・・こんな夜中に？　遭難しても知らないよ」<br />
　どこに行くのか知ってるくせに、ピアノの先生がすっとぼけた風情で言う。<br />
　「美の里とローラはどうする？」<br />
　先生の相手をしてるといつまでもバカ話が終わらないので、ママはスルーして、２人に聞く。<br />
　夜中の３時。まだ、外は真っ暗だ。<br />
　でも、灯りが煌煌とついている街もある。<br />
　「どうしようかな？　ローラは？」と美の里さん。<br />
　「ご同伴いたします」とローラさんは即答。<br />
　「バビちゃんは？」<br />
　「行かないよ」ママが代わりに答える。「バンビは２丁目には行かないから」<br />
　「あら、どーして？」<br />
　「若い男には興味がないんです」<br />
　バンビはいつもの告白調の言い訳を口にする。<br />
　「若いキノコでしょ？」と懲りずにチャチャを入れてくるピアノの先生。<br />
　「じゃ、爺いが好きなの？」<br />
　美の里さんはまだ店に入ったばかりで、バンビやみんなのことを知らない。<br />
　「オジサンあたりからです」とバンビ。<br />
　「・・・愛したいじゃなく、愛されたい女なのね」とローラさん。<br />
　「若い子は金を持ってないからだよ」とママ。<br />
　「バンビ、行きましょうよ」とエバさん。「どうせ、ママのおごりよ。冷やかしでもいーじゃない？」<br />
　エバさんは店でキノコを買うことはないそうだ、ママが言ってた。若い男の子たちから、やんや喝采や羨望のため息をもらうことが楽しいようだ。<br />
　「それでその後さ、カラオケ行って、ピーナッツでも歌おうよ」<br />
　この前、お客さんのリクエストで、２人でピーナッツの『恋のフーガ』を歌った。振り付けも合ってなかったし、歌詞もうろ覚えなところがあったので、練習も兼ねて、あの続きをやろうってことだろう。<br />
　頑なな気持ちがちょっとぐらつく。<br />
　エバさんと一緒に歌って、踊るのは愉しい。<br />
　たまには行こうかな・・・<br />
　でも、人のうわさ話はあっという間に広がる。特にあの街は狭い。<br />
　「・・・今日は生理だから、やっぱりやめとく」<br />
　ホント、付き合いが悪い女ねって目がバンビに注がれる。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　５<br />
<br />
<br />
　ビルから舗道に出たところで「バンビさんですか？」と声をかけられた。<br />
　午前３時。仕事を終えて、タクシーを拾って、マンションに帰ろうとしてるところ。<br />
　見ると、若い女の子だった。背が高い。<br />
　何だろう？　ひどく場違いだ。客にしては身なりが・・・ＯＬっぽくもなければ、水商売っぽくもない。<br />
　「はじめまして、河合加奈子といいます」<br />
　女の子は丁寧にお辞儀をした。「美大生です。お話しがあって、待っていました」<br />
　声が上ずっている。ひどく緊張している。<br />
　「なあに？」<br />
　「この前、テレビを観ました」<br />
　ゴールデンで放映された、ニューハーフ特番のことを言ってるのだろうか？　わたしはショータイムが紹介された。<br />
　やおい系のファンかな？<br />
　「怖くなるほど、美しかったです。・・・でも、自分だったら、あそこはもっとこうする、こう表現するってところがいっぱいありました。わたし、バンビさんの美しさをもっともっと世に知らしめたいんです」<br />
　女の子は息せききって一気に言うと、肩からぶら下げた大きなバッグから、スケッチブックを取り出した。<br />
　「口で言っても伝わりにくいと思うので、絵コンテを描いて持ってきました。見ていただけませんか？」<br />
　女の子は卒業証書を受け取るように頭を下げてスケッチブックを差し出した。<br />
　仕事帰りの同僚たちが「何事？」って顔でこちらを見ている。<br />
　バンビは受け取ると、バッグを小脇に挟んで、ペラペラとページを捲った。<br />
　「これから朝食を食べに行くけど、じゃ、一緒に来る？」<br />
<br />
　河合加奈子は１９歳で、東京芸大の先端芸術表現科に通っている。<br />
　東京八王子のアパートに４月の入学から友達と住んでいるが、彼女が最近男をちょくちょく連れこむので、現在は友達のところやネットカフェを転々としている。<br />
　バンビのことは２年ぐらい前からテレビや雑誌で知っている。同級生の子がアイドルに熱を上げるように、わたしもバンビさんが大好きである。いま、本物を目の前にして、ひどく緊張している。心臓が口から出そうです。食事も喉を通りません・・・<br />
　ですから、食事はいいですと自己紹介をした。<br />
　「親は心配してないの？」<br />
　バンビはあつあつのマルゲリータを頬張りながら聞いた。グラスワインを一口飲む。一緒に食べない？　と女の子にもう一度、勧めた。<br />
　仕事帰りによく立ち寄る、青山の深夜営業のイタリアンレストランに来ていた。<br />
　「わたし・・・養護施設出身なんです。父親はいますが、遠くにいるので、問題ありません」<br />
　「・・・養護施設？　いつから？」<br />
　「もうちっちゃなときからです」<br />
　「東京？」<br />
　「はい、都下の山奥ですけど」<br />
　「大学に入ったんで、そこを出たんだ？」<br />
　「はい、高校を卒業したら出る規則なんです」<br />
　「友達は？　・・・大学の友達？」<br />
　「いいえ、同じ施設の出身です。彼女は働いてます。お金がいろいろかかるのと心細いので一緒に暮らそうって話になったんです」<br />
　「・・・で、施設を出て、締め付け弱くなって、ちょっと乱れはじめてるんだ？」<br />
　「寂しがり屋なので。根は悪い子じゃないです」<br />
　「どうしてニューハーフが好きなの？　やおい系？」<br />
　「ニューハーフさんみんなが好きなわけではないです。バンビさんが好きなんです」<br />
　「・・・どうして？」<br />
　「美しいからです。バンビさんはいろんな意味で美しいです」<br />
　「・・・どう、実物を前にして？」話に乗っかってみた。<br />
　「感激しています。夢みたいです」<br />
　バンビは十代の女の子に真面目な顔で美しいと言われ、すこし当惑していた。店では客からお約束事のように毎日言われてるし、自分でも自画自賛営業トークは全開だ。<br />
　これは熱狂的なファンというものだろうか？　若いときはさまざまなものが自分を映す鏡になるというけど、この子はわたしにいったい何を見ているのだろうか？　<br />
　「それで、今日はこれからどうするの？」<br />
　結局、一人で全部食べてしまった。朝から粉ものを摂り過ぎだ。走って帰ろうか。<br />
　「久しぶりに八王子に戻ろうかなと思っています。荷物もいくつか取りに行かなきゃならないので」<br />
　女の子はやっとすこし緊張がほぐれたのか、氷が融けて薄くなってしまったオレンジジュースをストローで二口三口飲んだ。<br />
　「今日は貴重な時間を本当にありがとうございました」<br />
　あらためてバンビを見て、丁寧に一礼した。<br />
　「うちに来る？」<br />
　「・・・？」<br />
　「スケッチブックの話もあるし」<br />
　「え・・・関心を持っていただけたんですか？」<br />
　バンビはテーブルの端に置いてあったスケッチブックをもう一度手に取り、パラパラとめくった。<br />
　「・・・面白いとは思っています」<br />
　「ありがとうございます！　嬉しいです。・・・全然ダメなのかなって思ってました」<br />
　「どうする、来る？」<br />
　「それはもちろん行きたいです。バンビさんの家に行けるなんてホント夢みたいです。・・・本当にいいんですか？」<br />
　「いいわよ。こっから３０分ぐらい走って帰るけどね」<br />
　「はい、だいじょうぶです。走るのは得意です」<br />
　女の子は嬉しそうだった。礼儀正しいし、物事の判断がしっかりできる子という印象だった。<br />
　女の子はトイレへ行くと言って席を立った。<br />
　すこし遅れてバンビも後を追った。婦人トイレのドアを開けると、女の子は洗面台で手を洗っていた。<br />

<div>　「ちょっと一つだけ確認させてね」<br />
　バンビは言って、ジーンズをはいた女の子の股間に手を伸ばした。そのまま指を這わせる。<br />
　「・・・ないわね。本当に女の子なのね」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　６<br />
<span style="font-size: large;"></span><br />
<br />
　走っては帰らなかった。<br />
　朝から糖質を摂り過ぎたのでカロリーを消費しなきゃという言い訳だったらしい。<br />
　タクシーで１０分ぐらいで着いた。マンションは表参道のどこかをすこし入ったところにあった。どこをどう通って来たのかわからない。夜中の都会は同じところをぐるぐる回ってるように思える。原宿なら何度か遊びに来たことがある。<br />
　低層の瀟洒なマンションだった。バンビさんの部屋はエントランスを抜けて、１階の左の奥まったところにあった。ドアを開けると、明かりが点けっぱなしだった。防犯と防ケガを兼ねてるらしい。何度か酔っぱらって帰ってきて、玄関の框に足を引っかけ痛い目にあったそうだ。<br />
　中に入ると、とてもいい匂いがした。禁断の園に足を踏み入れたようだった。<br />
　廊下を抜けたところにある部屋に案内された。左の壁に沿ってＬ字型のキャメルの革のソファ、ステンドガラスをあしらったセンターテーブルがある。その横にはアンティークの大きなドレッサー。正面にはＡＶボード、大画面の液晶テレビ。左側は窓だろうか、花の刺繍がしてある古めかしい若草色のカーテンが引かれている。<br />
　バンビさんはそのカーテンを引き、内側のレースのカーテンだけにし、外の光を部屋に入れた。夜が明けかかっていた。窓の外にはぼんやり木立が見えた。<br />
　「いきなり幻滅させて悪いけど、化けの皮を剥がさせてもらうわ」<br />
　バンビさんは目にも鮮やかなスカーレットのミニドレスを脱ぎ、下着姿になると、美容院のクロスのようなものを首に引っかけ、ドレッサーの前に座った。髪をヘアバンドで束ね、化粧を落としはじめた。<br />
　「暇だったら、家中を探検してきてもいいわよ」<br />
　窓の右側にはスタジオにあるような大きな鏡が設置してある。天井は折上天井で、内装にはモールディングやアールがオシャレにあしらわれていた。レトロモダンな照明器具、調度品。ダイニングにはパリのカフェで見るようなオーバルのテーブルセットが置かれ、その奥は台所につながってるのだろうか？<br />
　加奈子はバンビが出してくれたミネラルウォーターを一口飲んだ。<br />
　「一つ、聞いていいですか？」<br />
　気になっていたことを聞いた。<br />
　「一つなら」<br />
　バンビさんは鏡を見ながら、目のあたりを入念にケアしている。<br />
　「わたし、男の子に見えたんでしょうか？」<br />
　バンビさんはすこし間を置き、笑い出した。もうすっかりそのことを忘れてたみたいな感じだった。　<br />
　「・・・ああ、あれ。ごめん、別に深い意味はないのよ」<br />
　バンビさんは一頻り笑うと、また、お肌のケアに戻った。コットンを目の上から押し当てている。<br />
　「ほら、加奈子ちゃん、すらっとしててオッパイ見当たらないし、ルックスもちょっと少年っぽいし。もしかしたらもしかしてと思って、念のため、確認させてもらったの。・・・傷ついた？」<br />
　「・・・ビックリしました」<br />
　「わたし、男を部屋に入れるの、厳禁にしてるの。だから」<br />
　バンビさんはコットンをゴミ箱に放り捨てて、加奈子のほうを見て笑った。<br />
　「もしかして、あんなとこ、さわられたの、はじめて？」<br />
　「・・・はじめてです」<br />
　「バージンなんだ？」<br />
　「はい・・・ダメですか？」<br />
　「ダメじゃないわよ。本当に好きな人ができるまで大切にとっておきなさい」<br />
　完全にバカにされている。<br />
　スッピンになったバンビさんは、あどけない女の子のようだった。<br />
　年齢は２５歳と雑誌で紹介されていたが、本当は何歳なんだろう？　ためしに聞いてみた。<br />
　「２５です」と即答。<br />
　お腹を鳴らしたわたしのために、身体に良さそうなお菓子やカステラをテーブルに用意してくれた。<br />
　「なんで？　老けて見える？」<br />
　「逆です」<br />
　「あら、そう・・・ありがとう。わたし、もともと童顔なのよ」<br />
　バンビさんはラフな部屋着に着替えてきた。といっても素材はベロアの、シックな膝丈の萌黄色のベビードール。その上にセットもののゆったりとした上物を羽織っている。<br />
　ブラは外している。たわわな胸の稜線が覗いている。ぷっくりしたお尻にショーツのラインがうっすら透けている。本当、女性みたいな体付きだ。それも抜群にスタイルがいい。<br />
　「どう、スッピンでも美しい？」<br />
　バンビさんは顎に手をやって上目遣いのポーズを取って、わたしに聞いた。<br />
　「はい、なんだか深いです。美の基準がとても深い場所にあります」</div>
<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　７<br />
<br />
<br />
　河合加奈子の提案は要約すると以下の３つだった。<br />
　①映像を使用する<br />
　②装置を使用する<br />
　③①と②の使用によって、演出構成も変わる<br />
<br />
　これらはバンビ自身がショーでやりたいと思っていたことでもあった。<br />
　芸術性がある、もっと高いレベルのショーがやりたいのだ。そのためにダンスや歌のレッスンにもがんばって通っている。<br />
　でも『人工の森』では難しいし、必要ないとママに言われた。設備投資がバカにならないし、それにここは『芸術劇場』ではありません。お酒の席で小難しい芸術を鑑賞させてどうするの。お客さんが求めてるのはオッパイや非日常や乱痴気騒ぎの憂さ晴らしで、腕を組ませて頭をうならせることではない。<br />
　ママが言ってることもよくわかる。でも、加奈子が言ったように、中にはこれまでと違う新しいものを観たいお客さんもいるはずだ。そこに照準を合わせてやるべきです。自分から山を下りてはダメです。頂上を目指せば、ついてくる人もいるし、新しく拡がる景色に胸をときめかしてくれるお客さんも多いはずです。<br />
　加奈子とはあの日、このことについて何時間も話した。結局、加奈子が帰ったのはお昼を回ったころだった。<br />
　バンビさんにはもっと多くのことを表現できるポテンシャルがあります。いまのレベルで留まってしまうのはもったいないです。<br />
<br />
　バンビは大きな鏡の前に立って、フラメンコの練習を再開した。<br />
　フローリングの床に防音シートを二枚重ねしてある。部屋は１階の角部屋で、隣地は住居ではなく道路なので、近隣から苦情がくることはない。<br />
　フラメンコは腰の動きが特に難しい。どうしても、すっと元の位置に戻してしまう。腰を振るのではなく、重心を移す。戻すときは遅れてふわっと回すように戻す。お腹を支点に骨盤を動かし、体重を左右にゆっくり移動させる要領だと先生は言っていた。その教えを思い出し、もう一度トライする。世界にはいろんな踊りがあるんだなぁとあらためて思う。そしてその一つ一つに特徴があり、魅力があり、会得するのは難しい。その踊りに合った骨格とかプロポーションとか先天的なものもある。<br />
　電話が鳴っていた。バンビは踊りを中断し、電話に出た。<br />
　この前、店に来た広告代理店の女性からだった。<br />
　・・・ああ、そういえば、うっかり癖があるから、当日、確認の電話を一本入れてくださいと頼んでおいたのだ。今日の午後７時に六本木で会う約束だ。軽い食事が取れる店を予約してくれてるらしい。自分はその後、店に出勤する。<br />
　時計を見ると、あと、２時間半。そろそろ用意を始めたほうがいいだろう。<br />
<br />
<br />
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<br />
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    <category>ハッピーバースディ ２０００</category>
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    <pubDate>Sat, 14 Nov 2020 22:50:33 GMT</pubDate>
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